クロン・ステイシア、再び
――“クローノス”の街に来たのなら、一度はグロリアス城を見ておけ。
“黒の国”に住む人々は、自分が実際に見たことがなくても、鼻を高くしながら口を揃えて訪れた外国の旅人に語る。小高い丘陵地にそびえ立つグロリアス城はたしかに荘厳で、城下町を見下ろすようにつくられた堅牢な城塞は、目を惹きつける魅力というものがある。
彩王朝が崩壊して五か国が独立して以降、最大勢力を誇る“黒の国”も他国と同様、一時は混乱があった。しかし現在は治安も回復しつつあり、どんよりとした曇天にも関わらず“クローノス”の町は活気に溢れてていた。
多くの人々が行き交う中、ぽんと肩を小さく叩く感覚があり、黒のロングコートにハンチング帽を目深に被った男が立ち止まって空を見上げると、冷たいものが男の頬を濡らした。見上げた拍子に帽子から髪がわずかに溢れ、その色は真っ白だった。
「雨だぜ、雨!」
「くそ、傘持ってくりゃ良かったぜ!」
街の人々が駈け惑う中、雨は次第に勢いを増し、レンガ造りの建物や道や人をみるみるうちに濡らしていく。傘のない周りの通行人たちは、雨に濡れるのを嫌がって足早に雨宿りの場所を求めて駈けていった。しかし、その男は立ち止まったまま、無言で暗い灰色の空を見上げていた。
「そこで何をしている。クロン・ステイシア」
女性の声が背後からし、黒い傘が、クロンと空を遮った。クロンと呼ばれた男が振り返ると、傘を手にした褐色肌の女が佇んでいる。女は獣人族らしく、人間の耳の他、頭部からぴょこんと猫のような耳が生えている。
「気が利くな。リーマ・クリック」
「この曇り空で傘も持たずに出ていくからだ。私より先に出ていったくせに、随分とのんびりしている」
「こうして昼間に街中を歩ける機会が少なかった。外国の土地とはいっても久しぶりの感覚なんだ。この空気を味わいたくてな」
「味わうのは構わないが、お尋ね者が油断するな。それに、これから“集会”だというのに、みっともない濡れネズミになられては困る。仮にも貴様は“彩花衆”の一員だろ」
リーマと呼ばれた女が言うと、クロンは自嘲気味に鼻を鳴らした。
「どうせ、隅でお前らのよもやま話を聞いているだけだ」
「新参者かつ、我々から支援を受けながらアオルタでのテロの失敗。貴様の扱いは当然だ。信頼を得るまで地道に働け」
「……働く、か」
クロンはふっと笑った。
「“配達士”でもやるかな」
「クロンにしては悪くないアイデアだ。どこの国もあぶれた兵士や治安の維持に悩んで、“青の国”と似たような政策を執っている。書類も偽造できれば入り込む余地はありそうだ」
「働く」という言葉の繋がりで、クロンの脳裏にはトウマ・ライナスが反射的に浮かんで思いつきを口にしただけなのだが、リーマが気がつかつくはずもなく、真面目な顔をしていた。クロンは苦笑いを浮かべた。
「ただの思いつきだ。そう真剣に受け取られては困るな」
「貴様が言い出したのだろうが」
リーマは憮然として肘でクロンの脇を小突くと、2人は再び歩き出した。先ほどより人通りは少なくなり、通り上にいるのは傘を差した通行人ばかりとなっていた。
「お前は外見に似合わず、意外とくだらんことを口にするんだな」
「昔からよく言われる」
クロンは苦笑しながら肩をすくめた。
「クロン・ステイシアはニヒルで残忍、冷酷な野心家。俺がそんな器用な男なら、後方にまわしてもらえるよう画策して、今頃は大佐だの将帥だの総帥だの、チヤホヤされているさ」
「お前のその雰囲気がそう思わせるんだ」
「雰囲気?」
「重厚感のあるしゃべり方。佇まいや笑い方にも独特の威圧感がある。黙っているとそう見えるんだ。仲間にも貴様が何か企んでいると警戒している者だって、まだまだ多い。だから信頼されるような働きをしろと言っているのだ」
「働き……か。なるほどな」
「そうだ。わかったか」
「わかったよ。リーマにはいつも助けられているな」
「私が?なにをだ」
「こんな俺の傍に、いつもいてくれることだ。お前の肌の温もりが、俺の渇いた心を癒してくれる」
「バカなことを……!」
語気を強くしたが、リーマは頬をほんのり赤くしている。外見と同様、気が強い言動が目立つものの、可愛い女だとクロンは思った。そんなクロンの心境を見透かしたように、リーマは鋭い目つきでクロンを睨みつけた。
「勘違いするな。私は“彩花衆”の幹部の一人として、貴様が使えるから行動しているだけだ。私たちの間で起きていることは、一時的の衝動を発散する関係にしか過ぎん」
「……」
「いいか。クロン・ステイシアよ、忘れるな。我々“彩花衆”は、大義のため、常に戦いの場に身を置いている。仮にもその一員なら、腑抜けた感情など持つな」
「……」
「貴様や私は、いつ死んでもおかしくないのだからな」
「そうだな。リーマの言う通りだ。以後気をつけるよ」
いつ死んでも。
一見乾いた関係ではあったが、共通した想いが二人を強く結びつけている。クロンの前にも何人か男がいたらしいが、それについてクロンは特に気にしていなかった。彼らは既にこの世にはおらず、リーマの言葉が軽いものではないとわかってはいたし、刹那的な関係も今の自分に合うと気に入っていた。
「わかったなら、グズグズするな。時間に遅れる」
リーマはクロンを促すと、雨の中を行き交う群衆にまぎれてやがて見えなくなった。
※ ※ ※
蒼弓の空の下、丘の向こうに陽光を煌めかせる海が見えてくると、ルーク・ターレスは客室の窓側の席から外に広がる風景を夢中になって眺めていた。瞳を輝かせているルークに、正面に座るレフリムがおかしそうに笑っている。
「海がちょっぴり見えただけなのに。そんなに嬉しい?」
「僕、海を見るのはじめてなんですよ」
「あら、そうなんだ」
レフリムは普段、郵便局内で見せる厳しい仕事人といった顔つきとはうって変わって、明るく優しげに微笑んでいる。
「私も“黒の国”は初めてなんだけどね。これから向かう都のクローノスは海沿いにあるんだって」
「へええ」
「そこのグロリアス城というお城は、夕日に照らされて海との風景がとっても綺麗なんだって。時間できたら行ってみる?」
「いいですね、それ」
和やかな会話が弾む一方で、ルークらと反対側の通路側に座るトウマ・ライナスはしげしげと巨大おむすびを眺めていた。
「アリサちゃん、こりゃ随分と奮発したな」
トウマが手にしているおむすびは赤ん坊の頭ほどはある大きさで、この一個だけで一般人なら1日の腹が足りそうな量をしていた。
「アリサ君、ごめんね。俺の方はお腹一杯になっちゃってさ」
トウマの隣では、ミラルカ・テスカ郵便局長が申し訳なさそうに言った。巨大おむすびの半分も食べきることができず、残りはトウマに食べてもらっていたのだ。
「少し、気合いが入り過ぎました……」
正面の席に座るアリサ・サーバンスは、顔を真っ赤にしていた。長旅になるからとアリサがおつまみ代わりにわざわざ用意してくれたものだが、バケットには、同様の巨大おむすびがぎっしりと詰められている。
“黒の国”出張のため、アオルタ郵便局員5名が汽車に乗り込んだのは午前7時半頃だが、逆算すればかなり早起きして巨大おむすびを一人でつくったことになる。
「いいよ。俺、白米好きだからさ。まだまだいけるぜ」
「……ありがとうございます。トウマさん」
「レフリム君たちもどうだい?」
ミラルカが2人に訊くと、レフリムはごめんなさいと謝った。
「私ももうお腹一杯なんです」
「僕も限界で……」
「そりゃ、あんな大きなおむすびを3つも食べるんだもの」
「違いますよ、4つです。5つは食べるつもりだったんですから」
レフリムは何故かムキになっているルークをおかしそうに笑うと、2人は再び雑談に戻っていった。トウマたちに顔を戻すと、トウマは相変わらず機嫌良くおむすびを頬張っている。アリサも恥ずかしそうにしていたが嬉しそうに頬張るトウマに釣られ、やがては大きく口を開けて、おむすびにかぶりつくようになっていた。
――やっぱり、この2人かな。
トウマとアリサが一緒だと、互いに雰囲気が明るくなる。
仲人役として、ミラルカは軍人時代からこれまで5組ほどの縁談をまとめてきたが、普段の職場での関係やその経験から2人の相性の良さを直感していた。トウマとアリサには、それぞれ他にも親しく会話している異性はいるのだが、女癖が悪い、金遣いが荒いなど様々な問題を抱えている者もいて、そんな中でお似合いと断言できるのはこの組み合わせだと思っていた。
これまでまとめた縁談も、今のところ夫婦円満だと聞いている。一緒になれるよう手を尽くし、狙い通りに事が運ぶといつしかミラルカは言い様のない幸福を感じるようになっていた。同じ職場なら、できるだけ2人きりになれるような気配りや、互いにそれとなく情報を与えて、相手への理解を深めるようにしていた。情報の選別にも気を遣う。結婚後もフォローも欠かさない。やりすぎだと人には指摘されたこともあるが、ミラルカは気にしない。
――同じ知恵を搾るなら、戦争より仲人のがマシ。
戦争に勝つため、国や軍を優位に立たせるために、人を欺き利用し、暗い知恵を搾ってきた軍部時代の後ろめたさからの反動もあったのかもしれない。人と人とを結びつけ、幸せな家庭を目の当たりにすることで未来と繋げた、役に立てているという感覚がミラルカを勇気づけている。当初は頼まれただけの仕事だったものが、今の彼の中では、使命感と似たようなものとなっていた。




