その”岩の島”にいるという
そういえばさあとトウマ・ライナスが手紙の束を手にしながら、隣のアリサ・サーバンスに語り掛けた。ふたりはアオルタ市内の区域ごとに分けられた棚に、それぞれ手紙を仕分けている。はじめは間違えないよう神経を使うが、慣れれば単調な作業ではあるために、ふたりのように雑談しながら作業を行う者も多い。
「アリサちゃんて、ふれぐらんすおいるて知っている?」
「……リラックス効果を高めるために女性たちの間では重宝されているものですが。どうしたんですか、急に」
「最近、配達が終わって、休んでても疲れがなかなか抜けなくってさ。ふれぐらんすおいるというのが良いと聞くから、一度は試してみようかなと思ってんだ。でも種類が多いみたいだし、どれが良いのかよくわからなくて」
「自身の精神を落ち着かせるためのものですから、私の経験ですと、好みの匂いを選ぶことが重要だと感じます」
「アリサちゃんも使ってんの」
「自らの精神を落ち着かせるためですから。私はシトラスの香りを好みます」
「へええ、でもさあ……」
トウマ・ライナスは普段からおしゃべりというわけではないのだが、相手が口数の少ないアリサなだけに自然とそうなるのか、トウマとアリサとのおしゃべりはトウマがとめどなく話をしている格好となる。
フレグランスオイルから話は自然と昨日の食事内容、町の噂話に配達時に出会った奇妙な人間たち……。
アリサはいつも通りの無表情でいるのだが合間に反応し、そのタイミングがちょうど良いため、トウマもつい中身の無い話を続けてしまう。アリサとしてもトウマの中身のない雑談が嫌いではなかった。喫茶店で流れるクラシック音楽や、鳥のさえずりでも聴いているような心持ちとなれる。
そんな他愛もないおしゃべりをしながら、それまで手紙を手早く仕分けしていたトウマだったが、何かに気がついて不意に手が止まった。隣で同様に仕分けをしていたアリサが、不審に思ってトウマを見ると、トウマは一通の手紙にじっと目を落としている。
「どうしました」
「いや、なんでもないよ」
アリサが訊ねると、トウマは急に我に返ったような顔つきとなって、照れくさそうな苦笑いをして再び手紙の仕分けを始めた。アリサもすべて見えたわけではないが、たしか手紙の住所に“アロナ諸島”と書かれてあったと記憶している。
――アロナ諸島……。
アオルタから南西部に位置する島だとぼんやり思い出したが、思い出したのはそこまでで、トウマが再び雑談をしてきだしたので、アリサはアロナ諸島などすぐに忘れてしまっていた。
そんなことがあってから半月後だった。
トウマ宛に一通の手紙が届くと、トウマは配達の任務を終わらせた後、2週間の休日をとった。
※ ※ ※
トウマが休みをとったということ自体は珍しいものではないが、2週間という長期間な上に、旅行に出かけたというルーク・ターレスからの話にアリサは少し驚いていた。もっとも、相変わらずのポーターフェイスを保ったままで、青い瞳をじっとルークに向けている。
「トウマさんひとりで、出掛けたのですか」
「ええ。ボストンバック片手に」
「珍しいですね。トウマさんが旅行なんて」
“配達士”の仕事は、危険な旅が中心となる。その反動もあって、休日は町でのんびり過ごすことが多い。これはトウマだけではなく他の“配達士”にも見られる傾向で、トウマが旅行に出掛けるなどこれまでにはなかったことだ。
「それで、どちらに」
「町の南西にアロナ諸島てあるじゃないですか、あそこの“イハルダ”らしいですよ」
「アロナ諸島のイハルダ……」
「辺鄙な島と聞いてますけど、何か観光するに良いとこありましたっけ」
「さあ……」
アリサは首を捻った。
イハルダはアロナ諸島の中にある島の一つで、岩の大地が広がる厳しい環境の島として知られている。雑草が生える程度で農耕に適した土地も満足にないために、岩から採れる石灰岩と海藻を土替わりにして畑にしていると聞いている。別名“岩の島”とも呼ばれており、アリサはイハルダへ足を運んだことはない。大昔は城もあったというが軍事拠点としても不便な場所らしく、今は城跡だけが残されている。軍の巡回船が島の周囲を巡回し、月に一度、島の村長から報告を聞くのと日報の提出だけとなっていた。
――あの手紙と関係あるのかな。
アリサは半月以上前、アロナ諸島から送られてきた手紙を、トウマが神妙な面持ちで見ていたのを思い出していた。誰か知り合いがいるのかもしれないとまでは思ったが、ルークにも話していないのであれば、あれこれ話して見ても、これ以上の答えははっきりとしないだろう。それに別の不満がアリサにはある。
「……言ってくれればいいのに」
行先がどこであれ、誘ってくれればついていったのに。
アリサにはそんな不満が胸中にあった。半ば弟子のルークにも詳細を話していないのに、アリサにだけ打ち明ける理由もないのだが、普段は他愛もない雑談を自分からしてくるくせに、いざとなったら何も話さない。そのじれったい気持ちと神妙な面持ちでいたトウマの表情が、アリサの胸の奥底にある乙女心をくすぐって不満という形となって表れていた。
「ああ、ごめんなさい。報告、遅かったですか」
「あ、いえ……」
アリサは慌てて手を振った。ルークが休暇届の報告と勘違いしたらしいので助かったが、自分の呟いた言葉が思ったよりも大きかったことにアリサは内心、焦っていた。
※※ ※
アオルタの港を出港してから半日。アロナ諸島の各島々の港に寄ってさらに半日。
定期便がアロナ諸島のひとつイハルダに到着したのは、朝7時頃だった。激しい波に揺られたせいもあってか、アリサに教えてもらったフレグランスオイルの効果もさほどなく、トウマ・ライナスは青い顔してイハルタの港に降り立った。乗客はトウマ一人だけだった。
「さてと……」
トウマは辺りを見渡しながら、兵隊時代から使っている軍隊用のリュックを担いだ。定期便が寄るだけではなく、漁港としても使われているので、近くに漁船が係留されているものの人の姿が見当たらずに物悲しい様相を呈している。倉庫らしき小さな建物も3棟ほど並んでいるが、人が出入りしている様子はない。荒波のために休漁なのかもしれないとトウマは思うことにして歩き出した。
十年ほど前に軍によって整備されたという漁港とどこかに繋がるアスファルト製の坂道が、ようやく人の手が加わったと感じさせる程度で、周囲を見渡せばごつごつとした岩肌ばかりの断崖が目立ち、草木はほとんど生えていない。樹木は一本も無かった。
ゆるやかな坂を上がると、道を挟むように石垣が積み上げられ、賽の目のように区分けされているのが目に入った。その辺りから草木の姿が広がり始め、石垣の間に広がる草地の中を牛や馬が放牧されていた。遠くに民家らしき集落もちらちらと見える。何か救われたような思いに、トウマは安堵のため息をついていた。
――不毛の島か。
イハルタがそう呼ばれているのは以前からなんとなく耳にしていたが、こうして目の当たりにすると、改めて納得する思いがした。このイハルタには土と呼べるものがなく、海藻とこの島で採れる石灰岩などを使って畑の土代わりにしているという。強風で土は吹き飛んでしまうため、石垣で囲っているのはそのためだった。どうしてこのような過酷な地に、人が住み着くようになったのか。それがトウマには不思議でならなかった。
「……ええと、たしかここからだっけか」
トウマは最初の十字路に差し掛かるとリュックから一通の封筒を取り出し、中の手紙を読み始めた。一通り読み流すと、トウマは十字路を右手に曲がって歩き出した。しばらくは代り映えのしない石垣が続く道だったが、数十分も歩くと民家が次第に増えてくる。途中、畑で野良仕事をしていた老人に声を掛けた。
「ちょっと、ここまで行きたいんだけど、遠いのかな」
始めは胡散臭そうにして、じろじろとトウマや腰の刀や軍用リュック等を眺めていたが、トウマが手にした封筒に示された住所地を見せると、老人はああと声をあげた。
「“先生”のとこか。ここからなら、20分くらいだな」
「先生?この島じゃ、役場の整備士やっているて、聞いたけど」
「いてくれて助かるけど、やっぱ暇仕事だかんな。合間にこどもたち相手に音楽や文字教えたりしてっから、先生て呼ばれてんだよ。音楽好きだから、近くなりゃ、ピアノか楽器の音が聞こえてくるよ」
「まだ弾いてんだ。あいつらしいな」
「あんた、あの先生と知り合いかい」
「まあね。兵隊の頃から今までどこにいるかわかんなかったけど、手紙を配っていたら偶然知ってね」
「“配達士”かあ、あんた」
狭い村である。
よそ者には警戒心が強いと感じ、後ろめたい仕事をしているわけでもないので、正直に身の内を明かすと、納得した様子で途端に老人は警戒の色を解いた。どんな難所でも手紙を届ける“配達士”は、この島でも好感度が高いらしい。老人は感心した様子でしきりにうなずき、採ったばかりのじゃがいもを渡してこようとするからそれを丁重に断って、礼を言って老人とわかれた。
「使ってねえ教会を仕事場と家にしてっから。すぐわかるよお」
老人の声が追いかけてきたので、トウマは手を振って返した。それから、わずかな勾配のある道を進むうちに、風にまぎれてピアノの音がトウマの耳に流れ込んできた。音の在処をさがすと、それは右斜めに見えてくる教会らしき建物から聞こえてくるようだった。低木に囲まれたその建物は、壁は苔だらけでところどころが崩れていた。アスファルト舗装された道から分かれるようにして、一本の石畳の道が教会へと伸びていく。実際は石畳というより、岩盤が露わとなって石畳のように見えるだけなのだが。
「さあて、あいつはどんな顔するやら……」
トウマはニヤニヤしながら、教会の敷地内に踏み入れた時だった。
静かに奏でられていたピアノの音が、ピタリとやんだ。それにトウマがふっと小さな息を吐くと、表情を引き締めて教会の出入り口の戸へと足を進めていく。静かに、しかし足幅は広く、どんどんと進んでいく。やがて扉まで数メートルの距離に達した時だった。
トウマの足がピタリと止まった。
風が唸りを上げている。
強風の中、重く迫る気配を感じた瞬間、トウマは身を翻し、腰の刀を鞘ごと抜き放った。
ガシンと硬い物質同士が衝突する音が、風にまぎれて四方に拡散した。トウマが振るった刀の向こうに、拳を向けている一人の青年の姿がある。細面で痩身、そして銀髪の男。しかし、ただの拳でないことは、拳を覆うように燃え上がる炎でわかる。
やるねえ、と銀髪の男がさわやかに笑った。
「さすがは“疾風”トウマ・ライナス」
ずいぶんな挨拶じゃねえかとトウマも笑った。
「久しぶりだな。“陽炎”ゼノ・クライブ」




