待ちぼうけ
――何故、ここにいる。
海沿いの歩道を歩いている少年の姿を見てクロン・ステイシアははじめは驚き、次に焦燥の念に駆られて、広場に設置されたライオン像の陰に素早く身を潜めた。突然の行動に、隣のリーマ・クリックが怪訝な顔をしている。
「何をしているんだ。クロン」
「顔見知りがこちらに来る」
それだけでリーマには伝わったらしく、それとなくクロンの前に立ち背中で姿を隠すようにした。茶毛の少年がリーマの前を気にした様子もなく通りすぎていく。隣には女の子が歩いていた。利発そうな少年ではあったが、どこにでもいそうな普通の少年にしか見えない。クロンの慌てぶりからリーマは若干、拍子抜けする気分で少年の後ろ姿を追っていた。
「……行ったか。前を通った茶毛の少年だ」
「隣に青い髪した女の子を連れていた少年だろ。何をそんなに焦っている」
「あの少年、ルークといって青の国では“配達士”をしている子だ。少し話をしただけだが、真面目で優しい子だ」
「……」
「しかし、わざわざ黒の国に、ひとりで来ているとは思えない。おそらくあの男もどこか近くにいる」
「あの男?」
「トウマ・ライナス。ルークと同じく“配達士”をしている」
「たかが“配達士”程度、気にすることは……」
「俺と同じ、元抜刀隊だ」
クロンが言うと、一瞬の空白の間が生じた。リーマの表情が驚きのまま固まっている。寒気がはしったのは、夕暮れ時に混ざる冷気のせいではないのだろう。抜刀隊の勇名は異国のリーマの耳にも届いており、普段は呑気な言動で忘れがちだが、元隊長であるクロン・ステイシアの凄味をリーマも、数度は目の当たりにしているのだ。
「……なるほど、お前の予想通りなら、知られると面倒なことになりそうだな」
「といっても、問題は肝心のホルソだな」
クロンはライオン像の陰から顔を出すと、慎重に観光客などで溢れる広場や歩道を見渡した。
「シーリングの話では、待ち合わせ場所はこの像のはずだ。しかし、時間も予定より5分過ぎている。紳士風といっても似たような服装でわからんぞ。あの合言葉も正しいのか?」
「我々“彩花衆”の間で使われる合言葉のひとつだから、間違いではない」
断言しつつも、リーマは首を傾げて言った。5分ほど前、約束の時刻に“紳士風”の老人がクロンたちの近くに来たので、シーリングから教えられた通り、「タバコの火はあるか」と訊ねたところ、「私はタバコが嫌いなんだ」と急にぷりぷり怒って去ってしまったのだ。
「向こうで何か起きた可能性もある。あと5分して現れなければ、一旦引き返してシーリングの指示を仰ごう」
「仕方ないな」
「ケフルにも連絡しないとならないが、奴はどこで待機しているんだったか」
「我々とは対角線の位置、2階建ての洒落た建物が幾つか並んでいるだろう」
「ああ」
「真ん中の赤い屋根をした2階建ての建物だ。カフェなんだが、あそこのテラスで待機しているはずだ」
「……あれか」
三番埠頭周辺には観光客目当てにして、レストランやカフェにブティックなど建物が建ち並んでいる。クロンが見つめた先は、港を上がった道路の向こうにあるレンガ造りの建物で、2階にはテラスがあった。距離は多少あるものの、双眼鏡を使えばこちらの動きを把握する位置としては申し分ない。
ケフルはサポート役だから責任もない。コーヒー片手に夕焼けを眺めながら、座って待機していることだろう。
立ったままぼんやり時間を潰している自分に、クロンはなんとなく惨めな気持ちになっていた。
「……気楽そうでいいな」
「気をつけろよ。ケフルの奴、サポート役などと言っていたが、奴はお前をまだ信用していない」
うらやましさのあまり、思わず漏らしたクロンの呟きは、リーマの耳に届かなかったようである。みみっちい愚痴を聞かれなくて良かったと安堵とともに、気を取り直すためにクロンは小さく咳払いした。
「ケフルはシーリングの“番犬”と呼ばれるような男だ。サポート役を買って出たのも、お前の非違を探ってシーリングに報告するために違いない」
「……」
「あいつは嫌な男だ」
「そうかな」
嫌悪を露にするリーマに対し、クロンは気にした様子もない。
「たしかに奴の態度は気分良くないが、あんな“番犬”男は俺の隊にもいた。たしかに、その男も周りから嫌われていたな」
「……」
「実力はあって隊務には熱心。冷たくするわけにはいかないから扱いに困ったよ。付かず離れずを心掛けていたが、案外、シーリングも似たような心境でいるかもしれない」
「なるほど。いかにも、元隊長らしい意見と経験談だな」
「そうだろう」
もっともらしく頷いてみせるクロンがおかしくて、リーマは笑いを堪えるのに必死だった。
いつも鉄面皮なシーリングが内心、ケフルの扱いに頭を悩ましている。
それを想像するだけで痛快なものがあり、不思議とケフルに対する嫌悪も和らいでいく気がするのは、ケフルの空回りやピエロぷりも想像してしまったからだろう。
「しかし……、なんだな」
クロンは周囲を見渡しながら言った。
「こうして眺めてみると、人というものは多種多様だと改めて思う」
「急にどうした」
言いつつも、リーマはクロンの雑談に付き合った。約束の時間を過ぎた上に顔も知らず、非常時の連絡もしてこない。ホルソの身に何か起きたにせよ、こちらで何も把握できないのではうかつに動きようがない。これ以上はぼんやり待つしか他にない。加えてトウマ・ライナスがどこかにいると思うと焦りや苛立ちの方が増し、雑談でもしなければ気が休まらなかった。リーマも同様の気分だったのと今の返答の礼も込めて、中身のなさげなクロンの雑談に耳を傾ける姿勢となっている。
「紳士風と言ってもひとくくりにはできず、実際には服装も人物も様々だということだ。タキシードもいれば、カジュアルな服装をした者もいる」
「……」
「じっくり夕焼けの空と海の景色を堪能する紳士もいる。先ほどの紳士のように優雅な紳士もいれば、ああして血相変えて広場を走っている老紳士もいる」
「あれか。随分と急いでいるようだな」
クロンに顎で促されてリーマがそちらに視線を向けると、リーマは目にした光景に思わずプッと噴き出していた。広場で遊ぶ人々を掻き分けるように、疾駆する紳士風の老人の姿が映っていた。必死な形相で一点を見据えている。身につけているのが古風なタキシードだからなのか、喜劇を観ているような滑稽さがあった。
「クロンよ。あれがホルソじゃあるまいな」
「俺たちにすら正体を隠している男が、あんな目立つ行動などしないだろう。目立つ体つきではあるが」
「まあ、そうだろうな」
軽口とはいえ、我ながらつまらないことを言ったと思い、リーマが笑い声をあげそうになった時だった。老紳士が突然、怒鳴り声をあげた。リーマやクロンの他、周囲の視線が集まる中、かまわず老紳士は何かを叫んでいる。
「待て、待たんか!」
誰に向かっているのかわからず、クロンは素早く男が向かう先を追った。展望台へとあがる階段のそばで、ルークと少女が立ち止まっているのが映った。2人とも目を見開いて老紳士を注視している。
「そいつは、茶毛と青い髪をしたガキは泥棒だ!私の大事なものを盗んだんだ!礼ははずむ。金貨10枚だすぞお!」
金貨10枚――。
紳士の言葉に反応して、ルークのそばにいた3人の大人たちがやにわに襲いかかっていった。だが、ルークも少女も巧みにすり抜けて、積み重なった大人たちを尻目に少女はルークの腕を引っ張って階段には上がらず街中へと駆け出していくのが見えた。紳士風の男もルークたちを追って人混みの中へと向かっていく。
おい、とクロンがリーマの腕をつかんだ。
「あのルークと少女、それとあの男を追うぞ」
「何故だ」
答える前にクロンは駆け出していた。すり抜けるように風のような速さで、ルークはわずか後ろをついていくのが精一杯だった。
「クロン、どうするつもりだ!」
「あれがホルソだ」
「なぜわかる!」
「勘だ。あのルークは盗みを働く少年ではない。それを泥棒呼ばわりや金貨まで奮発するには何かある」
「それだけでホルソと判断するのは……!」
「だから勘だと言っているだろ。約束を反古にするほどの事態なら、あの慌てようも不思議ではない」
「……」
「俺はホルソを追って確かめる。リーマはケフルと合流してくれ!」
「わかった」
獣人族のリーマは、人よりも優れた嗅覚と聴覚を持っている。たとえケフルを見失ったとしても、追いつくことができるはずだった。リーマにしてみれば、名家な割に粗野なケフルは不快極まりない存在で、普段は口もきかない。
クロンに対して悪感情を抱いているのも知っていおり油断ならない相手と思っていたが、しかし、クロンの意見を聞いてその印象も少し変わった。“番犬”と陰口を叩かれるほどにシーリングには忠実であり、私の感情を優先して“彩花衆”を害を与えるような男ではない。組織のため目的のため、任務に関わるものとわかれば、クロンにも協力を惜しまないだろう。
「お前の勘を信じる」
リーマはうなずくとクロンから離れて、ケフルがいるはずのカフェへと向かっていった。




