君は何者?
途中、通行人を壁代わりにして咄嗟に路地へと飛び込んだのが功を奏したのか、人気のない静かな裏通りからは、ルークたちを追いかけてくるホルソというタキシード姿の男も見えなくなっていた。
目抜の通りから曲がって少し奥に入っただけなのに、人のざわめきや車のクラクションも既に遠くなっている。石造りをした路地の両側には建物が建ち並んでいるものの、薄暗い路地に人の出入りはなく静まり返っていた。
窓からの灯りが路地を照らし、建物によっては勝手口らしい扉の脇にビールケースや木箱が積み重なっていたり、あるいはゴミ袋が一ヶ所に集められていたりする。夕陽が照らす2階にはまだ洗濯物が干してあったり、小さなベランダには花を咲かせた植木鉢など置かれて生活の匂いが感じられた。
「ちょっと……、休もうよ……」
しばらくしてルークは肩で息しながら、近くの建物の勝手口の足場に腰掛けた。普段、トウマの指導で鍛えてはいるものの、いきなり泥棒扱いされてた動揺もあって、呼吸が激しく乱れて息が上がるのも早くなっていた。
「だらしないなあ」
「リイサだって、へたばっているじゃないか」
ルークは隣に腰掛けた少女を横目で睨んだ。
リイサと名乗った少女は、空を仰ぐような姿勢で明るそうに笑っているが、額から大汗を吹き出し、胸も上下に揺れて息が激しく乱れているのが一目瞭然だった。
「そりゃ、あれだけ走れば疲れるの当然でしょ」
「……だったら、僕をだらしないなんて言わないでくれる」
「細かいことは気にしないの。男の子でしょ」
「気にするよ」
ムッとしてルークの語気が強くなっていた。屁理屈でのらりくらりかわすようなリイサの話し方だけに怒っているのではない。追われているという割りに、まるで危機感の無いリイサに、ある不審を抱きはじめている。
「……あのおじいさんが言ったこと、ホントかい」
「なんのこと」
「“大事なものを盗んだ”と言っていたろ。あれはホントなのかい」
「あの男が言ったこと、本気にしてるのかい」
「そういうわけじゃないけど……」
「ま、君がどう思おうと、好きにしたらいいよ」
リイサは小さく肩をすくめた。
「ボクに手を差し伸べてくれたのは君だから。どこで引っ込めるのも君の自由さ」
「……疑われて、君は怒らないの。がっかりしたとか」
「君も一緒に泥棒扱いされちゃったからねえ。騒ぎに巻き込んじゃったなて、申し訳なさはあるよ」
「……ごめん」
「何で君が謝るのかな」
「君を泥棒かもしれないと疑ったから」
「素直だね、ルーク君は。ホントに盗んだのかもしれないんだよ」
いやと、ルークは首を振った。
「こうなったら付き合うよ」
「へええ、ボクが泥棒してないと信じてくれるんだ」
「その時はその時さ。ホントに君が泥棒してるとわかったら、ひとりでさっさと逃げるよ」
「なあんだ、冷たいなあ」
「“引っ込めるのも自由”とリイサが言ったろ。おかげで気が楽になったよ」
ルークが顔をほころばせると、リイサとやっぱり素直だねえと笑いながら立ち上がった。少し休めたおかげで、呼吸も回復している。互いに微笑を湛えて向き合っていたが、それも束の間のことで、リイサは真顔に戻すと逃げてきた方向に視線を向けた。ますます弱くなった夕陽の当たらない影の部分は、地面に近づくにつれ墨が広がったように暗くなっている。
「付き合ってくれてありがたいけれど、これからどうする?」
「さっきの港を通って、ホテルまで戻ろう」
ルークは即答した。
「でも、金貨10枚に釣られた連中が、まだ港にいるんじゃない」
「この暗さを利用しようよ」
ルークは星が瞬きはじめた空を見上げながら、宿泊先のホテルから、三番埠頭まで歩いたルートを思い出していた。
感覚としては、ホテルまでそう距離は遠くないはずだった。だが、見知らぬ異国の土地では他の道に自信がなく、港を通るのが最も無難ではあった。たしかに、港には金貨10枚目当てに躍起になっている連中も、港にはまだいるかもしれないが、金に釣られた連中の数と根気はたかが知れている。リイサのような青白い髪や、ルークのような子どもなどどこにでもいる。
ルークがそう説明すると、リイサも納得した顔をしてうなずいた。
「よし、行こうか」
「見つけたぞ、リイサ姫!」
不意に頭上から男の声が響いたかと思うと、屋根の上から一人の男がすっ降りてきて、ルークたちの前に立ちはだかった。
あの老紳士だった。
小柄で道の真ん中にぽつねんと佇んでいるだけなのに、城壁のような迫力がある。
「しつこいな」
リイサが呻くような声を発した。
街の灯りに照らされたタキシード姿は、先ほどまでルークたちを追っていた老紳士――ホルソ・コード――ではあったが、追いつかれたことよりも、ルークはホルソが見せた身体能力に驚愕していた。
ホルソが降りてきた建物は3階建ての建物だ。
軽々とした身のこなし方は高い身体能力で語れるものではない。
――それにリイサ“姫”てなんだ。
疑問を口にする前に、ホルソの威圧的な声がルークを遮っていた。
「お前の体は大事な身。勝手に逃げ回るな」
「なら、もうちょっと、それ相応に扱ってもらいたいね。“黄の国”から無理矢理連れてきて、友達も殺した」
「これは大義のため。だが一方で私の商売上、私の正体を知った者は生かしてはおけないからな。そこの子供も同じだ」
「僕も……殺すつもりか?」
「当然だ」
「そんなんだから、逃げるんだよ。わからない奴だね」
「そうやって私は生きてきて成功した。成功した生き方は変えられない」
言うなり、ホルソは殺到してきた。
黒い影が覆い被さるように膨れ上がり、ホルソの手元に鋭く光るものが、ルークの視界を捉えていた。
「うわっ……!」
後方に身をそらすと同時に、ルークの頬に鋭い痛みを感じた。光ったものは短剣。その刃で斬られたと思ったが確かめる間もなく、ホルソは次々に攻撃を仕掛けてくる。
ホルソの短剣は護身用で見られるような素朴なものではなく、戦場で兵士が扱うような分厚い刀身だった。刃の熱風がルークを襲い肩や腕を軽く斬られた。悪夢のような連撃だったが、それでも皮一枚でかわして逃れることが出来たのは、日頃の修練の成果と、なにより暗がりのためにホルソが倒れたビール瓶に気づかず、つまずいてバランスを崩しかけた幸運も味方したことが大きい。
おかげで、ルークは転びながらもホルソの脇をすり抜けることができたのだった。
「なかなか動きが良いな。だが、そこまでだ」
ホルソが再度突進を仕掛けてくる。薄暗い空を背に黒い影が不気味に躍り上がった。その奥でルークを見守るリイサと視線がぶつかった。
迷う暇はなかった。
ルークは近くに転がっていたビールの空き瓶を拾うと、そのまま一気に駈けた。
ほんの一瞬だが、ホルソの動きがわずかに鈍った。
逃げると思い込んでいたからだったが、そこに心の隙間が生じていた。ルークは頭から飛び込むように踏み込むと、すれ違い様、空き瓶でホルソの脛を思いっきり叩きこんでいた。
「ぐあっっ……!」
転倒しながら振り向くと、思わぬ激痛にホルソは苦悶の表情で、地面にうずくまっていた。予想外の攻撃を受けたことがよほど屈辱だったのだろう。ホルソの顔がみるみるうちに赤くなっていくのが、暗がりの中でもルークにはわかった。
「このガキが……!」
しかし、不意にホルソの言葉がぷつりと途切れた。怒りに満ちた表情もポカンと口を開いたまま、白目を剥いている。数歩ばかり頼りなく歩いていたが、やがて建物の壁にぶつかると、重い音を立てて膝から崩れていった。
「なんとか……うまくいった……」
ルークは口をあけ、肩で息をしていた。大量の汗が髪の間からどっとわいて出た。そのまま倒れこみたい気分だったが、まだ何も解決していない。そう思い直すと、ルークは大きく深呼吸して顔をあげた。
「……ありがとう、リイサ」
「こいつ、背後に近づいた私にまったく気がついてなかったからね。油断も良いとこだよ」
リイサは手にするビール瓶で自身の手のひらを軽く叩きながら、昏倒するホルソを見下ろしていた。
まともに戦っても勝機はない。
一連の攻撃でそう直感したルークは、ホルソの背後にいたリイサと瞬時に目配せしていたのだった。リイサが気づいて行動してくれるかは賭けに等しかったが、リイサは見事に応えてくれて、ホルソを昏倒させたわけである。
「この人、生きてるかな」
ホルソは白目を剥いたままピクリとも動かない。ルークは膝をついて、ホルソをのぞきこんだ。よしなよとリイサは低い声で言った。
「君を殺そうとしたんだよ。こんな奴の心配する必要ないさ」
「……それで、あのさ」
「待って」
言いかけるルークに、リイサが軽く手を挙げて制した。
「君が訊きたいことはわかる。ボクも説明しなきゃいけないことたくさんあるけど、色々あって整理しなきゃいけないから、その時間が欲しいんだよ。それに……」
リイサは口をつぐんで周囲を見渡した。物音を聞きつけたのか、周りの建物から人が姿を現していた。
「なんだ、お前たち。ここで何をやってんだ」
ビールケースが置かれていた建物から、大柄な獣人族の男が現れ、ホルソとルークたちを目を丸くして見比べている。名前入りのエプロン姿から、飲食店の人間らしい。
「おじさん、ボクたち、町を散策してたら、あの男に突然襲われたの」
「襲われた?」
「ほら、彼のこの傷を見たらわかるでしょ」
「……」
飲食店の男はルークの頬の切り傷を見て、すぐに不穏な事態がわかったらしい。緊張な面持ちで店の奥においと声をかけると、こん棒を持ち出して、周りの住民にも手伝えと声を掛けた。どうやら店の主らしい。
「これから巡吏を呼ぶ。おめえらは店の中にいろ」
「その人、短剣持ってる。狂暴な人だから早くここから離れたいんだよ」
「いや、しかしだな。友達の怪我の手当もしなきゃ……」
「ボクたち殺されかけたんだよ?早く離れたいの」
「お、おい……」
「ごめん、おじさんたちも気をつけてね!」
リイサが身を翻し駆け出す後ろで、ルークを住民たちに一礼して走り出した。住民たちは戸惑いを見せていたが、住民の一人がホルソの手にした禍々しい短剣を目にすると、ルークを呼び止めるどころではなくなり、たちまち大騒ぎとなっていた。
「縄だ、縄。頑丈な縄にしろよ!」
「若い奴、店からもっと呼んでこい」
「あぶねえから、じいさんは引っ込んでろよ!」
飲食店の主が中心となって、付近に住む男たちを指示している。腕に自信のある男数名がホルソを見張り、他の者たちは拘束するための縄だの、武器だの慌ただしく駆けずり回っていた。野次馬も集まりだして付近は騒然となっていた。
ちくしょうめ、と飲食店の主はホルソを睨みつけた。
「これじゃ、今日は商売にならねえじゃねえか」
しきりに舌打ちをする横で、隣に店を構える喫茶店の店長が声を掛けてきた。
「さっき、ウチの店員に巡吏を呼びに行かせた。ここからなら、あと10分もかからないはずだ」
「すまねえな。まったくよ……」
飲食店の主が再びホルソへ視線を戻した時、言葉を失い、全身が凍りついた。
気絶していたはずのホルソのいつの間にか両目が見開き、冷たい眼で飲食店の主を見据えている。
深い井戸の底。
暗い洞窟。
声を発しようにも金縛りにあったように口が動かなくなっている。
「おのれ……」
力なく垂れるホルソの手のひらに、漆黒の球が生じたのを見て、尋常ではない危機感がようやく主を金縛りから解放させた。
「おい、逃げ――!!」
刹那、漆黒の闇が周囲に広がり、不気味な闇の光は一種の天盖のようなものを形成して、それは付近の建物を覆うまでに膨れ上がっていった。




