強大な力を得るために
アオルタ銀行とイエロン銀行の紳士たちとレストランでの会食を済ますと、シーリングはビジネス鞄を手に一人、中央街区の大通りを歩いて三番街区へと足を進めていた。途中でネクタイを外して首元をゆるめ、整えたオールバックの髪も自らの手で乱している。
陽が落ち、街灯が照らす通りはいよいよ人が溢れ、どこかの店で酒を飲んで騒いでいるのか、ざわめきは昼間よりも大きくなっているように思われた。時折、すれ違う若い娘がそんなシーリングを振り返る。
シーリングは長身で痩せては見えるが、単に痩せているわけではなく均整のとれた体つきをしている。ラフな姿と鷹のような鋭い目つきに颯爽とした足取りから、シーリングに野性的な魅力を感じるのかもしれなかった。だが、シーリングは娘たちの視線や町の賑わいなど気にした様子もなく、途中で路地を曲がった。その路地を抜けるとやがて視界が開けて、両側に狭いながらも庭付き低い建物が並ぶ住宅街に出た。各家々の窓からこぼれる明かりが路地を照らしている。
大通りからのざわめきもすでに遠くなり、閑散とした人通りの中、シーリングの視線の先に生垣に囲まれた白い民家が目に入った。その家の玄関先に黄色い郵便受けを確認すると、シーリングはためらいなく敷地内に入り呼び鈴を鳴らした。静かな家だったが、窓には明かりがついており人の気配もある。明かりがついている部屋の窓のカーテンがわずかに揺れ、足音がシーリングに近づいてくる。
「……どなたかな」
木製の扉の奥から、しわがれた老人の声がした。
「ボランティアで、アオルタ福祉協会から派遣されました」
「わたしひとりで足りておるよ」
「でも、花を飾るのに一本だけでは寂しいでしょう」
「……ちょっと待ちたまえ」
扉が軋む音を立てわずかに開いて、中から現れたのはやはり老人だった。乱れた白い髪に寝る準備をしていたのかパジャマ姿で、その上に色あせたバスローブを羽織っている。髭剃りをさぼっているのか、白い無精ひげがやけに目立った。いかにも老人とシーリングは思ったが、わき上がる軽侮の念を殺して微笑してみせた。
「あなたが図書館館長のディラントか」
「君がシーリング・ローゼット君かね」
「例の本について、受け取りにきた」
「……良いだろう。入りたまえ。茶ぐらいだそう」
ディラント老人は扉を開いてシーリングを招き入れた。家の中は薄暗く陰気だった。普段から訪れる人が少ないのだろう。換気もろくにしていないのか埃っぽい空気で、老人特有の臭いが家に染みこんでいるように思えた。室内も乱雑というわけではないが、よくよく見れば家具の表面がうっすら白っぽく、掃除も満足にしていないということが窺えた。ディラント自身はまるで気にしていないようだが、老人らしい停滞感や閉塞感が、この室内で見事に表現されているとシーリングは感じた。
「……それにしても気に入らんな」
シーリングを居間のテーブル席に座らせると、ディラントはコーヒーを出しながら不満そうにつぶやいた。
「何が気に入らない」
「さきほどの合言葉だ。確かに私は孤独な老人だが、まだ現役の図書館館長として働いている。福祉のボランティアに頼るような生活などまだしておらん」
「気に障ったなら謝る。庶民的な合言葉があった方が、周囲に怪しまれないと思ったまでだ」
「まあ、いい」
今、持ってくると言ってディラントはシーリングから離れていった。ディラントのような頑固な老人は、初めに簡単に謝って適当な理屈さえ述べておけば、それなりに納得することを銀行員の経験から学んでいた。
ディラントは“彩花衆”のシンパで、彩王朝の時代は代々、王朝の高官を務めていた。祖父が衰退していく彩王朝を見限って、勢力を増していた“青の国”に仕えるようになったのだが、孫のディラントは崩壊した彩王朝への憐みや戦時の記憶、休戦とはいってもいつ戦争が始まるかわからない将来への不安から求心的存在を求めるようになっていた。そしてそれが彩王朝の復興と結論づけると、彩王朝復興を求める“彩花衆”の活動を支持するようになっていった。
シーリングは熱いだけでひどくまずいコーヒーを飲みながら待っていると、ディラントが一冊の分厚い本を持って戻ってきた。随分と年代物らしくあちこちが擦り切れていた。
ディラントは本をこれだと言ってテーブルの上に置いた。
「アオルタ図書館に保管されている魔導書“ゼルテラウスの書”だ。本来は持ち出し禁止なのだが、私が館長だから出来たようなもんだ」
「なるほど、さすがだな」
ディラントを一応は持ち上げてみせて、シーリングは本の適当なページを開いて中身を改めた。
ゼルテラウスの書――。
古代魔導士ゼルテラウスに編纂された魔導書で、文字自体が特殊で難解なために、竜神ファルトマでさえも十分な解読が出来ないという代物だった。だが、その魔法は絶大で、死人を蘇らせ数百もの悪魔を呼び寄せて世界を震撼させたという。人からその存在伝え聞いたシーリングは興味を持ち、アオルタ銀行での打ち合わせに合わせて、ディラントと接触を試みたわけである。
書かれた文字は古代文字で、シーリングもそのすべてを読めるわけではない。しかし、2000年前に書かれたサンサット文字だというくらいはわかる。それさえわかればシーリングには十分だった。
「……そんなものが君らに役立つのかね」
「今は連れてきていないが、“彩花衆”のメンバーで彩王朝の祭祀を務めた家の者がいる。その者の魔力なら扱えるだろう」
「祭祀……ベンド家の者がいるのか」
「そうだ。だが、この閑静な住宅街に男二人。しかも見た目も怪しいから目立ちすぎる。だから私だけが来たんだ。かといって、ろくに古代文字が読めない私には扱えないし、その力も実際に試さないとわからな。魔法を試すには広く人のこない場所が良いんだが、どこか良い場所は無いか」
シーリングの問いにディラントはちょっと考え込んだ。
不意に立ち上がって、ポットから自分のコーヒーを注ぐとカップを手にして席に戻った。
「図書館の会議室が良いだろう。明日の午後7時はどうかな」
「7時か。随分と遅いな」
「なあに。図書館は閉館しているし、魔法の発現自体を確認するには、数十分も掛からないだろう。それに明日は“月の欠片”だろ」
「“月の欠片”」
「政府は“紅の国”からの贈り物でてんやわんやだ。外は警備の兵隊どもで物々しいだろうが、本など持ち歩いていても誰も怪しまないだろう。私も職員を早々に館から追い出すから静かなもんさ」
「なるほど」
しばらく考え込んだ後、シーリングはうなずくと、本を脇に抱えて立ち上がった。
「では、明日の午後7時。他にも仲間を連れてきて立ち会わせるつもりだから了解してくれ。それと今夜一晩、この本を借りておきたい。ある程度は予習させないと、解読だけで時間が掛かる。かまわないか」
「それ問題ないが、もういいのか」
「……なにがだ?」
怪訝な顔つきをするシーリングに、ディラントは半分となったコーヒーのカップを指差した。
「まだ、私のコーヒーを飲み切っていないじゃあないか。そんなに急ぐもんじゃないだろう」
「いや、私は……」
「私のお気に入りなんだよ。インスタントなんだが、この渋みと苦みが好きでな」
「……」
おそらく適量ではない。シーリングにもコーヒーに対するこだわりがある一方で、インスタントコーヒーくらい口にする。いくらインスタントとは言っても、せっかくのコーヒーが台無しだとシーリングは叫びたい思いがしたが、ずるずるとうまそうにコーヒーをすする老人に、シーリングは言葉を失い、その場をどう切り抜けたものか、秀麗な顔を曇らせていた。
※ ※ ※
「どうしたんだ、お前たち」
“お宿ミカン亭”の扉を開けシーリングは宿に入るなり、不穏な空気を察してロビーを見渡した。
陽もすっかり落ちたこともありロビーには灯りが点っている。気弱そうな宿の主人が、さらに青い顔をして受付の席で小さくなって震えていた。ロビーの隅ではケフルとルノーマが憮然とした顔をして座っていた。双方ともひどい痣や擦り傷だらけで、衣服もあちらこちら破れている。
「大喧嘩だよ」
奥から獣人族の女が、水を満たせたコップを両手にして現れた。女はコップをそれぞれふたりの前に置くと、呆れたようにため息をついて肩をすくめた。
「私が目を離した隙にすぐこれだ」
「大暴れした割に、宿は無事なようだが“あれ”を使ったのか」
「ああ。宿の者に迷惑を掛けるわけにはいかんのでな」
自身に治療魔法を掛けながら、ルノーマが苦々しく言うと、獣人族の女はケフルをにらみつけた。
「人と組んだ仕事は毎回これだ。だからケフルを連れてくるのは反対だったんだ」
「何だと、リーマ・クリック。俺のせいだってのか」
「お前は無意味に人を挑発する。自分の言動を客観できるように、もう少し大人になれ」
「なんだと、この獣耳野郎――」
「もうよせ、ふたりとも」
シーリングの低い声がロビーを圧した。低いがその声には威厳や迫力があり、特に威勢のいかったケフルは途端に委縮した様子となって、一度は浮き上がらせた腰を力なく席に戻した。
「我々の本当の仕事はこれからというところだ。その前に仲間割れをしている暇があるのか」
「……」
「ケフル」
口調は平静ではあったものの、睨み据えるシーリングの鋭い眼光は刃のようにケフルを刺してくる。ケフルを飲み込まんとするほどの圧倒的な視線に気圧され、ケフルはシーリングの視線から逃れるようにして、額に脂汗を噴き出してうつむいた。
「お前が郵便局の連中に、仕返しにいかなかったことだけは誉めてやろう。私の言いつけをよく守った」
「……」
「だが、当初、今回の仕事の名にお前は入っていなかったはずだな。だが、お前からの強い申し出があり“郵便局の連中とは関わらない”という条件でお前の同行を受け入れた。たしかに、アオルタまで連れてきたのは私だ。入国できるよう急ぎ手配したのも私だ。それなのにお前は仲間とトラブルを起こす。お前は、私の面目をつぶして恥を掻かせるつもりなのか」
「で、でもよ……。シーリング」
「もう一度言う。私に恥を掻かせるつもりか」
「わ、悪かったよ……」
蚊の鳴くような声で謝罪を口にすると、あとは黙って小さくなっている。ケフル・タッカーという男は誰に対しても攻撃的で独善的な性格だが、シーリングにだけは従順となる。しかし、一時の話で今は反省しているが、心から反省しているわけではないとリーマやルノーマも思ってはいなかった。時間が経てば、また無用ないさかいや独断専行を繰り返すのだろうという確信があり、リーマたちはうんざりしている。
シーリングは仲間たちの感情が一応は収まりをしたのを見計らって、ルノーマの前に“ゼルテラウスの書”を置いた。見た目はみすぼらしいが博学のルノーマにはそれが何か一目でわかったらしい。丸い目をさらに見開いてシーリングを見つめると、シーリングは片頬を歪めただけだった。
「シーリング、この書物は……」
「ちょっと待て」
シーリングはルノーマの言葉を制して、宿の主人に視線を向けた。
「主人。この先にあるレストラン・トゥランテでワインを何本か仕入れてくれないか」
「ワ、ワインでしたら、この近くの居酒屋にもありますが」
「そんな安物ではなく、ブルメルラ産の赤ワインを購入してもらいたい。トゥランテまでは距離があるし高級品ではあるから、先に代金を主人に渡しておこう」
シーリングは鞄から小さな布袋を取り出すと、袋を開けて中から金貨を示した。それは通常のゴールドより一回り大きな金貨で、アオルタでは10ゴールド分の価値がある特殊金貨だった。息を呑む主人に、中に5枚あると言ってシーリングは袋ごと主人渡した。ずっしりとした重さに主人は一層、表情を青ざめさせて宿から出ていった。胸に抱えながら歩く姿は下手な物取りのようで、かえって目立つだろうなとシーリングは思っていると、リーマが後ろから心配そうに声を掛けてきた。
「あの男、本当に“彩花衆”のシンパなのか。見た目はともかく、態度からは我々に協力する気などなさそうだが。そもそもこんな活動に向いていないだろう」
「実際にはあいつの親父が、だ。半年前に亡くなって宿を継いだばかりらしい。シンパとなることは本意ではないようだが、あんな気弱な男だ。親父の遺志をずるずると引きずってしまっているのだろうな」
「……」
「真面目さだけが取り柄だ。ただ、ああいう人種は嘘が下手で気働きが良いわけではない。意図もせず、何かの拍子でぽつりと漏らしてしまう場合があるから、外に出てもらった。口止めするより最初から何も知らない方がいい」
「それならいいが……」
シーリングの説明にもいまひとつ釈然としないでいるリーマに、いいではないかとルノーマが言った。
「たしかに仲間としては非常に頼りないが、あの男も害が及ばなければ、あとは巻き込まれたくないと知らぬ存ぜぬで黙っているだろう。今夜一晩の寝床があればそれで良い。明日の仕事が片付けばアオルタからすぐに離れるだけだ。いつまでも気に掛けていても仕方あるまい」
「……そうだな」
頼りないからと始末していては、誰も味方がいなくなってしまう。利用できるものを利用しておけば良い。リーマは自分を納得させると、目だけでうなずいてシーリングに話を促した。
「話を戻そう。明日の午後7時、アオルタ図書館の会議室の場所が確保できた。室内の高さ広さも申し分ない。あそこなら魔法を使っても支障はないということだ。今夜はその予習のためにこの書を借りてきた。ルノーマ、お前なら一晩あれば可能だろう」
「……わかった。しかし、ゼルテラウスは多彩な魔導士と知られている。ざっと読んだだけでも召喚魔法に治癒魔法、ゴーレムやガーゴイルなどをつくりだす組成魔法など種類が多すぎる。時間もないから一点に絞り込みたいのだが」
「そうだな……」
シーリングがしばらく宙を睨んで考え込む様子を見せていたが、なにかを思いついたらしく視線をルノーマに戻した。
「召喚魔法だな」
「……」
「召喚魔法“地烙血界”はお前の得意とするところだ。お前の魔力なら、ゼルテラウスが遺した召喚魔法も扱えるだろう。我々には数と力が必要だ。召喚魔法が相応しい」




