どういうわけだ
翌朝、トウマはひとりで島を散策していた。
嵐のように吹き荒れた風もなく、さわやかな青空から心地よい光を島に注いでいる。道に沿うようにして連なる石垣の向こうで、海藻や石灰岩をその上に敷いて畑づくりしている村人や、放牧された牛や羊たちをなんとなく眺めながら、目的もなくぼんやりと歩いていたのだった。今日は刀を持たずに歩いているので腰も軽く、日差しも申し分なかったが、多少の丘陵はあるものの山や森のない代り映えのない景色に、一時間ほど歩いて飽きも感じ始めていた。ゼノの話では島の息を呑むほどの断崖や、地殻変動と波によって形成された“巨人の腰掛け”と呼ばれる奇妙な石柱の集合が島の北西部にあるのだが、冒険を常としているトウマの好奇心を刺激するものではなかった。ゼノの強い薦めがあるからやむなく足を向けたが、ちょっと見ただけで散歩に戻ってしまっている。
一旦、帰ろうかなと考えていると、向かいから犬とともに牛を連れた娘がやってきた。犬が娘の先を歩き、娘はうつむき加減なので犬に引っ張られているように見える。見覚えがあるなと目を凝らすとツバキだったので、やあやあと軽々しく挨拶するとツバキは驚いた表情で顔を上げた。
「やあやあ、昨晩とシチューはどうも。シチューの礼はあの時に言ったっけか」
「いえ……」
消えそうな声でツバキが返した。
あの時というのはシチューを食べた後、ゼノの二人で居酒屋に出掛けて、その時にも店で働いていたツバキに会っている。礼を言う傍らで居合わせた村人たちと痛飲し、しこたまに飲んだゼノは二日酔いで、今も寝込んでいるのだった。
「ゼノに案内してもらうつもりだったんだけど、飲みすぎて寝込んじゃってさ。俺の記憶の中でも珍しい。あいつて酒強くて、泥酔なんか滅多になかったのに」
「……」
「バカ話ばかりで、ツバキさんとあまり話しなかった気がするけど、君、あそこで事務員やっているんだって?」
「え、はい……」
「どう、大変?」
「え、まあ……」
会った時の様子と今の2つ3つのやりとりでわかったが、ツバキは人見知りが激しい性格らしく、まともな返事をしてこない。同僚のアリサ・サーバンスも相当な人見知りをするタイプだが、ツバキはそれがさらに深刻なように感じられた。顔立ちは良いのに、常に陰気な影を残してうつむき加減のまま、トウマと目も合わそうとしない。沈黙の間が生まれ、なんとなく気まずい空気ができたので去ろうとすると、あのとツバキが呼び止めた。
「トウマさんて、先生とお知り合いなんですよね」
「うん。いわゆる戦友」
「どんな人、なんですか」
「どんな人て、見たまんま美男子でしょ」
「え、優しくて顔立ちも素敵だし、銀色の髪が綺麗で……」
そこまで言ってから、ツバキが急に頬を染めたのを見て、トウマはおやと心が弾むような気分になっていた。ゼノ本人は興味ないような話をしていたが、ツバキの方が年頃の娘に相応しい感情をゼノに懐いているようではある。
「仕事での付き合いもあるわけだし、今はツバキさんの方が詳しいんじゃないの」
「え、そうなんですが……」
「なにが不安なの」
「先生は、自分の過去を語りたがらない方なんです」
「……」
「良い方だなて思うんですけど、やっぱり兵隊さんですから……」
「そっかあ。ま、たしかに兵隊さんは怖いよな」
トウマは自嘲気味に笑い飛ばそうとするが、頬が強張りを感じて笑いきれずにいた。
戦場で人を殺してきた人間たち。
他人の血で汚れた手をした人間たち。
誰もが懐いているであろう感情を目の前で。しかも恋愛に発展しそうな場面で、純朴で大人し気な娘から突然聞かされると、不意打ちで後ろからハンマーで殴られたような気分に陥っていた。トウマは苦笑いしつつも寂しい気持ちが生じてくるのが否めなかった。渋い表情をしながらぎこちない笑みを保ったままでいたが、胸が苦しくなり次の言葉が出てくるまでしばらく時間が掛かった。
「たしかに戦場では色々あったよ。でも、ゼノは良い奴だよ。本当に」
「……」
「ただ、思うのは、ゼノが過去を語りたがらないというけれど、ツバキさんの方はどうなんだい」
「私、ですか」
「過去の話を打ち明けるじゃなくてもさ。ゼノとちゃんと本心で向き合っているのかなと思ってさ。一緒に仕事しているわけなんだから、話す機会もあるんじゃないの」
「私、仕事中は、これといって会話もしないので……」
「向こうから打ち明けて欲しくても、こちらから何も話さないてのはどうかなと思うよ。別にべらべら何でもしゃべれてわけじゃないけどさ。ツバキさんの求めていることて、あんまフェアに感じられないな」
言いながら、トウマは自分の言葉が冷たくなっているのに気がついた。
ツバキの言葉に自分が思っているよりも傷つけられて、語気が鋭くなっているようだった。自分が言っていることに間違いはないはずと思っているが、一方でか弱い娘にぶつけてしまったようで、苦い気分になっていた。その気分をツバキが察したのか、ツバキは顔色を変えてごめんなさいと小さな声で謝ってきた。
「私、こんな暗い性格だし、自分に自信が持てなくて、こういう時どうしたらいいかよくわからなくて……」
「いや、いいんだ。厳しく言ってしまってごめん」
「私も失礼でした。ここに来てから2年くらいで、島の厳しい生活にもまだ馴染めなくて……」
「2年?」
トウマは驚いて声を上げた。少し声量が大きかったらしく、ツバキが思わず体をのけぞらせていた。
「イハルタに来てからまだ2年なの?昔から住んでいたのと思っていたけど」
「え、私、父に連れられてこの島に……」
「おい、そこで何している」
だみ声が響き、振り向くとツバキが来た方向から、濃いひげを蓄えた大柄の男が牛を連れて歩いてくる。昨夜、ゼノとふたりで行った居酒屋の主で、ツバキの父親でもある。酒で騒ぐ客の中でむっつり押し黙り、無愛想で横柄な男だと思ったものだが、こうして陽の下で再会すると、改めて陰気な性格が浮き彫りとなったような険のある顔つきをしている。
直接は聞かなかったのだが、その時に居会わせた客の話によると、主人の名はシャクザというらしい。
「ぼさっとしてねえで、早くいかねえか」
「あ、はい。ごめんなさい」
シャクザから叱られ、ツバキはトウマに勢いよく一礼すると、急ぎ足で牛を引き連れて遠ざかっていった。その後をシャクザが通り過ぎていくが、ぎろりとトウマを一瞥するだけで会釈すらしない。無愛想というより無礼の類だと思えたが、不思議と腹までは立てなかったのは、シャクザに引っ掛かるものを感じていたからだった。
――あれって、敵意の目だよな。
トウマは歩きながら、シャクザが去り際に送ってきた視線が気になっている。
ゼノの家に戻るつもりでいたが、それだとシャクザが向かう方向と同じになってしまう。無愛想な親父と同道する気分にもなれず、気づまりな時間を避けるために、遠回りをして帰ることにしていた。
歩きながら、トウマはゼノと居酒屋へと訪れた時も、あの目だったとトウマは思い出していた。
辺境に住む島の人間だから、外から来た人間には警戒心を懐くのは当然のようにも思えたが、トウマの戦士としての鋭い勘は、それが戦場や戦いで向けられる目と同様のものであると見抜いていた。旅の中で訪れた村の人間たちから警戒の目を向けられた経験は何度もしているが、それらとは明らかに違う。その鋭い視線がゼノばかりではなく、シャクザとは初対面の自分にも向けられている。
ひとつとして考えられるのは、シャクザが兵隊嫌いということだった。
親兄弟、恋人が殺される。或いは戦場に向かわされる死か行方不明。もしくは人が変わってしまう。悲惨な体験をして兵隊を嫌う人間も多い。トウマやゼノが元兵士という話は、人見知りのツバキが知っているくらいだからシャクザ知っているはずで、忌まわしい過去の記憶から、その怒りをトウマ達にむけていると考えるのが、もっとも納得いくものではあったが、それでも釈然としない部分が残りのはシャクザの敵意のある視線が引っ掛かているのかもしれない。
「トウマ、どこに行くつもりだい」
声を掛けられハッと気がつくとそこはゼノの家の前で、コップ片手に歯磨きしながらゼノが玄関先に立っている。二日酔いがまだ残っているのか、気の抜けた顔つきでぼんやりとしている。昨夜の酔い覚まし眠気覚ましのために、太陽の光を浴びに出たのだろう。
「ちょっとぼんやり考え事してたから、気がつかなった。通り過ぎるところだった。今、起きたばかりか」
「やっとね。で、どうだったい、“巨人の腰掛け”」
「うん、まあ、面白かったよ」
曖昧に返事をしてから、トウマは話を変えた。
「さっき、ツバキさんとその親父さんと会ったけどさ、あの人ら2年前にきたばかりなのか」
「そうだよ、話さなかったかな?」
「いや、初耳だ。何代にも渡ってこの島に住んでいる人かと思っていた」
「意外とこの島は新規さんが多いんだよ。戦争に出て帰ってこられない人もいるし、稼ぐために出て行っちゃう人もいる。だから、過疎化が何年も前から問題になっててね」
「だけど外の人間が、よくこんな厳しい環境の島に住もうて気になるな」
「シャクザさんの紹介らしいよ」
「シャクザて、あのシャクザさんが?」
トウマが驚いて目を丸めると、ゼノは歯ブラシを加えたまま肩をすくめた。
「あんな無愛想なのに、不思議と顔は広いんだよね。シャクザさんから村長さんに働きかけて、呼んだ人を空き家になった家に住まわせて仕事を与えているんだよ。僕がイハルタに住むようになって5世帯は増えたかな」
「5世帯も……」
「古い島民と、急に増えた新規との折り合いが難しくてねえ。ここにも島の伝統や文化というものがあるから、やっぱり馴染めずに、旧島民と新島民の派閥みたいなものができちゃってるんだよ。ほら、昨日、居酒屋に来た客も新規の人らなんだ」
「お前も新島民派か?」
「僕は一応、この島の役人だよ。公正中立じゃないと」
ゼノは渋い表情で言った。
ゼノはこの島の問題について心を痛めているようだが、トウマのような疑念は持っていないようではある。アオルタのような都会ならまだしも、この辺境の地で5世帯も増えるのは多すぎるように思えた。先ほどから懐いているシャクザへの疑念が、次第に大きくなっていくのをトウマは自分でも感じていた。
「どしたの?何かあった」
歯を磨きながらゼノが訝しむように、うつむくトウマをのぞき込んできた。トウマはいったん口を開いたものの、喉まで出掛かった言葉を押し込めて、無言で首を横に振っただけだった。
「なんでもない。それより飯にしようぜ。散歩したら腹が減っちまった」
「まだ11時だよ。昼にはまだ早いって」
「昨日のシチュー、まだ残っているだろ」
そう言って、トウマは足早に建物の中へと入っていった。
トウマがこの地に訪れたのはただの休暇であって、かつての戦友に会うためである。
旅の中で剣を振るって様々な事件を解決してきたが、巻き込まれたものであって自分から積極的に望んだものではない。この島で不審や複雑な問題を抱えているのだとしても、それはイハルタに住むゼノたちが考えて解決するもので、外部のトウマが不用意に口出しするところではない。
一週間休暇をもらっているものの、移動には1日以上の日数を要するので、明日には島を離れなければならない。それを考えると、さほど長い休みではなかったがトウマはただの勤め人である。
無断で自分の仕事を休むわけにはいかなかった。




