これが俺の"転界空舞(インピーダンス)"
静かに佇むトウマ・ライナスに、対峙するケフル・タッカーは下卑た笑みを浮かべたまま、体を揺らしながらゆっくりと近づいてくる。ルークや周囲の人間たちの目に、猛獣が舌舐めずりを接近してくるような不気味さがあった。
5メートルほどの距離をあけたところで、ケフルが足を止めると。挑発するように人指し指で誘ってみせた。
「格好つけてねえでよ、土下座して謝るなら、今のうちだぜえ」
「謝るのはお前だろ」
「それなら、この俺様を謝らせてみろよ」
ケフルが歯を剥いて笑った。一方のトウマは表情を変えず黙然としていたが、ルークを一瞥すると小さくうなずいた。
「そうだな。そこならちょうど良い位置だ。よく見える」
「あ?」
トウマの言葉の意味がわからず、ケフルが怪訝な顔つきをした時だった。不意にトウマの姿が消えた――。消えたとケフルが認識するよりも早く、目の前にトウマの影がケフルを覆い被さっていた。動きがまったく見えなかった。
ルークや周りの見物人だけでなく、リーマ・クリックも。
「なに……?」
呆気にとられるケフルの頭を、トウマの手がぐっと掴んだかと思うと、強大な力が上からのし掛かり、そのままケフルは頭から地面に叩きつけられた。土や芝生の草のツンとした臭いが顔中に広がった。
「げぶぁ!!」
一見、細身に見えるトウマの体からは尋常ではない力が伝わってくる。倒れる直前に軽く足を払われたために、ケフルは両膝をついて土下座しているような姿勢となっていた。
「ぐ……!このやろう……!」
「これでちょうど土下座ぽくなったな。早くあの子たちに謝れよ」
「あのガキとてめえが何の関係が……!」
「そりゃ、こっちの台詞だ」
目の端でリーマの動きを捉えながらも、ケフルから視線を外さない。動きを制せられたためにリーマはうかつに動くことができないでいる。尋常でない使い手だとリーマがようやく悟ったのは、この時だった
「子供相手に暴力振るう、お前らこそ何者だ」
「うる……せえぞ!」
唸るケフルの左手に、強烈な光とともに激しい稲光が生じた。
頭を押さえつけられていたが、左側を向いた状態だったので、左手側がわずかに身動きがとれる。トウマは左手側にいる。ケフルはわずかな隙を頼りに、左手から雷撃の魔法を仕掛け――ようとした。
だが、それよりもトウマの動きが早かった。左手をつかんで背中にまわしてネジあげると、完全にケフルを制圧してしまっていた。精神と魔力を伝える肉体とのバランスが崩れ、滞留した魔力が消失していく。
「この……!」
リーマも黙って見ているわけにはいかなくなり、気絶しているリイサを離して突進した。リーマの黒い影が闇夜に大きく浮かび上がり、迫力のある重い蹴りがしなるように放たれたがトウマは動じない。同時に矢のように真っ直ぐな横蹴りがリーマの腹部を抉っていたのだった。
「ぐっ……!」
リーマは顔を歪めたまま後退させられたが、リーマのおかげでわずかな隙をつくることができた。キラと闇に光るものをトウマは目にし、急いで飛び退くとケフルの手元には工作で使うような小さなカッターナイフがある。
「この野郎、調子に乗りやがって」
「そんなもんで、どうするつもりだ」
言いながら、トウマは自然に鯉口をゆるめていた。ケフルの把持するカッターナイフは開封や紐を切るために使用されるカッターで、およそ闘いに使うものとしては似つかわしくない他愛のない代物である。しかし、淡い光を帯びるそのカッターには、油断できない何かをトウマの本能が感じていた。
「ケフルめ、こんなところで“特殊能力”を使うつもりか……!」
――バカめ。
リーマは怒鳴りたい気分だったが、腹部への重い一撃はリーマの体力を奪ったままで、まだ立てるまでには回復できていない。喧嘩程度ならともかく、互いの武器や魔法を持ち出しては事が一層大きくなってしまう。“黒の国”政府も動かざるを得なくなるだろう。“彩華衆”はいかに彩王朝復興を目指しているとはいっても、今はまだ裏組織といったレベルでしかない。政府の要人にいくらかの繋がりがあるとは言え、マフィアと変わらない軽率な組織を守るほど連中も甘くないことはリーマでもわかっている。しかし、ケフルは事の軽重もわからないほど、頭に血がのぼっているようだった。
「くそ、くそ、くそっっ……!」
ケフルの体が小刻みに震えていた。思わぬ強敵の出現と、任務への焦り。大衆の面前で、屈服させられた屈辱に対する怒りなどがケフルの中で融合し、今まさに爆発しそうになっていた。
「くそ野郎があぁぁぁぁっっっ!!」
ケフルがナイフを持つ右手を袈裟に振った瞬間、その場から忽然と消失した。光の筋がはしったのは見えたが、時間を削りとられたようにケフルの姿が消えている。
刹那、頭上に重いものが降ってきた。空から落ちてきたような感覚だったが、身を返すと同時にトウマは刃を振るっていた。
重い衝撃がトウマの腕に伝わるとともに、魔力と刃が衝突する時に生じる金属の焼ける臭いと、火花とは異なる魔法の光が散っていた。暗闇の宙が裂け、その裂目から身を乗り出すケフルがそこにいる。
右手を覆う魔力は刃のように変質している。小さなカッターナイフの刃が、ケフルの握りしめた拳の隙間から申し訳程度に出ている。光の粉が舞う奥で、凶悪な形相をしたケフルが激しく舌打ちをした。
「良い勘してやがるな」
「空間移動をする特殊魔法か」
「魔法じゃねえ。“特殊能力”と呼べや!」
ケフルは裂目から抜け出すと咆哮した。
「見せてやる……。俺の“転界空舞”をよ!」
ケフルは魔法をまとった右腕を振ると同時に、再び姿を消した。背後に気配を感じて剣を振るうが、魔法の麟粉を残して瞬時に姿を消していた。間を置かず左手に迫る気配があり、転身するもケフルはいない。だが、左肩にかすかな痛みが残り、確かめると左肩の衣服がわずかに斬られて血が滲んでいる。
「どうだ。これが俺の“転界空舞”」
声がした方向に目をやると、ケフルは見物人のひとりの背後に立っていた。蜘蛛の子を散らすように、見物人たちは逃げていく。
「俺は空間から空間へと自由に行き来できる」
右手を軽く振るった瞬間、再びケフルが消えた。
背後に殺気を感じて身を翻すとそこにケフルの姿はなく、左の脇腹に鋭い痛みが生じた。斬られたとトウマは思った。
転身し、ケフルを探すと間合いから外れた距離で、ケフルが笑みを浮かべて佇んでいる。トウマは八双に身構えたまま、ケフルを見据えている。
「どうやら、本気になった俺には手出しできねえようだな」
「……」
「後悔してももう遅いぜえ。次の攻撃でズタボロのボロ雑巾にしてやるからよ」
「……後悔させるだの、謝るなら今のうちだの、やたら威勢の良い言葉を使いたがるな」
プライドが高く暴力的で、少し優位な立場になると威圧的にのるタイプなのだろうとトウマは思った。かつて少年時代に過ごした軍の施設でも似たような大人が何人かいて、子供たちからは蛇でも見かけたかのように嫌われていたが、また恐れられてもいた。
少年時代の記憶とルークに対する仕打ちと重なり、施設の大人へ向けた同じ怒りがケフルにも向けられていた。
※ ※ ※
「……“転界空舞”。あれで、僕らに追いついたんだな」
突然、どうやってケフルたちが現れたか、ルークはようやく理解することができた。
空間転移の魔法は何種類かあるが、どこへでも行けるわけではなく、行くべき場所をきちんと認識把握していないと、岩の中や空高い場所から落ちて死ぬことになる。結局、よほど馴れた場所に行く時にしか使えないので、“空間転移”と響きが良いわりには使用する者が滅多にいないことは、ルークも知っている。
さらに効果を発現させるまでにある程度時間を必要とするので、戦闘で扱うには向いていない。
“転界空舞”も知っている場所にしかいけないのは、他の空間転移の魔法と同じだろう。しかし、物体に魔力を集中させて常に発現させている状態し空間を切り裂いて移動場所を先に現すことで、素早く自在に移動することを可能にし、不確定の事故に遭うリスクを減らすことを可能とさせているようだった。
おそらくあの男たちもこの港にいて、おおよその場所の見当をつけていたのだろう。
追いついた謎についは腑に落ちたが、それでルークの気が和らいだわけではない。
ケフル――ケフルたちが名を知られるのを避けていために、ルークやトウマもケフルやリイマの名を知らないままだったが――は、空間魔法をただの移動手段だけではなく、格闘技術にまで昇華させている。動きも熟練した戦士のそれで、かなり危険な相手だとルークは思った。
――でも、トウマさんなら。
先ほどの動きはケフルを圧倒していた。
正面からの勝負なら、トウマ・ライナスはきっと勝てる。
「勝てるはず……だよな」
ルークは祈るような気持ちで、トウマの広い背中を見つめていた。




