帰ろう
トウマはじっとケフルを注視したまま、八双の構えを崩さない。肩も脇も衣服と皮膚を薄く斬っただけかすり傷であることを確かめると、肩に刃を乗せる形となり、わずかに腰を沈めた。
――何か用意があるのか。
リーマがトウマの意図を探る間も与えず、ケフルが叫んでいた。
「今度こそ、動けねえ体にしてやるぜ!」
右手に宿る魔力の刃が輝きを増した。
「喰らえ、“転界空舞”!」
ケフルが魔力の刃を振ろうとした時だった。突如、トウマが猛進した。眼にも止まらぬ動きで、空間移動しようとするケフルの眼前へとあっという間に迫っていた。信じられない脚力だった。
月の明かりに照らされ、トウマが手にする刃がギラリと光った。薙ぐように振り放たれた剣が、ケフルの肩口に到達しようとする瞬間、ケフルは姿を消していた。“転界空舞”により空間の裂け目に逃れたのだが、トウマの動きが見えていたわけでも狙っていたわけではなく、運が良かったとしかケフル自身も言い様がない。それほどまでにトウマ・ライナスの動きは尋常ではなかった。
「なんて速さだ……!」
難を逃れたと思ったのも束の間、刀を振り上げているトウマの影がケフルの圧迫するように、躍り上がっていた。
「な……」
なぜ、ここにいる。
ケフルの頭の中が混乱して、すっかり飽和状態となってしまっていた。次の言葉がでてこない。
「“転界空……”」
ケフルの右肩に異様な音がした。重い衝撃とともに激痛が奔り、手にしたカッターが手からこぼれ落ちた。“転界空舞”を使う直前に、トウマの刀が右腕を打っていた。血も流れず、右腕がだらりと垂れ下がっただけですんだのは、振り下ろす寸前に峰に返していたからだ。だが、焼けるような痛みから、骨が折れたのをケフルは感じていた。
膝をつくケフルに、周囲からはおおとため息にも似たどよめきが起きた。
「やっぱ、トウマさんはすごいや」
よろめきながらも呟いたルークの声は、離れたリーマの耳にまで届いていた。わずかに流れる夜の風が、リーマへと運んできたのだろう。
「そうか。あの男がトウマ・ライナスなのか」
元抜刀隊だからと恐れていたわけではないが、こうして実際に対峙してみると、リーマやケフルが真っ正面から挑んでも敵う男ではなかったと思い知らされた。知らなかったとはいえ、リーマは自分の見る目の無さへの後悔とともに、実力差を痛感していた。
そのトウマは、ケフルを冷静な眼で見下ろしている。
「く……、くそ……!」
「わかりやすいんだよ、お前は」
静かに口を開くトウマは、何気なく刃の切っ先をケフルに向けているように映るが、少しも隙がない。
「わかりやすい、だと?」
「空間転移、行けるのは知っているとこだけだろ。魔法を使う直前に先の先を取れば、後はそこにいくしかないからな」
「……」
“転界空舞”も魔法である以上、同時や瞬時に別魔法を発現させることはできない。
できたとしても、それはよほどの高位魔導士であって、そんな芸当ができる者は、せいぜいアリサ・サーバンスくらいなものである。それくらい魔法の扱いは難しい。
ケフルがアリサほどの使い手ではないことは、戦ってみれば明白に感じられた。特殊な武器もなく、近接戦を仕掛ける他ないことがわかれば、トウマとしてはケフルの次の動きを読むのは容易いことだった。
「斬り捨てるのは簡単だったが、俺も観光地や人の目の前で血を流したくないからな。俺が望むものは2つだ」
「……」
「まずひとつは、あの子たちに謝ること。ふたつめはお前らの正体だ。あの女の子が関係しているようだが、お前の口から聞きたい」
「……」
――あいつを始末するしかないな。
リーマはいつでも動けるように、小さく足を移した。膝をついた姿勢のままだったが、トウマに受けたダメージはもう回復している。しかし、まだうめいているふりをしながら、上目遣いで前方を見据えていた。
その先には、苦悶してうずくまるケフルがいる。あいつとはトウマではなくケフルを指していた。予想外の事態や尋常ではない剣士のために、任務が失敗どころか、今は“彩花衆”の存在が表にさらされようとしている。まだ機が熟した段階ではなく、組織の危機と言っても過言ではない。
普段は疎遠とはいえ、同じ目的を共有する同志を殺すにはためらいがあったが、これ以上の危機を避けるためにも、少なくともケフルという男を始末するべきだった。
――やるしかない。
リーマが決意して立ち上がりかけた時、黒い影がその横を走り抜けるのを見た。影は一直線にトウマへと迫っていく。宙を白い閃光が奔った。
殺到する気配に、トウマは咄嗟に剣を振った。金属同士がぶつかる重い衝撃音と、火花が散った。鍔迫り合いとなり、片刃の刀の先に白く長い髪が揺れている。鋭い眼がトウマを見据えている。見慣れたその顔を見た瞬間に、トウマの感情が沸騰していた。
「やはり、貴様も“黒の国”に来ていたか」
「てめえは……!」
トウマはギッと奥歯を鳴らした。
「こいつらは、お前らの仲間か。……クロン・ステイシア!」
「通りすがりの手助けだ」
「ふざけたことを抜かすな!」
トウマは鍔迫り合いからクロンを押し込むと、踏み込んで袈裟斬りに刃を振り下ろした。しかし、クロンは跳ね上げると同時に転身して、閃光となった刃がトウマに放った。刃鉄が耳障りな音を生じると、そこからは二人の乱撃が始まった。
刃と刃が交錯し、火花がパパッと闇夜に咲いた。一閃一閃が稲妻のようであり、または猛り狂う炎と炎がぶつかり合うような迫力に圧倒され、野次馬たちはもちろん、リーマやケフルでさえも痛みを忘れて呆然としている。
「クロンの野郎、あんなに強かったのか」
元抜刀隊というだけに、腕は立つ認識はあったが、油断ならない風貌からの警戒心や対抗意識のために、どこか侮る気分があったのは否めない。しかし、自分でも歯が立たなかったトウマ相手に、全くの互角に渡り合っているのを目の当たりにしては、その認識も改めざるを得ない。
激しく斬り結ぶ中、お前らとクロンが喚いた。
「何をぼさっとしている。早くここから逃げるぞ!」
「な、なんでだ!」
「この騒ぎで、兵士どもが集まりだしている!」
叫びながら、上段から振り下ろしトウマが防いだところを、クロンも飛び退って間合いをとった。
刃の音が鳴り止むと、展望台の麓から騒がしい足音やざわめきがする。下を見た見物人の誰かがあっと声をあげた。
「おい、軍隊だぜ!」
釣られるようにリーマも下を見ると、銃で武装した兵士たちが次々と港に集まりだしている。今のところ数は数十名といったところだが、軍らしき車両はまだ増え続けている。
「リーマ、早くケフルの腕を治せ。囲まれたら厄介だ」
「わかった。だが、あの少女も連れていかねば……」
「脱出する方が先だ。諦めろ」
ここから逃れるにはケフルの“転界空舞”がもっとも安全で確実だが、腕が使えるようにするには治癒魔法でも少し時間が掛かる。今も気を失っている少女――リイサ――は、少し離れた位置で横たわったままだ。トウマ相手に、連れて帰るまでの余裕はない。クロンはそう言っているのだった。
「諦めるのは、てめえらだろ!」
トウマが再び殺到してきた。クロンは守勢にまわりトウマの猛攻を凌がなくてはならなくなった。リーマはその間にケフルの治療にあたった。柔らかな光が、頼りなく垂れる右腕を包んでいく。
「リーマ、はやく治せ。あの野郎に、一泡吹かせてやらねえと」
「つまらんことを考えるな。早く逃げるぞ」
「つまらん?ここまで虚仮にされて、何を言ってやがる」
「ケフルよ、バカか貴様は」
「なんだと」
「あの男がトウマ・ライナス。クロンと同じ抜刀隊だった男だ」
「……」
「加えて、軍隊まで相手にするつもりか。お前を治癒しているのは、ここから脱出するためだ」
「……」
「さっさと、“転界空舞”を使え。一応の治療をした」
「わかった……、わかったよ」
くそと呻くとケフルは落ちていたカッターを拾い上げ、右手に魔力を集中させた。それを見てクロンが素早く飛び退いた。
「トウマ、決着はまた今度だ」
「逃すかよ!」
トウマが叫んで追いかけると、クロンは振り向き様に火球を手元に生じさせていた。
伝わる魔力と形成する早さから、中位魔法だとトウマは感じた。
「みんな、伏せろ!」
トウマは自分をおとりに使うつもりで、突進しようとしたが、クロンは炎をトウマではなく地面に放った。着弾した火球は猛烈な爆風を巻き起こすと、濃い噴煙が辺りを漆黒の闇につつんでいた。
焼け焦げた臭いと、炭化し煤となった土や草木の滓が視界を奪い、トウマは立ち込めた煙の中で身動きができなくなっていた。トウマはクロンたちが仕掛けてくるのに備えて、じっと身構える他なくなっていた。
やがて、辺りは静寂さを取り戻すと、煙も散っていき、クロンたちの姿が消えていた。先程までいた場所に禍々しく焼け焦げた痕跡が残っている。
「クロン……、こんなところまで逃げてやがったのか」
アオルタで自分を狙撃し、襲ってきた2人組。そして今の男女2人。少なくとも、クロンが今も何らかの組織に関わっているのは明白だった。クロンは“青の国”への復讐とわかっているが、クロンが協力する彼らは何者なのか。今日は勝てたが、いずれも尋常でない実力の持ち主で、組織で来れば油断のできる相手ではない。
――また、どこかで関わることもありそうだな。
トウマは今も不機嫌な煙を立てる、焼けた芝生の痕を睨んでいた。
「トウマさん……」
弱々しい声によって我に返ると、ルークがふらつきながら歩いてくる。トウマは急いでルークへと駆け寄っていった。
「済まないルーク君、遅れてしまって」
「そんなこといいです。圧巻でした。強いとは思ってたけど、あんなにすごいなんて」
言葉も体もふらふらなのに、瞳だけは異様に輝いている。痛みのせいでできないのだろうが、ひくつくような笑みは興奮しているようだった。
考えてみれば、ルークの前で実際に戦う姿を見せたのは、アオルタでのクロンとの戦いくらいで、あの時は徒手格闘だった。切り結ぶ太刀の衝撃に、ルークはすっかり酔ってしまっているようだった。
「それはいいから怪我を治そう。それに、ルーク君にも訊きたいことがある」
「……」
「今回の事件とあの子は何か関係あるのか」
「ええと……、それは……」
リイサを拐い、この“黒の国”まで連れてきたホルソという不気味な男。
姫とリイサを呼んだこと。
結局はまだ何もわかっていない状態で、自身の怪我や今の戦いの興奮も混ざっていて、考えがまったくまとまらなかった。
「いいよ、とりあえず落ち着いてからにしよう」
トウマが気絶しているリイサを抱き上げた。エルフ族独特の青白い髪がさらさらと風に靡いていた。
わっと突然、歓声がわき起こり、何事かと見ると、展望台に駆け上がってきた兵士たちに見物人たちが歓声を送っているのだった。銃を向けているのにも関わらず、拍手喝采で迎えられるものだから、兵士たちも戸惑った様子で見物人たちを見渡している。
「ルーク君!」
展望台の一角が再び騒がしく、振り払うようにして兵士たちの間から一人の女が飛び出してきた。よく見るとレフリムで、しかめた表情は泣いているようだった。普段の冷静沈着な雰囲気はなく酷く取り乱している。
「ルーク君、その怪我どうしたのよ。探したんだからね」
「まあ、色々あって、怪我もしちゃいまして……」
「ああ、もう、心配させないで!」
そこまで言って、レフリムはルークを思いっきり抱き締めた。
「レ、レフリムさん……」
「ほんとに、ほんとに……!」
レフリムの大胆な行動に、ルークはもちろんのことトウマも驚いてしまっていた。
大袈裟じゃないかとからかうにはあまりにもレフリムは真剣だったので、トウマも言葉を掛けるのがためらわれた。しかしどこか一区切りついた気分になって緊張がゆるむと、さらさらと肌をくすぐる感触が伝わってきて、トウマは抱きかかえる少女に目を落とした。
青白い髪をした少女は気を失ったままだった。ルークが事件に巻き込まれたのはこの少女が間違いなく関わっている。一筋縄ではいかなそうな連中に加え、クロン・ステイシアも敵側にいるとなると、相当厄介な荷物を抱えたように思えた。
――まあ、それは後で考えるか。
疲れてもいたし、軍からの尋問もあるだろう。これ以上考えても仕方ない。
それよりも、ルークを抱きしめるレフリムの姿を眺めながら、アリサ・サーバンスと自分を重ねてぼんやり笑ってしまうのもトウマ・ライナスという男だった。
※ ※ ※
「私ともあろうものが……」
クロンたちがトウマから逃げ去った頃、ホルソ・ケーブルは頭を抱えてぎこちない足取りで、人気のない裏通りを歩いていた。
何とか巡吏に捕まるようなヘマはせずに済んだものの、ルークやリイサにそれぞれ受けたダメージは意外に大きかったようで、治癒させたものの殴られた箇所がズキズキと痛んだ。
「今に見ていろ、あのガキ」
“彩花衆”と合流し、リイサの奪還と自分の顔を見たあの子供、そして関係者もいるなら始末しなければならない。
「あんたらしくもないヘマをしたな」
夜道に浮かぶ人影と男の声に、ホルソは素早く身構えた。男の肩が揺れ、よせと影は笑ったようだった。
「私だ」
「……なんだ、シーリング・ローゼットか」
ホルソのような傲岸な男でも、逃走の身では極度の緊張していたらしく、安堵の息を吐いて構えを解いた。
「街で騒ぎを耳にして、もしかしたらと仲間と手分けして捜していたんだ」
「お前なら、ちょうど良い。リイサを奪還するぞ」
「リイサ“姫”だろう。そのうち“王”だの“陛下”とも呼ぶようになる者だ。言葉には気をつけた方が良いんじゃないのか」
「なあに、構うものか」
ホルソはにんまりと歯を剥くと、再び歩き出した。
「所詮は傀儡。御輿は軽い方が良いに決まっている」
「……」
「私とシーリングの間柄だ。私の考えくらいわかっているはずだろ」
「私がガキの頃、あんたに拾われてからの付き合いだからな。やり方はわかっているつもりだ」
「……」
「リイサを彩王朝の主として担ぎ、反対派賛成派に分断。新しく戦火の種を蒔いて商売するつもりなんだろう」
「わかっているじゃないか。さすが俺が唯一信頼する男だ」
ホルソは嬉しそうに肩を揺らした。
「そのためにリイサは必要なのだ。中身のご神体がつまらない石ころでも、祠でもあれば人は拝む」
シーリングは無言のまま、ホルソの後ろを歩いている。一方のホルソは痛む頭をしきりにさすりながらも、熱心に語っていた。後ろからでは表情は見えなかったが、夢を見るような顔をしているのだろうとシーリングは想像できた。いつもこうやって歩いていたなと、シーリングは幼少期から今日までを思い返していた。
「しかし今、その商売のネタが奪われようとしている。他の連中ならいざ知らず、私とお前の“特殊能力”ならリイサを奪い返すのも容易なはずだ」
「……」
「まだこの街にいる今がチャンスだ。だから……」
不意にホルソの言葉が途切れた。目を剥き、口を喘がせたまま、体が小刻みに震えていた。背後からの鋭い刃がホルソの喉元を貫き、ヒューヒューと乾いた息が口から漏れている。
「たしかにチャンスだ。私にとってもな」
「シーリング。貴様、な、なにを……」
「あんたの失敗は用心すぎたとこだ。ひとりならともかく、人を使う組織の長がやることじゃないな」
「……」
「人を使うには誰かに会わなくてはならない。会わせるには代理の者へ絶大なる信頼を寄せなければならない。それが私だった。だが残念だったな。代理として、アンタの仕事をこなしてきたこともある私が、そんなに従順と思っていたのか」
「……」
「お前の正体は誰も知らない。代理を務めてきた私が“ホルソ・コード”になっても誰も不自然に思わないだろう。資産、情報、人……すべてを私がもらうぞ」
「リ、リイサを……、これからな……んだ……ぞ」
「心配するな。御輿は軽い方が良いと言ったのはアンタじゃないか。彩王朝の復興やリイサなどどうでもいい。“ホルソ・コード”と同じく名前や名分さえあれば十分だ」
シーリングはホルソの後頭部を左手で掴んで力を籠めた。手の内が光が生じたかと思うと、紅蓮の炎がホルソの全身を瞬く間に包んで言った。喉を斬られたホルソは、声を発することも出来ない。やがて、灼熱の炎はホルソのすべてを炭化させ、地面に崩れ落ちると人型の名残をわずかに残してバラバラとなってしまった。
通りを抜ける風が、ホルソだった欠片を散らしていく。強い風や雨でも降れば、跡形もなく消え去るだろう。
「これで、“彩花衆”もお前の財産すべてや地位も私のものだ」
シーリングは炭の山と化したホルソを冷然と見下ろしていたが、やがて身を翻して闇の中へと消えていった。
「我らは"彩花衆"」編~終わり




