これから届けにいこう
街の中心にある時計塔の針は午後6時30分を差していた。アオルタの時計塔は観光名所のひとつとして挙げられるほど目立つ建造物で、八番街区の一角にある酒場“ロワール”からでも十分に時刻が確認できる。
その酒場は噴水が設備された広場に面した場所にあり、シーリング・ローゼットはテラスの席に陣取って一人、グラスを手にジントニックを飲んで、煙草をくゆらせながらゆっくりと広場を行き交う人の流れや時計塔を眺めていた。周りに客はいるもののテラスの柵の向こうは広場なので、広場からはシーリングの姿は良く目立つ。しかし、たとえシーリングと顔見知りの者――アオルタ銀行やイエロン銀行の銀行員――などが今の彼の姿を見ても、シーリングとは気がつかなかったかもしれない。
シーリングは乱した髪に黒の革ズボンに分厚いブーツ。そしてストライプ柄の黒いシャツの上に黒いロングコートという姿でいる。
仕事を行う際のシーリングなりの戦闘服なのだが、待ち合わせの時刻までまだ時間があるため、仲間に断って一人“ロワール”に寄っていた。他のメンバーはシーリングの指示で図書館に向かっているはずである。
仕事前にジントニックを一杯。
そして煙草を一服。
ただし、煙草はそれほど好きでもなく、葉巻のように口の中へと含むだけ。
いわゆる金魚なのだが、これもシーリングのゲン担ぎのための儀礼となっている。少年時代から数多くの汚く危険な仕事をこなしてきたが、この習慣をいつの頃から始めたのかシーリングは自身も忘れてしまっていた。自身が手を下したホルソ・コードが、仕事の後に一服していたのを真似したような気もするし、別の誰かの影響だったかもしれない。
だが、そのきっかけについては今のシーリングにとってはどうでもよく、この習慣が欠かせないものになっているのは確かだった。
もっとも、今回は仕事と呼べるほどの仕事ではないのだが。
――古代の魔導書を、仲間が使えるかどうか試す。
それだけの内容でしかなく、これまでこなしてきた大仕事のようにゲン担ぎする必要などまるでない。だが、本来ならルノーマと二人の予定だったのにケフルが駄々をこねたために、そのケフルの監視役としてリーマも連れてくる破目になってしまった。
莫大な財産や権力を手に入れたにも関わらず、人間関係の悩みは昔も今も変わらずシーリングを悩まし続けている。決して表に出すことはないが、シーリングの胸の内に溜まっていた不満や鬱屈から、気晴らしにふらりと酒場に寄らせたという一面もある。
仕事までのわずかな時間、解放感を楽しむシーリングではあったが、周囲の派手な格好をした客に溶け込んでいて、さほど違和感がない。
酒場“ロワール”は質素な名称に相応しく内装も外観も古風なレンガ造りの酒場なのだが、若者向けの店として知られている。店内には“ロック”と呼ばれる楽器をやたらめったらにかき鳴らしたような海外の音楽がテラスの外まで遠慮なく流れている。
この酒場の店主が海外旅行した際に、この“ロック”というものに衝撃をうけて以来、店でも流すようにしたらしい。その音楽に惹かれてか、来客も髪を立てたり真っ赤に染めたりと、客層も一般的な酒場とは雰囲気が異なって一風変わっている。そのためか、不安を感じた周囲の住民や商店からの苦情と役所から睨まれてしまって、他の地区へと移転が決まっている。そんな評判の酒場だから、ネクタイを締めて堅実な人生を歩んでいる者はまず近寄らない。
顔見知りが偶然、通りがかっても気がつかないだろうし、疑問に思っても、ぬけぬけと他人の振りができる度胸もあった。
「おい、勘定だ」
シーリングは腕時計を見て、残ったジントニックを飲み干すと、店の奥に向かって怒鳴った。
店内の音楽と客がうるさいので、怒鳴らないと容易に声が届かないようだった。
しかし、なかなか店員が現れる気配がないので、もう一度呼ぶと、近くでおやという声がして、その声にシーリングが振り向くと、近くの席に全身黒づくめで、丸いサングラスをかけたアフロヘアの男がシーリングを見ている。そのテーブルには他にも連れがいて、若い男女が座っている。
どちらも質素な服装で、この酒場には似つかわしくない。ただ、若い男は店の雰囲気など気にした様子もなく、明るいを通り越して軽薄に感じるほど連れらしき女に話しかけていた。一方金色の髪をしているその女の方は、明らかに居心地が悪そうに手にしたジョッキのビールをちびちび啜っていた。
若い女は左手だけに手袋をしていて、杖を立て掛けているところから、戦争か事故による不具者なのだろうとシーリングは推察した。
声を掛けてきたアフロヘアは見覚えがある男だと思ってはいたが、なかなか思い出せない。その間にアフロヘアの男が立ち上がって近づいてきた。
「奇遇だなあ。おたくさん、昨日、アオルタ銀行にいた人じゃないですか」
「私は君に心当たりなどないが、誰かと見間違えじゃないのかね」
「いやいやいやいや、昨日はビシッとしたスーツ着て、役員の人とドワーフの男二人見送りに来てた人でしょ。随分と印象違うから、びっくりしちゃったけど」
「私は君との面識がないのだ。たとえ君が知っていたとしても、馴れ馴れしく話しかけてくるのは無礼じゃないのかね」
「おいおい、どうしたんだ。他の客に絡むなよ」
アフロヘアとひと悶着起こしていると思ったのか、連れの男が割り込んできた。
「いやあ、トウマ隊長。こんなとこで偶然、顔見知りの人に出会いましてね。偶然の再会を喜びあっていたわけですわ」
「だから、私は知らないと言っているじゃないか。しつこいな、君は」
言いながらもシーリングは役員とドワーフの男二人という言葉で、シーリングはようやくアオルタ銀行で受付の銀行員と揉めていた探偵だということを思い出していた。同時に、ほんのわずかな時間なのに自分を覚えていたことにシーリングは本能的に警戒心を強め、慎重に言葉を選んでいた。
「そうだぞ、アル。このご紳士に失礼じゃないか。ねえ、アリサちゃん」
「……私に振らないでください。ビールに専念したいので」
トウマ隊長と呼ばれた若い男から急に声を掛けられながらも、アリサという女は無愛想にビールを口に運んでいる。アフロヘアの男はトウマからたしなめられると、ようやく自分の無作法に気がついたらしく、そうかと頭を掻きながら、内ポケットから名刺を出してシーリングに渡してきた。
「この先の七番街で探偵をしているもんです」
「……アルフレッド・フォークナー君か」
「周りからは“アル”と呼ばれてます。その方が面倒も少ないですから。何かご依頼などありましたらこちらまで」
「ご依頼か……」
シーリングがふっと表情をゆるませた。
「では、“アル”君に改めて伝えておこうか」
「なんですか」
「私は君との接点はまるでない。友達でも親戚でも、仕事での付き合いもない。ほんのわずかすれ違っただけで、人のプライベートには馴れ馴れしく関わらないでくれないか」
シーリングが“アル”の名刺を破きながら言うと、アルは憮然として破かれた名刺に視線を落としていたが、やがて「失礼しちゃって、すんませんね」と大きな笑みを浮かべながら頭を下げてきた。サングラスのために目まではわからないが、アルという男の笑顔は、作り笑いでもないように感じられた。元々がさっぱりとした性格なのだろう。笑顔には愛嬌があって、シーリングからも不愉快な気分がいつのまにか消えていた。まあいいとシーリングは手を振った。
「今後は気をつけてくれればいい」
「ほらあ、アル。この人が紳士だったからこの場が収まったんだぞ。もう一回謝っとけ」
「はあ、すみませんね」
トウマに促され、アルがもう一度頭を下げると飲み直すぞと言って、トウマはアルを自席へと引きずっていった。
妙な連中だと苦笑いしながらシーリングが再び店の奥に声を掛けると、ようやく店のウェイトレスが客の間をかき分けるようにして小走りにやってきた。口紅が血のように真っ赤で、目の下にもクマができていて、ヴァンパイアの仮装でもしているかと思わせるようなやつれて貧相な女だった。
「注文かい」
「いや、勘定だ」
シーリングに言われ、ウェイトレスが勘定帳とテーブル上の空となったコップを交互に見てウェイトレスは顔をしかめた。
「たった一杯でいいのかい。評判の割に、ここの値段はそんな高くないはずだけどねえ」
「値段も良いし、店の雰囲気もなかなか面白い」
「なら、もうちょっと楽しんできゃいいのに」
「いや、この店には悪いが、これから勝負なんだ」
「勝負?」
ウェイトレスは首を傾げて、シーリングを見上げている。
「これから友人たちとカードの3番勝負でね。勝負の前はゲン担ぎに、煙草一服にジントニック一杯と決めているんだ」
「たかがカードでゲン担ぎねえ。賭けでもしてるのかい」
ウェイトレスは明るく笑った。笑顔が魅力的で、お世辞にも美人とは言えないが男好きのするタイプなのだろうとシーリングは思った。店が繁盛しているのも、この貧相な女の存在がひとつにあるのかもしれない。なんとなくだがシーリングは好意に似た感情を懐いていた。代金だと言って金貨を取り出すと、ウェイトレスは急に顔をしかめた。一方、そばで様子を眺めていたアルとトウマなどは、おおと変な声を上げている。
「ちょっとお。ジントニック一杯で、1ゴールドは多すぎるよ。この客の中、細かく金持ってくるの面倒なんだからね。銀貨くらいないのかい」
「残りは取っといてくれ。その代わりに頼みがある」
「頼みってなにさ」
訝しむウェイトレスに、シーリングは自分の頬を指先でぽんぽんと軽く叩いた。普段のシーリングならこのような行動など絶対にしないはずだが、大仕事とほんのりとした酔いが気分を高揚させていた。
「私の頬にひとつ、キスをしてくれないか。あんたならいいツキに恵まれそうだ」
「あたしなんかで良いのかい?幸運の女神さんが、ヤキモチ焼かないかねえ」
「私の女神は、このくらいで嫉妬しないよ」
「ほ、お熱いねえ」
くくっとおかしそうに笑いながら、それでもウェイトレスは背伸びをしてシーリングの頬に軽くキスをした。やりとりを眺めていた周囲の客がどよめき「よ、色男!」とアルが口にメガホンをつくってはやし立てている。隣では目を丸くするトウマとアリサとしているのが視界に映った。シーリングは彼らを横目に鷹揚に手を振って周りに応えていた。普段の自分とは違うとシーリング自身にも自覚はあったが、たった一杯とはいえ、酔いのために生じた奇妙な高揚と緊張の前では、それもさほど気になるものではなかった。
「それじゃあ、幸運を祈っているよ」
「ああ、勝ってみせるさ」
シーリングは手すりに手をかけると、颯爽とテラスから飛び降りて、図書館の方向へと歩き出していた。
一度、ちらりと振り返ると、アルという男がウェイトレスに「実はあの人に奢ってもらっていたんだ。あの1ゴールドで足りるでしょ」と話している声が聞こえていた。
――厚かましい男だ。
シーリングは舌打ちして、もう振り返らなかった。
奇妙に気になる男たちだったとはいえ、自分にはこれから仕事がある。いつまでもつまらない連中に関わっているわけにはいかない。
ウェイトレスも周りの客も、はじめは遠ざかるシーリングを少しの間は見送っていたが、続けて起きたアルとウェイトレスとの珍騒動の勃発に加えて、週末の夜である。寸劇を披露した伊達男にいつまでも関心を持つ者はなどいなかった。
シーリングの周りにいた客などは、仲間たちと目の前で起きている人生の楽しみを謳歌することで頭が一杯となっていて、シーリングが人ごみに消え、図書館のある通りに入った頃にはすでに彼のことなど記憶から消えかかっていた。
「あれ、そこのテーブルの下にあるのって……」
トウマ・ライナスはふとあるものに気がついて、隣のテーブルの下をのぞき込むと銀色のライターがひとつ落ちている。どこにでもあるような安物ライターではなく、真鍮でつくられなまめかしい光沢を放っている。手に取ってその感触、重量、質感など安物とは明らかに違う。モノの価値とは無縁なトウマでも明らかに高級品だとわかる。
「このライターて、さっきの紳士さんのかな」
トウマが訊くと、おそらくとアリサがつぶやいた。さきほど注文したビールが、もうすでに半分となっている。頬がわずかに紅潮している程度で酔った様子はない。
「アルが絡んだ紳士の方が持っていたものです。煙草に火をつける際、私が確認しております」
「よく見てるねえ。さすが“戦乙女”」
「その言い方はやめてください」
アリサはジョッキ越しに、アルへ鋭い眼光を向けた。
アリサ・サーバンスとしては面白くないことばかりだった。
当初は今日、旅先から帰ってきたばかりのトウマの慰労会に、ルーク・ターレスなども参加する予定だったのだが、腹痛を起こしてしまい結局はアリサと二人きりだけとなってしまったのである。心配するトウマに「ふたりで楽しんで」というルークの強い要望と、リイサ・ペンシルとパウラ・ラウラがルークの看病を買ってでたので任せたわけだが、ルークに関しては尋常ではない対抗意識を持つあの二人だから、今頃は地獄のような看病をうけているはずである。
ルークには気の毒であるが、これはこれでとアリサはひそかに楽しみにしていたのだが、途中でアルと会ってしまい、よせばいいのにトウマが誘うと図々しくも即諾して参加してきた。そのためにこの楽しみも一気に霧散し、おまけにアルが音頭をとって連れてきたこの派手な店も、アリサの趣味にまるで合わなかった。アリサ自身としては、騒ぐなら大衆居酒屋のような賑やかな喧噪を好み、荒々しく意味不明な言葉や音楽が飛び交う若者たちのバカ騒ぎなど耳障りでしかない。
少しも面白くないので、アリサとしては飲むしかないのである。そこにきてアルの軽率なからかい。
鋭い眼光を向ける以外、アリサには選択肢がなかった。
アリサの不機嫌に気づいたアルは、小さく肩をすくめると話をトウマに振った。
「どうします、これ」
「巡吏に預けるて言いたいけれど、今日は警備でぴりぴりしてるしなあ」
「そんなら、俺があの人捜して届けましょうか。無くて慌てているかもしれない」
「わかるか」
「十分。誰しも魔力を持ってますんでね。まだ失くしてほどないはずだから、感知できるはずですよ」
そう言うと、アルは目の前の食器をどかしてから懐から小瓶を取り出し、木製のテーブルにさらさらと白い砂を撒いた。小さな砂山ができ、その上に手をかざすと砂はひとりでに動き出して幾何学模様に似た図形を描き出した。
アルの特殊魔法“召喚興図”。
テーブル上に描かれたそれはアオルタの街の地図で、アルたちがいる場所中心にした近隣の町が描かれている。その中で、一粒の小さな砂粒が揺れ動きながらある方向へと進んでいる。これだなと砂粒を見ながらアルが言った。
「もうアオルタ図書館の中にいるようですね。図書館に何か用事あるのかな」
「じゃあ、そんな遠くないな」
トウマは遠くに浮かぶ時計塔を眺めた。
時刻は午後7時になろうとしている。
普段は気にしていないが、こんなふと時間を確認したい時に目立つ時計塔の存在が非常に助かる。日中は暖かかったものの、夜になると時折震えるような寒さを風が運んでくるようになっていた。
冷たい風はトウマの酔いを醒まし、腹痛で寝込んでいるはずのルークを思い出させる。ルークは楽しんできてくれとは言ってくれたものの、やはりトウマには気掛かりとなっていた。
アルやアリサと飲むのも久しぶりなので名残惜しいものがあったが、長々と飲んでいるのも後ろめたいものがある。帰路の途中に食事の持ち帰りができる居酒屋があるのを思い出すと、そこで土産代わりにお腹に優しいものでもつくってもらおうと、トウマは立ち上がっていた。
「このライター、あの紳士さんに届けに行ってさ。その後は別の店にちょっと行こうや」




