得るものがあるはずだから
春の陽光が木々の隙間からチラチラと差し込む静かな森を抜けると、トウマ・ライナスは高い丘の上に出た。
眼下にはゆるやかに起伏のある草原が広がり、所々に木々が寄り添うように集まっている。森からは未舗装ではあるが道が出来ていて、草原の中を一本の筋が通るようにはしっている。その道を追うと、緩やかな丘の向こうに川が流れてそこに集落が見えた。
話によると百軒ほどの家が集まるシエンタという小さな町で、その町の奥へと視線を移すと、行く手を阻むような高い山脈が浮かび上がっていた。馬上のトウマは地図を片手に、辺りの風景と地図を何度も見比べていた。
地図には赤い線が記され、町らしき記号の横に「シエンタ」と書かれた文字が赤丸で囲まれ、そこから矢印は山脈へと向かっている。
「トウマさーん!」
後方から子供の声が響き、光に照らされて一頭の馬が駈けてくる。駈けてといっても早足気味といったところで、馬上ではルーク・ターレスが大きく手を振っている。その背丈よりも大きな大剣が、ルークの背中で揺れている。
「で、どうだった?」
「さっきの警備隊の人に訊いたんですけど、やっぱりシエンタから先は、集落がないそうです」
「なら、あそこで一泊して準備を整えるしかないな。日がまだ早いけど」
「そうですねえ」
ルークはニコニコしながら言った。今だけでなく、旅に出てからずっとニコニコ顔だ。
「嬉しそうだね。怖くないのかい」
「そりゃあ、怖いですよ」
ルークは笑みを浮かべたまま言った。
「いくらこの地域が比較的安定してると言っても、こんな仕事が残っているように、どんな魔物や悪党が現れるかわかりませんからね」
「……」
「でも、トウマさんとこうやって旅する機会なんて滅多にないでしょうし、一人前とまではいかなくても、半人前の男にはなれたのかな、てのが嬉しくて」
ルークの瞳の輝きは、太陽の光のせいばかりではないだろう。認められたという誇りや達成感が、ルークの全身から溢れているようだった。
男とルークが言ったように、遠方に旅立つ“配達士”に女性は起用されていない。
金品を扱うだけでも野盗に狙われる可能性が高いので、基本的に手紙以外扱わない決まりになっているのに、いるだけでも価値がある女性を出すわけにはいかないというのが理由にある。戦争が終結して間もなく人手が足りない頃に、やむなく女剣士がとある村で命を落とした事例がある。トウマとは別の特殊部隊に属していたほどの優れた女剣士だったが、村の若い男たちに寝込みを襲われ、命を落としたのである。以後、ミラルカは頑として女性を“配達士”として起用することはなかった。
ルークもその危険を承知しているからこそ、なおさら使命感に似た感情が生まれているのだろう。
「本心言えば、トウマさんから習ったことや父の形見である剣を、実戦でも生かしたいところですが僕のレベルじゃまだまだですし……」
「ま、旅はただ刃を交えるばかりがすべてじゃないからな」
「……」
「町や村人たちの人情や気風を知り、旅の中で風や空の動きを読む。万が一の敵に備え俺たちに優位な地形を把握する。どんな水が良くてどんな水が悪いか」
「……」
「何が食えて何が毒か。怪我をしたらどうするか。雨を凌ぐには。どんな家なら安心して寝泊まりできるか。クソをどこでするか。そこで得た経験もきっと役に立つと思うぜ」
トウマが一応は師匠らしいところみせてを言うと、ルークはそうですねと無邪気に返事した。
「何かあったら、トウマさんがいますし、コレルもいます」
言いながらルークは、自分が乗る馬の首をさすった。
今回、トウマはテマという別の若い馬に乗り、パートナーとしては長い付き合いのコレルにルークを乗せていた。頭が良く大人しいコレルなら、ルークの身を任せられる。
「しっかし……」
トウマは正面を見据えてため息をついた。
「ファルトマまで遠いよなあ……」
「そうですねえ」
ルークはやはり笑顔を崩さない。
トウマたちの視界に映るシエンタは通過点でしかなく、目的地ではない。
はあっと深いため息をつくと、トウマとルークは手綱を小さくたたいて、それぞれ跨がる馬に進行を促した。
※ ※ ※
シエンタに到着する3日ほど前、トウマはミラルカ局長に呼ばれて渡されたのが一通の封筒だった。これを配達してくれという。
縁は金色の刺繍が施され、紙の材質は明らかに一般のものと異なる高級品だ。ただ、宛先も氏名も書かれてないのがトウマには気になった。
「この一通……ですか」
「そう。この封筒をファルトマのある人物まで届けて欲しいんだ」
「ファルトマて、たしか東の果てにあるとかいう町ですよね。聖職者たちが竜神を祀るために生まれたとか。俺は行ったことないけれど」
「そこまで行って、この手紙を渡してもらいたいんだ」
「でも、あのルートなら、スタイナーが担当してんじゃないですか」
トウマは同僚の名を言った。トウマは相変わらず未開拓な危険地帯ばかり行かされているので、内心、担当が決まったのかなとわずかな期待もちょっぴりある。
「いや、今回はルーク君の研修みたいなもんだ。ファルトマまでなら比較的安全で、彼にも良い勉強になるだろう」
「ああ、それなら……」
「というのは名目上のものでね」
納得しかけたトウマへ、割り込むようにミラルカが言った。
「これはちょっと特殊でね。スタイナー君には頼めない」
「へえ?ある人物と言ってましたが、誰なんです」
「ちょっと待ってね」
ミラルカは立ち上がると、いつになく素早い動作で入口の扉をあけて、廊下に顔を出して人の気配を確かめている。
「どうしたんです」
「ちょっと、人に聞かれたくないことなんでね。念のため」
戻ってきたミラルカは椅子に腰を落ち着けると、トウマを手招きした。
「リイサ君に関わることなんでね」
ミラルカは声をひそめて言った。表情には強い緊張の色がある。トウマも自然と息を呑んでミラルカを見守っていた。
「リイサ・ベルシア……じゃなくペンシルか。トウマ君も知っての通り、彩王朝の末裔だ。国家機密扱いで、俺たち以外だと国王と元首他数人しか知らない。あ、あと彼女が住んでいた“紅の国”政府の一部」
「“紅の国”?」
「リイサ君の件を“紅の国”には極秘に伝えて協力を求めているらしいよ。長年対立してたから、これを機に互いの友好をさらに深めるつもりなんでしょ」
「……なんか面白くないすね」
「あまり公にすると、彼女を担ぎ上げようとする連中も現れかねないからねえ」
「いるんですかね、そんなの」
彩王朝が滅びて5年ほどしかならないが、統治能力を失ったのは、トウマが生まれるずっと以前の話だ。各国は既に覇権争いに奔走しており、郷愁の念を懐く者がそれほど多いとは思えなかった。かつての戦友クロン・ステイシアがリイサを拐った連中と関わり、トウマも彼らと刃を交えたのはつい数ヶ月前のことである。“彩王朝の再興”を目論む勢力は実際に存在するのだろうが、こうして日常の日々に戻ると、今一つ実感がわかないでいた。
リイサ本人も、物心ついた時には既に野山を駆け回っている田舎娘で、彩王朝の再興というものには関心がないようだった。
「ところがね、そこに憧れを持っちゃう人もいるんだよ」
ミラルカが言った。
「彩王朝の元貴族は“青の国”にもけっこう住んでいる。それにまだ“青の国”だけじゃなく、各国の治安や政情も不安だ。求心的な存在を求めるにはちょうど良いからね」
「……それでもリイサじゃなくても、と思いますけどね」
リイサ本人はよくわかっていなかったが、話を聞く限り、ペンシル家の傍系のようだった。ペンシル家の一族に関わらず、早々と野に下ったのも、時の当主の判断が大きいが、直系よりは自由が利く立場だったのだろう。リイサにこだわらなくても、血筋を持つ人間など他に探せばいそうなものではないか。
「そんな連中にとっちゃ、無力な子供の方が良いのさ」
「その本気じゃないとこが、気に入らないんですよね」
「俺もさ」
ミラルカは薄ら笑いを浮かべた。
本気で彩王朝再興を目指すなら、決断力と行動力のあるリーダーと、伴う苦難に対する覚悟が必要なのに、軽い御輿を担いで楽をしようとしている。単なる自己満足や利権のためでしかないのは明らかである。
――クロンのバカめ。
経緯は不明だが、トウマにしてみれば、ただの反社会的勢力に加担しているかつての戦友に、改めて苛立ちと怒りを覚えるのだった。その中にはリイサを政治利用する“青の国”や“紅の国”に対する不満も含まれていたのだが、無力なトウマとしてはマシな方を選ぶしかなく、あえて気がつかないふりをした。
「……で、本題のその手紙だ」
ミラルカの言葉に、トウマは現実に引き戻された。
「聖職者たちが祀る竜神ファルトマに、この手紙を渡してもらいたいんだ」
「神様……すか?」
「おや、知らないかい?竜神ファルトマ。町名の由来にもなってる。ちゃんと存在するんだぜ」
「はあ」
「ただ神様やってるくらいだから、長生きしてる分、もう歳でね。表に出てこなくなって久しい。よく知らないのも無理ないか」
「その竜神ファルトマに手紙……」
「そう。彩王朝が建てられた際、竜神ファルトマが力を貸したとか。末裔であるリイサ君の保護に、知恵と力を貸してもらうてなことを言ってたな。他にも狙いがあるんだろうけど」
「……」
「とにかく、政府も他には頼めない案件だ。トウマ君に頼めるかな」
――彩王朝か。
彩王朝は大陸を支配していた魔族を滅ぼし、誕生している。
ルークは魔族の末裔で、リイサは彩王朝の末裔。
考えてみれば、なんという巡り合わせだろうと不思議な思いがした。魔族滅亡にファルトマとルークが接触するのは一抹の不安があったが、魔族の名残を感じさせるものはルークには特にない。大したことはなかろうとトウマは前向きに考えることにした。
それに、リイサ絡みや封筒云々のそれよりも、ルークの研修という名目上の方に興味がある。
「了解です。ルークにも旅の経験をさせてやりたいから」
トウマは机に置かれた封筒に、目を落としながら微笑していた。




