少しずつ
「魔法ヨガダイエット?」
聞きなれないエクササイズに、トウマ・ライナスは手にした熱いコーヒーから目を離して聞き返すと、人ひとり分通れる間を挟んで隣席に座るアリサ・サーバンスに顔を向けた。そのアリサは、“配達士”たちが提出してきた経費や領収書、報告書をにらむようにして別の書類にまとめながら、トウマの問いに頷いた。
この日、トウマはテスラという若い“配達士”と同僚のニッカ・ボッカ相手に、局内で説明会を行っていた。
一週間前にレムリという村までの定期ルートが拓かれ、テスラがその担当を任されたのだが、“配達士”としては日が浅い上に剣が未熟らしく、同僚のニッカとしばらく行動を共にする。レムリ村は定期ルートとなる前にトウマが手紙を配達した村である。トウマはレムリまでの心構えの他、地理に魔物の種類、適した休息場所や土地柄に人柄、治安など当時の報告書を交えてテスラに説明し、質問があればそれに答えていたのだった。
その説明会には2時間ほど掛かったのだが、終わるタイミングを見計らって、アリサがコーヒーを淹れてくれ、隣の席で休憩がてら、アリサの業務に差し障りのない程度の雑談をしていたのだった。“魔法ヨガダイエット”は、その話の流れで出てきた名称である。
「最近、流行りのようです。ヤーセル・フトウルという方が考案されたものなのですが、書籍も売れています」
「俺は魔法ヨガダイエットて聞いたことないけれど、なにすんの」
「特定の魔法の力を発現段階で一定に維持し、そこから複式呼吸と様々な動作を行うことで集中力を向上し、さらにストレッチ効果による体の柔軟性や、発汗効果を促すのでダイエットに良いとされているのです」
「ふうん」
トウマとしては、体を鍛えたい自分を変えたいなら、その辺りを走るだとか、重いものを担ぐだの、ワーワーとミット打ちや飛んだり跳ねたり心肺機能を鍛え、素振りしたり、実践的な稽古をしたりするくらいしか思いつかない。多少の体重の増減に何の意味があるかわからず、思いっきり汗かいた方がビールも旨いし良いじゃないかと思うのだが、多くの女性はそうではないらしい。郵便局前の日雇いで稼いでいた時期には一度、職場で仲が良くなった女の子のひとりからダイエット関連の相談を受けて、「どんなに疲れていても、腕立てスクワット腹筋を50から100回やればいいよ」と大真面目に答え持論を語ったたら、ゴミを見るような冷たい目をされた覚えがある。
理不尽なしごきに流血や骨折など当たり前で、限界を超えた訓練。
飢えと渇きが常につきまとう戦場。
そんな軍と戦場と施設以外に世界を知らなかったトウマとしては、なかなかなショックな反応だったので、以降、女性向けダイエット書籍などにも目を通すようになったのだが、軍のしかも抜刀隊という精鋭特殊部隊に身を置いていたトウマとしては、背伸びしましょう足踏みは15分。握りこぶしでアームカールしましょうという温すぎる鍛錬方法にはまったく共感も理解もできないままでいる。だが、その中で、アリサはワーワーとやりたがる少数派だと思っていたから、ヨガやダイエットに興味を持っているのが意外ではあった。
「アリサちゃんが、そういう一般的なダイエットやヨガに興味あるの意外だね。もっと実戦的な訓練が好きかと思っていたけれど」
「私もそちらのが好みですなのが」
雑談しながら書類をまとめ終えて、束をトントンと揃えながらアリサが寂しそうに小さく笑った。
「この体では、そういった訓練が難しいのです」
「……」
「この左の義手も精巧なつくりではありますが、耐荷重と吊上重量はせいぜい15キロから50キロ程度と聞いています。それでも、それなりのトレーニングは行えるはずですが、やはり目安でしかありませんから無理ができません」
「……いやなこと聞いちゃって悪かったな。ごめんね」
「いえ、この義手が万能のように思う方もいるので」
「ついでに訊くけどさ、義手が人の手みたいに動くのに義足が棒きれみたいなのも、それと関係しているのかい」
「そうですね。足の方は動きや人の重さに耐えられないということです」
「そうかあ……」
アリサにとっては繊細となってしまう部分へ不用意に触れてしまった気がして、トウマが口をつぐんでしまうと、途端に空気が重くなるのを感じた。アリサもその空気を察してのことだろう。暗い影を浮かべるトウマに努めて明るく声を掛けた。
「魔法ヨガダイエットて、どんなことするかわかりますか」
「よくわかんないけど、どんなの」
「基本はヨガの腹式呼吸を用いますが、胸式呼吸を用いるところに、このダイエットの特殊性があると言えます」
「ピラティスみたいな要素もあるのか」
「そうですね。例えばこうです」
アリサはおもむろに立ち上がると、自分の衣服を寄せるようにお腹に手を当てて、深々と深呼吸を始めた。アリサのゆるやかな呼吸とともに、波打つように胸やお腹がゆっくりと動いていく。その間、アリサは静かに、まっすぐ正面に視線を向けている。
「精神の集中に、体幹の強化と矯正。様々な動作を通したバランス感覚の維持。私にとって、これは最も適したエクササイズであると確信します」
「なるほどねえ。アリサちゃんにはいいかもしれないな」
トウマはアリサの説明に一見、神妙な面持ちのまま腕組みをして大真面目に頷いている。
なにか忘れている。
そんな気がしたが実際のところと言うと、トウマとしてはそれどころではない状況だった。
トウマはアリサが教授する部分とは、まったく違った部分に神経を集中させている。
アリサが衣服を寄せて、魔法ヨガダイエットの基礎である呼吸法を実践していることで、アリサのふくよかな胸だとか、稔りのある尻のラインがトウマの目の前でありありと強調されている。トウマが真剣な眼差しをむけているのはそちらだった。
――眼福、眼福。
トウマは腕を組んだまま、表情だけはいかにも感心したようにうなずいてはいたのだが、実際には頭の中で両手をすり合わせるようにして、アリサを凝視していたのだった。
良いものを見たなあと愚かにも内心ほくそえんでいたのだが、アリサの言葉がふと耳朶を打つと、これまで気掛かりだったものが脳裏に蘇って、体が瞬時に硬直した。
「……こんなこともできるようになりました」
見上げるとアリサは右手の人差し指を立てて、小さな光を滞留させている。ほんの微量の魔力である。それを銃に模した形で、受付窓口に置いてある鉛筆立てに狙いをつけていきなり放つと、鉛筆立てが軽い音を立てて倒れた。受付窓口にいた客や突然倒れた鉛筆立てに局員も首を傾げただけで、アリサが放った魔法だと気がつく者は誰もいなかった。
トウマだけが呆気に取られて、局員が鉛筆立てを戻す様子を見つめていた。
「どうですか、トウマさん」
「アリサちゃん、魔力を制御できるようになったんだ」
これまで魔力を制御できず、常に戦場を焼け野原としてきたアリサは、それ故に敵味方からも恐れられてきた。アリサの戦闘スタイルが肉弾戦が主体になったのもそのためなのだが、“魔法ヨガダイエット”などという怪しげなエクササイズが、アリサの尋常ではない魔力をコントロールさせるきっかけとなったというのが何よりも驚きだった。アリサは椅子に座ると作業を再開させて、そのまま話を続けた。
「はじめは苦労しましたが、以前よりはずっと魔法をうまく扱えるはずです」
「はずどころじゃないよ。驚いちゃったよ、俺。前のアリサちゃんだったら鉛筆立てどころか四方数十メートルは焼け野原にしていたでしょ」
「そんな焼け野原にしていた自分を変えたかったから……、ですね」
「でも、それなら魔法を使わなければ良いんじゃないの。戦争は終わったんだぜ」
「そう思っていましたが、クロン・ステイシアが私の考えを変えさせました」
「どういうこと?」
「クロンとこのアオルタで事件を起こした時、私は周りへの被害を恐れて、魔法を使えなかった。何もできませんでした。見ているだけ」
「……」
「クロンはまだ生きており、クロンが加わっている“彩花衆”の動きも気になります。また “彩花衆”と関わることになり、その時にまた何もできないでいるというのが、私は嫌なのです」
「……俺はアリサちゃんに戦ってほしくないけどな」
トウマが顔をしかめると、私も戦いたいわけではありませんとアリサは書類をめくりながら言った。
「以前のように、戦える体ではないことくらいはわかっています」
「……」
「でも、あの時、クロンと戦っていたトウマさんを、ルークや街を守ろうと戦っていたトウマさんを支えるぐらいはしたいのです」
ちらりとトウマに微笑を向けると、再びアリサは書類に目を落とした。無表情で端麗な横顔は、戦場で見掛けた時と少しも変わらない。巨大斧や剣を振るい、敵味方を戦慄させた“戦乙女”のままだった。だが、トウマは胸にあたたかなものが広がっているのを感じている。人の変化というものは、このようなささやかな努力によって、もたらされるものなのかもしれない。少しずつ進み、足踏みすることはあってもそれでも歩む意志をやめない。アリサから人のあり方を教えてもらったような気がしていた。
その後はふたりとも無言のままで、トウマはコーヒーに口をつけていた。
まだコーヒーは熱を保っていて、熱い苦みが舌と心を刺激していく。
「アリサちゃんが淹れてくれるコーヒー、おいしいね」
おもむろにトウマが言うと、アリサが顔を上げてちらりと白い歯をのぞかせた。
「よければ、もう一杯飲みます?」




