君の名前は
“黒の国”の首都クローノスの三番埠頭は、町の南東部に位置し、交通の便の良さから貨物船以外にも、人の移送にも利用される。加えて港から海に沈む景色は観光名所としても知られるようになり、夕方になると人の往来が減るどころかますます盛況となっていく。近くに観光用の展望台も設けられていて、芝生も敷かれた広場となっている。このような場所は他にも幾つかあって、海沿いには大きな広場や歩道が設置されてあったりする。ルークとレフリムは、展望台から夕焼けに染まる穏やかな海を前に、瞳を輝かせていた。
「たしかに美しい風景ですよね」
「私の言った通りでしょ。沈む夕陽の光と、波の煌めきなんて宝石みたい」
「宝石かあ……」
ルークが大真面目に感心しながら言うので、レフリムは自分の言葉が急に恥ずかしくなり、顔が急に熱くなっていく。
「何だか、変なこと言っちゃったかな」
「そんなことないですよ。素直に表現できるのは素敵だと思います」
「そうかな」
「そうですよ」
ルークが笑った。
「死んだ父が言っていました。人には怒りや憎しみ、侮蔑、傲慢といった醜い本能がある一方で、世界の美しさや優しさ素晴らしさを感じられる心があるって。そんな美しいものに対して、素直になって口に出せるのは心が豊かな人なんだと」
「……」
「レフリムさんはそんな心が豊かな人なんだなって、父の言葉を思いだしました」
「ルーク君……」
「おまえら、よく飽きないなあ」
ルークとレフリムが瞳を輝かせて海を眺めている少し後ろでは、トウマとアリサはふがふが言いながら分厚いハンバーガーを頬張っている。近くの露店で買ったもので、港に近いだけに安く手に入るのか、エビや鮭といった海の食材がふんだんに使われている。アリサとトウマはハンバーガーに熱心で、美しい夕暮れ時の海を前にしながら、まったくの無感動無関心でいた。
ルークとのせっかくの良い雰囲気に水を差されて、レフリムは憮然とした。だが、子供相手に感動してしまっているのに、水を差すなとも恥ずかしくて言えない。
「あなたたち、この後帰ったら夕食でしょ。よくそんなの食べられるわね」
「私は普段から呼吸法を意識し、代謝が良いので問題ありません」
「飯食う前に、一汗流してカロリー減らすようにするよ」
「あなたたちねえ……」
ミラルカ局長の仲人趣味や最近の様子から、二人を近づけようとしているのは何となく察してはいたのだが、今は似た者同士の思考回路に呆れるしかなかった。そのミラルカはまだ会議での打ち合わせが続いていて、レフリムたちとは別に、出張先の幹部と食事会に招かれていてここにはいない。
「せっかくの名所に来たんだから、もうちょっとこの景色を味わいなさい」
「俺は旅してたら、似たような景色をよく見るからなあ」
「レフリムさん。あなたの説教を拝聴しながら、私はこのような状況にふさわしい、東洋のとある格言をおもいだしましたが、今、非常に感銘を受けております」
「……なによ」
「『花より団子』と」
「あのねえ、そんなのだからあなたたちはダメなのよ。良いこと……」
いよいよレフリムの説教が勢いを増しだしたので、ルークは巻き込まれないようにそっと3人から離れた。職場の長だからか性格からか、レフリムの説教は長いのだ。振り返ると、レフリムたちの周りを物珍しげに野次馬が集まり出しているのが見えたが、3人はまだ気がついていないようだった。
――トウマさんたちには悪いけど……。
ちょっと散歩してこようとルークは思った。レフリムの性格はルークも把握していて、始まるとだいたい20分くらいは説教している。ぶらぶらその辺りを歩いていたら、終わっているだろうとルークは推測した。
展望台の階段から降り、夕陽を横から一杯に浴びながらルークは海沿いの広い歩道を歩いていた。広場で駆け回る子どもたちや通り過ぎる家族連れに向ける視線に羨望の想いがどうしても混ざるのが、ルーク自身にもわかる。
――父さんと、見たかったな。
しっかり生きろと最期に遺した父の言葉が、今もありありと甦ってくる。自分はしっかり生きられているだろうかと、自らを省みることもあるが、アオルタ内を配達する“配達士”の一人として働く中で、ルークは暴力や貧困に喘ぐ家庭や孤児をしばしば目にしてきた。それと比べると、自分は周りに恵まれていると痛感させられる。同居するトウマも、レフリムやアリサら職場の先輩たち。何かと面倒を見てくれ、こうして異国の地にまで行くことができている。しっかり生きられていると断言できなかったが、父の言葉を思い出す度、しっかり生きないとと改めて心気が引き締まるような想いがするのだった。
「……ねえ、君」
不意に袖をひかれた。
指先で、そっとである。
微風とともに流れてきた声と、袖を引かれた感触に目を向けるといつの間にか女の子がそばにいた。歳も背丈もルークと同じくらいで、短パンにパーカー姿をしていた。陽の傾きによるものか、水色の長い髪が時折、銀色がかっているようにも見えた。少女の残る手には、先ほどトウマが口にしていた海鮮ハンバーガーを持っている。
エルフかなとルークは一瞬思った。周りで似たような髪色の人間がちらほらと歩いているように、半世紀前と違って混血が進んだ今では珍しくもないが、エルフの血を持つ人間は一風変わった髪質を持つ。
「え、僕……!?」
「そうよ。ボクが袖を摘まんでいるし、君以外いないでしょ」
「で、僕に何か用なの」
「これあげるから、かくまって」
少女はハンバーガーをルークに押しつけると、そばにある植え込みの陰へと飛び込むように隠れた。わけがわからなかったが、少女の勢いに押されて言われるがまま、植え込みの前に立って、チマチマとハンバーガーをかじり出した。
少女が身を潜めると、申し合わせしたように一人の老人が大慌てで駆けてきた。スーツ姿で一見して紳士風ではあったが、自然と警戒心が芽生えたのは、老人が殺気だった目つきをしていたからかもしれない。
加えて、老人というにはスーツ越しにもわかるくらい分厚い体つきをし、走る姿もストライドも広く、老人と言うには程遠いものがあった。
「くそっ、あのガキ……!」
通り過ぎ様、男は呪うような言葉を発して走り去っていった。老人の後ろ姿が人混みに紛れて見えなくなると、植え込みから少女がひょいと顔を出した。
「君のおかげで助かったよ」
「さっきのスーツの人?」
「うん。やな奴でさ、ボク、あいつに“黄の国”から無理やり連れてこられたの。ハンバーガー食べたいて、隙を見つけて逃げてきちゃった」
「逃げてきたて、あいつ、人さらいなのかい」
「違うけど、武器商人をやっている奴なんて皆、似たようなものだよ」
「ふうん……」
「ありがとう。何もお礼出来ないけれど」
「これからどうするの?」
「何とかなるよ。この町は人が多いから、身を隠しやすいだろうし」
「ひとりで?」
「心配ご無用。ボク、けっこうタフだから」
「……」
「じゃね。ありがとう」
少女はひらひらと手を振ると、広場へと足を向けた。
何か不味い。
武器商人という不穏な単語から、ルークは危険な空気を感じていた。
しかし、少女はあくまでも明るさを絶やさないが、彼女は衣服以外に何も持っていないようだった。ルークにとってはこの黒の国は寄り道でしかないが、少女にとってはこれからこの異国の地で生きていかなければならない。
このまま知らない顔をするという選択もあったが、それは酷く間違いな選択である気がしていた。放っておけない。そう思うと、ルークの足は自然と前に駆け出していた。
「ねえ、君。ちょっと待ってよ」
「何?ハンバーガーなら、君にあげるよ」
「そうじゃなくて、少しの間なら君の力になれると思うんだ。例えば君の故郷に帰るまでとかなら」
「君、子どもでしょ?何の力になれるの」
少女はおかしそうに笑ったが、ルークは表情も揺るがず真っ直ぐに少女を見つめていた。
「君の名前は」
「え?」
「僕の名前はルーク・ターレス。“青の国”で“配達士”やってる。ずっと“君”と言い続けるのは話しにくいんだ。君の名前を知っておきたい」
「君、“配達士”なんだ」
「うん。僕は職場の先輩たちについてきただけだけど」
明らかな悪漢に追われているような女の子を連れてきて、トウマたちがどう思うか。面倒事に巻き込む可能性は十分にあったが、迷うだけなのでルークはわざと考えなかった。
ルークがそこまで言うと、少女は考え込むそぶりを見せて、視線を地面に落とした。海を背景に髪が風に揺られてさらさらとなびいている姿が少年の目にも美しく思えた。やがて、少女は硬い表情をして顔を上げた。
「リイサ・ペンシ……」
言い掛けて、なぜかリイサという少女はまた口をつぐんだ。
「どうしたの」
「なんでもないよ。えと……、リイサ・ベルシア。それがボクの名前」
「……そう。じゃあ、リイサ。たしかに僕一人じゃ無理だけど、頼りになる人たちがいる。その人たちなら、君の力に幾らかなれると思う」
「……」
「少なくとも、ここから君の住んでいた家まで送り届けるくらいなら」
「“家まで”、か……。ボクをずっと護ってくれるてわけじゃないんだね」
「そこまでは無理だよ。僕らは、仕事でたまたま黒の国に来ただけだし、ただの“配達士”にそこまで求めないでよ」
「正直だねえ、ルークて。子どものくせに見栄を張らないなんて」
「リイサだって、僕と変わらないだろ」
膨れっ面するルークにリイサはクスクス笑っていたが、ルークにはその仕草が奇妙に大人ぽく見えた。微笑を残したまま、わかったよとリイサは手を差し出してきた。
「君を信頼する。仲間のとこに案内してよ」




