やってみやがれ
ルークとリイサが三番埠頭の港に戻った頃には、陽は完全に海の彼方へと沈んでしまって、宝石を散りばめたような星空が頭上で煌めいていた。
夕暮れまでの人々の賑わいも今は消え、聞こえてくるのは波のうつ音ばかりで辺りはひっそりとしている。しかし、人がいなくなったわけではなく、そこかしこに人の影が映っていた。大概は二人連れのカップルで、夜になると港は恋人たちの集まる憩いの場へと変わる。
「やっぱりいないか……」
ルークたちは展望台に上がって辺りを見渡すと、知らず知らずに唇を小さく噛んでいた。
普段なら、恋人たちが愛を語り合う場面に遭遇などすれば、赤面して立ち去っただろうが、今のルークにはそこに至るまでの心の余裕がない。抱擁し或いは唇を交わす恋人たちを目の当たりにしても、大して動じることもなかった。
それよりもトウマたちがいないという落胆の方が大きい。トウマたちがあのまま展望台で待っていると思えなかったが、もしかしたら自分と同じようにここに戻ってきているというわずかながらだが、淡い期待もあったのだ。
「ここにいても仕方ない。僕らが泊まっているホテルに行こう」
「行き違いにならなきゃ良いけど」
「多分いると思う」
「どうしてわかるの」
「うん、まあ、ただの当てずっぽうだけどさ」
「……」
「まあ、少なくとも、ホテルマンの人がいるよ」
当てずっぽうという言葉に対して明らかに落胆するリイサに、ルークが励ますように微笑した。ルークの頭の中にはアリサ・サーバンスが浮かんでいる。クロン・ステイシアと激闘を繰り広げたといっても、義足のアリサでは人を探すのには、足腰の負担が大きいはずで、本人の強い意思があったとしても、トウマかレフリムがホテルに戻らせている可能性が高い。
「ここからホテルまでは一本道だから、そんなに時間も掛からないよ」
「そうなんだ」
リイサは小さく息を吐いた。心なしか元気がないように思えた。
「もしかして、疲れてる?」
「走り回っていい加減疲れたから、早くほっとしたいよ」
「驚いた。君も疲れたなんて言うんだな」
「それ、どういう意味?」
「いや、さっきも、全然疲れた感じみせなかったからさ」
「そりゃ弱音なんて、あまり口にしたくないけどね。こんなことがあるとさすがにね」
「もうちょっとの辛抱だよ」
微笑みかけた時だった。不意に背後からしたひとの声が、ルークの耳朶を打った。声は男のそれだった。
「残念だがよお」
陰気な声にルークが振り向くと、いつの間にか男が一人、立っている。坊主頭の凶悪な人相に、派手なシャツにチンピラといった出で立ちをしている。
まったく気配を感じさせなかったことて、男が発する不気味な威圧感に、ルークの全身に戦慄がはしった。
「安心できる時間はねえな」
言うなり、振り上げた拳がルークの頬を抉り、重い衝撃にルークの小さな体が吹き飛んでいた。
「ルーク君!」
駆け寄ろうしたリイサの腕を、どこからか伸びてきた手が握りしめ、一気に逆手に極められまったくの身動きができなくなってしまった。リイサの視界の端に、褐色肌をした獣人族の女――リーマ・クリック――の姿がかすかに映っていた。
「子ども相手に、手荒な真似はよせ」
「おめえも子ども相手に手荒な真似してんじゃねえか」
「最小限度にしているつもりだ」
「俺も、俺なりの最小限度のつもりさ」
ざわつく周囲も気にすることなく、チンピラ風の男――ケフル・タッカー――は倒れているルークに近づいてしゃがみこんだ。
「巻き込んで悪いがよ。おめえもついでだ。一緒に来てもらうぜ」
「お前らも……あのおじいさんの仲間なのか……」
「へえ、ホントにホルソなのかよ」
ケフルは目を丸くして、ヒュウと口笛を吹かした。
「そんなら、ますますお前らを逃がすわけにはいかなくなっちまったな。まあ、おとなしくしてな」
「僕らを……、いや、あの子を、どうするつもりなんだよ」
「俺もよくわかんねーが、命令に従うまでさ。俺たちのボスのとこへ連れてくだけさ」
「ボス……。連れていく……。あのおじいさんが、お前たちのボスてことか」
「おめえはどうなるかわかんねーがな。俺たちのボスは顔を見られるのをスゲー嫌うんだ」
「その子は関係ない。離しなさいよ!」
リイサが身動きできない代わりに大声で怒鳴った。
「誰か、この人たち人さらいよ。早く役人の人を……!」
急にリイサの声が途切れた。リーマの強烈な当て身に意識を失って、リーマの腕の中で力なくぐったりとしている。それを見た周囲の見物人から鋭い悲鳴が起きた。
「リイサに何をする!」
「おとなしくしろつってんだろうがあっっ!!」
立ち上がりかけたルークの腹部を、ケフルの強烈な蹴りが襲った。ルークの体はくの字に曲がって、さらに地面を転がされた。
息も満足にできない。
あちこちから軋むような痛みを感じた。蹴られた腹部、主に左脇腹から生じる異様な激痛が、しばしばルークを苦悶の表情に歪ませる。もしかしたらあばらにヒビが入ったのかもしれなかった。意識が朦朧として視界がぐるぐると歪みくねっていた。ただ、ケフルの耳障りな笑い声だけがはっきりと聞こえてくる。
「お、おい。子供になんてことを……」
見物人のひとりがケフルを咎めるように言った。見物人の中では勇気のある男ではあったが、相手が悪すぎた。ケフルはゆっくり立ち上がると、悪鬼のような笑みを男に向けた。
「なあんか、てめえに関係あるのか。恋人に良いところ見せてえてか」
「そ、そんなことじゃないだろ。人さらいだとか子供を殴るだとか、いったいあんたら何を……」
「うっせえからすっこんでろ」
言うなり、ケフルの拳が男の腹部を抉り、男は声もなく地面に崩れ落ちた。再び悲鳴が起きかけたが、ケフルが睥睨すると、誰もが一斉に口をつぐんでしまった。
「てめえらもあんまり騒ぐと、こいつみてえになるぜえ」
だが、誰も答えない。
無人の野のように重い沈黙が展望台を覆い、静まり返っている。
ケフルが恐ろしくて、身動きすらできないでいた。
ケフルは満足そうに頷くと、再びルークのところへと足を向けた。あとは集会場所に戻るだけ。判断はシーリングに任せればいい。ケフルの胸中は達成感で満たされていた。
「……やってみろよ」
「ああん?」
沈黙を破る男の低い声にケフルが姿を探すと、ひとりの男が真っ直ぐにケフルを見つめている。わずかに浮かべる薄ら笑いに、自分に対して恐れがないのがケフルには気に入らなかった。
冷や水を掛けられた気分で、先ほどの達成感や満足感もどこかに消えていた。
「……さん?」
かすかにこぼれたルークの声はあまりに小さく、リーマはもちろんケフルの耳にも届かなかった。
腰の刀は目に入ってはいたものの、見た目はどこにでもいそうな若者である。リーマがルークの声を耳していれば、その後の展開もまったく変わっただろうが聞こえなければ、哀れな奴だという程度の感想しか持たないのも無理はなかった。
ただひとり、ルークだけは拳を握りしめ、体を小さく震わせていた。
来てくれた。
淡い期待でしかなかったものが現実となり、ルークは自身の内から言い様のない熱い感情がこみ上げてくるのを感じていた。しかし一方で、相手が容赦のない危険な男であることもわかっている。いつの間にか背後にいたのかも、単に気づくのが遅れただけではないようにルークは思えた。
――気をつけて、トウマさん。
月夜の光に照らされて佇むトウマ・ライナスに、そんな声すら発することができない自分をルークはもどかしく感じていた。




