私を呼んだか
トウマ・ライナスたちが居酒屋を出た頃、シーリング・ローゼットらは既にアオルタ図書館へと到着し、館内へと足を運んでいた。「閉館」を示す看板が門の脇に掛けられていたが、出入り口の鍵は締まっておらず、シーリングたちは容易に館内へと入ることができた。
調べもので残るというディラントが表の出入り口を開けておいたのだが、鍵の管理は警備員がすることとなっている。職員は裏口から出入りするのだが、警備室の前を通るために見つかれば少々面倒なことになる。警備員がいるといっても老いた警備員がひとりだけで、規定時間の巡回以外は警備室から出てこない。しかも居眠りしがちで、ディラントが声を掛けない限り警備室から出てこないはずなのだが、面倒ごとはできるだけ避けておきたかった。
館内には人の気配はなく、不気味なくらいに静まり返っている。館内の電気はほぼ消えているが一部点灯している箇所があり、そこを目印に進めばディラントが待つ大会議室に繋がるはずである。
「しっかし、人のいない図書館てな、案外不気味なもんだな」
シーリングの後ろを歩くケフル・タッカーが肩をすくめた。隣を歩くルノーマ・ベンドが周囲を見渡しながら、ふむとうなずいた。リーマ・クリックだけがこの場にいない。暴走しがちなケフルの見張り役としてついてきただけなので、目途がついた現在は“黒の国”に帰るための船で、ゆったり豪華な食事を堪能しながら待機しているはずだった。
「不気味なのはそのせいだけではないだろう。ゼルテラウスの書を読んでわかったのだが、この図書館は図書館として使われる以前、ゼルテラウスやその弟子たちが人の体を用いて錬成魔法を行った場所とも言われている。死者の無念が今もさ迷っているのかもしれんな」
「この建物、数千年ものかよ。随分年代物だな」
「歴史ある建造物だが過去には4度火事で焼けているようだ。古いと言ってもまったく当時のものではないだろう。かといって、それで死者の魂が浄化されるわけではない。世に未練を残したまま災いを為す魂を、地縛霊という呼び方が東洋の言葉にあるが、そのまま不幸な魂が居着いている可能性もある」
「……」
「まあ、こういったものは強い魔力を持つものが感じやすく、人が多く集まると魂も嫌って力を弱める傾向があるようだ。日中帯に集まる一般人にはさほど問題にもならずに今があるのだろうが」
「ふうん」
ルノーマの説明が終わると、ケフルは再び館内を見渡した。普段なら何かしら混ぜっ返すケフルが、真面目にルノーマの話を聞き、神妙な面持ちでいる。ケフルも強大な魔力を持つ男である。ケフルもケフルなりに、館内の異様さを感じているのかもしれなかった。シーリングは耳だけルノーマの話に意識を向けていたが、視線はまっすぐにして館内の奥へと歩いていた。睥睨するように並ぶ本棚に見送られながら、かつかつと複数の足音が廊下にまじりながら響き渡った。電灯に従って歩くうち、荘厳なつくりをした扉が現れ、“大会議室”と記されたプレートが扉に貼られている。軽く戸を叩くと、入りたまえと例のディラントの尊大な声がした。
シーリングたちが室内に入ると、急に明るい電灯の光がシーリングの視界を覆い、広々とした間にディラントが一人待っていた。床は分厚い絨毯が敷かれ、窓の近くに椅子と小さなテーブルが設置されている。閉館してから暇だったのか、一冊の本が椅子の上に置かれていた。
身だしなみも昨日会った時とは違って、アイロンのかかったスーツ姿に髪も整い、ひげも綺麗に剃られていた。図書館館長らしい品格が、今のディラントにはある。
「待っとったよ。職員に頼んで室内の机や椅子は片付けさせてある」
「なら、早速始めようか。できるか、ルノーマ」
「召喚魔法を扱うにはこのくらいの広さで良いが、念のため、私の“特殊能力”を使えば問題なかろう」
「では頼む」
男たちのやりとりは短かった。
今回がたとえ単純な仕事ではあっても、反政府活動のひとつである。一般人のように初対面の男たちが互いに名乗り、わざわざ挨拶するような暇な神経など彼らには持っていなかった。やりとりもそこそこにルノーマがゼルテラウスの書を手にしながら、広間の中央へと足を進めていく。
シーリングはディラントを手の仕草だけで部屋の隅に下がらせると、自身も同様に隅に下がった。召喚魔法の特徴として術者を中心に強烈な衝撃波が生じる。といっても半径1~2メートル程度なのだが、それでも不用意に近くにいると吹き飛ばされて大怪我をしかねない。アオルタ図書館の大会議室は衝撃波を避けるだけの広さがあるので、隅に下がっておけば大した影響はないはずだった。
ディラントとシーリングが退くの間、ケフルは壁際に腕組みしながら寄りかかり、ルノーマの様子をじっと見守っている。ルノーマは室内の中央に立つと、おもむろに右手をかざした。ルノーマの足元に淡紅色の魔法陣が生じたかと思うと、一瞬にして室内の電灯が消えて暗くなった。といっても完全な闇に包まれたわけではなく、使われていない暖炉や壁に掛けられた絵画、椅子やその上に置かれた本などの輪郭ははっきりと映し出されているし、シーリングたちの姿は先ほどと変わらずありありと映し出されている。
「……これは、ただの結界というものではないな」
「これがあの男、ルノーマ・ベンドの“特殊能力”、“地烙血界”だ」
「“特殊能力”とは、“黒の国”では魔法を指すのだったな。いわゆる結界魔法かね」
目を丸くして室内を見渡すディラントの横で、シーリングがそうだと言った。
「異空間をつくりだす結界。たとえこの結界内で何が起きようと、それらはただの置物であって周囲のものには影響がない」
「だが、私たちやルノーマという男が抱えている本などは、どうなっているんだ」
「ルノーマが任意に選んだ人やモノを、この結界内に転移させる。それ以外の人間が見れば、あのがらんとした灯りがついたままの大会議室なはずだ。ルノーマの話だと、この世界と元の世界を繋げるために、わずかな切れ目があるとか言うが、微小過ぎて私の目にはわからん」
「……」
「ま、ずっと結界が張れるわけではない。せいぜい30分が限界だ」
そこで説明は終わりだと言わんばかりにシーリングは言葉を切って、ルノーマに視線を戻した。ディラントには蛇足でしかないのでそれ以上は説明しなかったが、ルノーマは“地烙血界”を戦闘では滅多に使わない。戦う際には自身の鍛え上げた拳と魔力で、相手と正面から勝負する。
元々はつくりだした異世界に敵を引きずり込み、そこで魔物を召喚して敵を叩きのめすための魔法らしいのだが、性格的にまっすぐなルノーマは陰湿すぎると“地烙血界”を用いて戦うことを嫌っていた。使用する時はケフルとの喧嘩のように、一対一で周囲から隔離して戦う時か、自身の修行をする際に修行相手として魔物を召喚するために使用する場合がほとんどである。
そのルノーマは“地烙血界”の状況を丹念に確認すると、ゼルテラウスの書を開いて、ゆっくりと詠唱を始めた。詠唱が進むにつれ、金色の光がルノーマの体を覆ったかと思うと、次第に大気が揺れ始め、足元に描かれた魔法陣の光が強さを増していく。
「……」
シーリングたちが固唾をのんで見守る中、突如、ルノーマが顔を上げ、咆哮するように叫んだ。
シーリングたちは、ルノーマが何を召喚しようとしているか事前に知っている。表現しがたい興奮が、ケフルやシーリングの胸の内に湧きおこっていた。
それは世界の災厄と呼ばれた存在。
悪魔の中の悪魔。
伝承では、世界を七日間にも及んで死をまき散らし、人が人として生活するために数十年は要したとされる悪魔。
それを自分たちが手中にしようとしている。
「……いでよ、悪魔王ベリアル!」
ルノーマがその名を告げた刹那、爆風に似た衝撃波がルノーマを中心にして巻き起こり、勢いよくシーリングたちを襲っていた。体が吹きばされそうな強い衝撃波で同時に黒煙のような煙が視界を防いでいた。
『……久しぶりの地上か。随分と景色が変わったな』
黒煙がまだ残る薄暗い闇の異空間に、ダンプの重低音にも似た不気味な声が響いた。
薄暗い闇の中に、さらにどす黒い影が浮かび上がったかと思うと、鋭い稲光を全身から放ちながら、次第にその姿を現していく。赤褐色の肌と茶色の硬質な毛に包まれた巨体は、獣と言っても良かったが、腕組みしながら二足で地面に立ち、蛇のように鋭い眼光でシーリングたちを睥睨する姿は人のようでもあった。ルノーマが緊張した面持ちで静かに口を開いた。
「私の名はルノーマ・ベンド。魔導士ゼルテラウスの記した書を用いて、あなたをこの地上まで召喚した者だ」
『貴様が、この私を召喚したのか』
「そうだ」
「……ルノーマの野郎、とんだ化け物を呼びやがったな」
『私を化け物だと?』
ぼそりと呟いた程度なはずなのに、ケフルの呟きはその化け物まで聞こえたらしい。
化け物はぎろりとケフルを睨みつけると、ケフルは眼光に圧されるかのように壁際まで退いた。尋常ではない威圧感に、全身から一気に冷たい汗が噴き出しているのをケフルは感じていた。そんなケフルを嘲笑いながら化け物は口の端を歪めると、ルノーマたちに向き直り咆哮するかのようにかっと口を開いた。
『改めて名を名乗ろう。我が名は悪魔王ベリアル。魔導士ゼルテラウスと盟約の下、この地上へと参上した!』




