彼の正体
シャクザへの疑念を懐いた翌日の朝8時頃、トウマとゼノは島の船着き場へと来ていた。漁港にはトウマが着いた時とは違って、十数名もの漁師たちが忙しくそれぞれの仕事をしていた。彼らはゼノの姿を見ると仕事の手を休め、先生と呼んでわざわざ挨拶してきた漁師が何人もいた。
「今日は修理か何か、御用ですかい」
「御用も何も、友達の見送りだよ。アオルタからわざわざ来てくれたんだ」
「ああ、それじゃ邪魔しちゃいかんですな。それじゃまた」
ゼノがトウマを指差すと、漁師たちは恐縮した様子でゼノとトウマに頭を下げて去っていった。ゼノもこの島では新規の人間なはずだが、本人の性格か役場の人間という立場のおかげなのか、ゼノに限って派閥は関係が無いようだった。
ゼノは漁師たちが去ると、背伸びをしながらいい空だねと嬉しそうな表情をしてトウマに言った。その日のイハルタ島の空は快晴で、清々しい青空が二人の頭上に広がっている。
「この島て、天候の変動が激しくてこんな好天が続くなんて滅多にないんだよ」
「でも、昨日の夜だって、結構雨が降ったろう」
昨晩はゼノと自宅兼事務所でゆっくり過ごしたのだが、1時間程度とわずかな時間とはいえ、窓を叩きつけるような大雨が降っている。その事をトウマが言うと、いやいやとゼノが手を振った。
「イハルタはね、晴れのち曇りで、時々雨から強風の後また晴れて後に雨、みたいな感じにくるくる変わるんだ。今日みたいに波も穏やかな日も少ない」
「俺としちゃ助かるよ。来た時のような船酔いは、もう勘弁してもらいたいからな」
「まあ、元気でね。久しぶりに会えてうれしかったよ」
「ああ……、俺も」
そこまで言ってから、トウマはふと口をつぐんだ。脳裏にはシャクザの不愛想な顔が浮かび、心が不穏なざわめきを立てているのを感じていた。
「なあ、ゼノ」
「なんだい」
「……ツバキさんと仲良くな」
「やだなあ。僕とツバキさんはそんな関係じゃないったら」
「でも、二人とも恋人はいないんだろ。別にいいじゃあねえか。ツバキさんは人見知りが激しい感じするけど、この島には合ってそうだしな」
「はいはい。まあ、縁があったらね」
苦笑するゼノを見ながら、トウマは自身が感じた疑念や不安な気持ちを伝えなくて良かったと、改めて安堵していた。昨日もいくらでも伝える機会はあったのだが、話すことはと言えば戦場での思い出話や笑い話、トウマの仕事や同僚のアリサ・サーバンスら戦友たちの話等といったもので、結局シャクザの件については一切、触れることはなかった。
夕方近くに、島の住民から水道の配管から漏水しているという届け出があり、トウマもゼノの修繕作業につきあったのだが、配管図を見比べながら状態を調べると、持参した工具でものの30分もかからず素早く修繕し終えてしまった。“陽炎”の異名を持つ男は、今ではすっかり整備士として板に着いており、そんなゼノの姿を見ていると、外部の人間が島の問題を詮索し、ゼノに余計な不安を与えてはいけないような気がしたからだった。
やがて汽笛が遠くから響き、目を向けると定期便の船が、バタバタと軽いエンジン音とともに小さな波を砕きながら近づいてくるのが見えた。船はゆっくりと接岸し、船から乗務員らしき男が降りてきて、ロープを杭に結んだ。
少し時間をおいても降りてくる者が無いようなので、トウマは船に乗り込もうとしたのだが、不意に中から人の気配を感じて、思わず腰の刀に手を伸ばしていた。
船内の客席スペースにスーツ姿の男3名が陰気に座り込んだままでいる。2人は若く衣服越しでもわかる屈強な体をした男たちで、のこる一人が口ひげを蓄えた年輩者だった。トウマの手が刀に伸びたのは、彼らから発せられる空気が一般人のそれとは異なり、戦場の物々しい臭いを感じて、トウマの剣士としての本能が瞬時にそうさせたからだ。
「どうしたんだい、トウマ」
トウマの様子を不審に思ったゼノが、近づいて船内の男たちに気がつくと咄嗟に間合いをとった。だらりとゼノの両手は下がっているものの、油断なく男たちの動きを探って隙は無い。トウマらは男たちと対峙する形となったが、やがて年輩の男がゆっくりと立ち上がってトウマに向かって一礼をしてきた
「あなたが、トウマ・ライナスさんですね。そして、銀色の髪の御方がゼノ・クライブさん」
「そうだけど、あんたは?」
「私は、このアラム諸島の警備隊長を任されているベム・トーア大佐と申します。この二人と船の乗務員も私の部下です。こちらの男、トウマさんは見覚えありますか」
ベムという口ひげの男は、右手に立つ大男を指差した。大男は笑みを浮かべたが敵意はなく、どちらかというと好意的な微笑に思えた。しかし、トウマには引っ掛かるものを感じながらもすぐには思い出せそうもなく、首を傾げていると大男がアネッサ攻城戦ですよと言った。その言葉で、喉のつかえが取れたように目の前の大男の正体と、当時の光景をありありと思い出していた。
“紅の国”が支配するアネッサ城攻略のため、当時のトウマはその作戦に参加していたのだが、燃え盛る城塞の中、敵兵に囲まれ血だらけで奮闘していた大男がいた。背中を斬られて倒れたところを、トウマが助けに入って救ったのだった。その後で何度も礼を言いにきたので、切っ掛けとなる言葉のおかげですぐに思い出すことができた。
「あん時いたな。複数の敵に斬られかけてて……。たしかミハルト大佐の、第三大隊の伝令さんだっけ」
「ミハルト大隊元伝令レミルと申します。現在はアラム諸島警備隊に所属しております。お会いできるのを楽しみにしておりました」
「背中の具合は、良いのかい」
「ええ、冬には多少痛みますが、軍務に支障はありません」
彼を連れてきたのは、とベムが間に入った。
「部下としても頼りになるのももちろんですが、トウマさんとも一応の関わりがあるからです。私たちが軍の者であると、わかっていただけましたでしょう」
「それはまあわかったけれど、なんで警備隊長やらが自らこの島に……」
「まず、その前にお訊ねしたいことがあります」
ベムが手を挙げてトウマの質問を制した。
「私どもは、あなたとゼノさんとが同じ抜刀隊に属していたことは把握しておりますが、今回はどのような用件で、この島に来られたのですか」
「いや、偶然、この島に住んでいるてことを知って、久しぶりに会いにきただけなんだけど」
「……大佐、報告の通りです」
傍らに控えているも、うひとりの大男がベムに囁いた。
「なんだよ、報告て」
「私どもは毎日、乗客名簿を確認しているのですが、昨日、乗客名簿にあなたの名前を見つけ、急ぎ駆けつけました。次の船まで日数があるので、この船に乗るだろうと見当をつけましたが、いや、ここで会えて良かった」
「だから何だよ。警備隊長さんが俺に何の用だ」
鋭い目を注ぎつつも、害意はないと覚るとトウマの手は刀から離れていた。それよりも彼らの言動に関心が移っていた。
「私どもに、手を貸していただきたいのです」
「手を貸すだって?」
「このイハルタ……、いや“青の国”に関わる重要な問題をこのイハルタは抱えております。これまで、あなたには旅先で様々な難問を見事に解決している。我々はこれを千載一遇の好機と捉えました」
「……」
「このイハルタに住む、シャクザという男をご存じですか」
「シャクザさんだって?」
ゼノが驚愕して身を乗り出してきた。ベムはしっと人差し指を口の前に立てると、部下の二人が船外を素早く見渡した。ベムの部下という乗務員が、少し離れた杭に腰掛けた状態で煙草を吸っている。見張り役なのだろう。部下と目が合うと、視線だけこちらに向けて頷くのが見えた。漁港の漁師たちはこちらに気がついた様子もなく、網を編んだり荷運びしたりと忙しく動き回り、自分たちの仕事に没頭しているようだった。ベムはこちらにとトウマ達を船内に招いた。トウマとゼノが正面の席に座るのを待って、ゆっくりと口を開いた。
「この島で問題を抱えていると申しましたが、ゼノさんは新規の住民がここ数年で増えすぎだと思いませんか」
「たしかにそう思うけど、話を聞くとアオルタで仕事がないという人もいるみたいだし……」
「一方で、古い住民がこの島を離れていく。アオルタなどで仕事を求めるために、ということになっていますよね」
「“なっている”?」
ベムの奇妙な言い回しに、トウマが訝し気に聞き返した。トウマのまっすぐな鋭い視線を、ベムは正面から受け止めている。表情を硬くさせたまま、ベムがそうですと言った。
「そう、“なっている”です。シャクザがイハルタに来てからこの2年、離れた島民の所在がいまだに不明なのです」
「嘘でしょ」
ゼノは失笑していたが、その頬は明らかに強張っている。
「村長はアオルタでちゃんと働いていると、ほら、羊飼いのラデカさんだとか、漁師のミテグロさんは繊維の工場で働いているって」
「それは私どもも耳にしておりまして、極秘に調査しました。しかし、島を離れて該当する人間がおらんのですよ。いや、イハルタを離れて隣の島に着いたのすら定かではない。となれば、何故、村長は働いていると主張するのかです」
「……」
「説明すれば話が長くなります。結論から申しましょう」
ベムはトウマとゼノを交互に見ながら、決然とした口調で言った。
「シャクザは、わが国の裏切り者です」




