まあ、とりあえずメリー・クリスマス
あの傲慢なトナカイの赤い鼻をどう明かすか。
敷地内を歩く間に、アリサ・サーバンスが思いついたのは単純なものだった。小振りの漁船ほどはある橇の荷に身を潜めて、上空に達したところで姿を現し、我らここにあり、どうだざまあみろと高らかに宣言する。
考案したアリサ自身、無意味で子ども染みていると思わないでもなかったが、雪を降らす作業程度で喧嘩することでもなく、かといって黙って引き下がるのも癪にさわる。できるだけ平和的な手段で仕返ししたいとアリサは考えていた。
乗り気ではないルークを巻き込み、寒さに震えながら荷台に潜む方法が仕返しになるかは、いささか議論の余地があるところではあるが、アリサは空でジオ相手に論じる自分を想像してすっかり満足しているのだからどうしようもない。
身を潜めてからどれくらい時間が経過したか。表で複数の人のやりとりがした。その中には、聞き慣れた声も混じっている。ルークが首を傾げた。
「あの声、トウマさんですよね」
「ガラガラと品のない声は、トナカイのジオとかいう獣ですね。やはり、この橇で間違いなかったようです」
――口悪いなあ。
ルークは露骨に嫌悪感を示すアリサに苦笑いしたが、言葉にはしなかった。先輩のレフリムがジオへの腹いせに急遽クリスマスパーティーを開催したように、怒りの示し方は様々である。ここまで行動を起こしたアリサを茶化せば本気で起こるだろう。ルークにもそれくらいの想像は余裕でついた。
「ルーク、少しさがって」
アリサはルークに荷物の陰に隠れるよう、手でジェスチャーした。出発前に荷物をチェックすることを予想したからだが、それは杞憂に終わったようである。わずかに覆いを開いて何か取り出しただけで、「気合いいれていくぜ!」とジオらしき怒号が響いたかと思うと橇が揺れて前進を始めた。
――不用心な。
むざむざと潜入されて調べもしない。これでは敵の思う壺ではないか。トウマ・ライナス不覚なりと、アリサは自分の立場も忘れて少し腹立たしい気持ちでいた。
「アリサさん。な、何か浮いている感覚しません?」
「この魔力、トウマさん……なわけない。あのトナカイ……」
「こんな大きな機材ごと、ですか」
ルークがアリサにしがみついたまま言った。ルークのいう通り、揺れがおさまってみると、次第に体も持ち上げられるような感覚に襲われている。ジオの魔力かなにかで、上昇しているのだとアリサは思った。それにしてもこれだけの機材を積んだ巨大な橇を宙に浮かせるのだから、尋常ではない魔力の持ち主である。
「ルーク。前に行きましょう。タイミングを見計らって私たちの姿を見せつけます」
「は、はい」
2人は匍匐前進しながら、荷台を這いトウマたちに近づいていく。やがて、外からトウマたちの声が聞こえてきた。覆いの隙間から外を覗くと、真っ赤で分厚い衣服ととんがり帽子に身を固めたトウマ・ライナスの後ろ姿が星空を背景にして浮かんでいた。冷たい空気が荷台に流れ込み、アリサは反射的に小さく身震いした。風に乗ってトウマの喚くような声が流れてきた。
「雲の上てこんなに寒いのかよ。もっと厚着してこりゃ良かったかな」
「それ以上だと、動きに支障が出る」
「早く終わらすか。この蓄音機を鳴らせば良いんだろ」
トウマは耐えかねたように、傍らに設置してある蓄音機に手を伸ばした。コードは荷台の機材に繋がっていて、さきほど取り出したコードは蓄音機と接続するものだったらしい。やがて、荷台の拡声器からシャンシャンと鈴なりの音がしたかと思うと、馴染みのあるあの「ジングルベル」が大音量で流れ出した。ルークは「やかましいな」と耳を抑えて顔をしかめていた。アリサも同様に、地上で聴くより耳障りで不快な音ではあったが、今はトナカイに一矢報いることができるのだと思うと、自身の身の内にたぎる高揚感の方が勝っていた。
――行きますよ。
アリサがルークに合図を送ろうとした時、橇が突然、激震で揺れた。あまりの強い衝撃にアリサはバランスを崩し、ルークが咄嗟に掴まなければ、そのまま機材に体を打ちつけていたかもしれない。
「なんだ?」
トウマが荷台の異変に気がついたのはその時だったが、窺うトウマにジオの檄が飛んできた。
「ボサッとしてんな。“キャロル”の次の攻撃が来るぞ!」
「ちいっ!」
トウマは激しく舌打ちして、八双に身構えながら左手上空を注視した。宝石のように煌めく星空に紛れて、蠢く魔物の影が映る。その全身は蒼白く、背からはコウモリに似た羽根を伸ばしていた。鋭い爪の四足に刃のような尖った牙。全長でせいぜいトウマ程度ではあるものの、竜の一種である“氷竜キャロル”が、トウマたちと平行するように飛翔している。
トウマが睨み据える中、キャロルは突然速度を増し、弧を描きながら突進してきた。
「また“氷炎弾”が来るぞ!」
「わかってるよ!」
トウマが叫び返すより早く、キャロルが口を開くと体が発光するとともに、口内から十数もの氷塊が生じて次々に襲いかかって来た。氷塊の表面は美しく星と月の光に滑らかに反射され、地上から見れば流れ星のように見えているだろう。“氷炎弾”の冷気によって空気中の凝固された氷を砕く音なのか、凛々と鈴を鳴らすような音はたしかにハンドベルの名に相応しいのかもしれなかった。
だが、キャロルと対峙する当のトウマはそうは言ってられない。宙に八双のまま躍り上がると次々に“氷炎弾”を叩き割った。もっともそんな大胆な動きが出来るのは、ジオの浮遊させる魔力が一種の防風壁となって風を弱めていることと、腰に結んだ命綱のおかげでもあったが。
「見事だ。このまま曲が終わるまで凌げば良い」
簡単に言うなと叫びたい気分ではあったが、キャロルが“氷炎弾”で攻撃を仕掛けてくるので返す間もない。刀で粉砕する度、散った氷の欠片たちがキラキラと舞うように落ちていく。
――今年も成功のようだな。
ジオは地上の様子を眺めながら空を駆けていた。ジオは雲より高い位置にいても、地上の人間の顔まで判別できる尋常ではない視力がある。アオルタの人々はトウマの激闘を知る由もなく、舞い落ちる氷塵に目を輝かせながら歓声を挙げていた。
「いいぞ、お客さんの反応も上々だ」
「このまま……」
ジオの言葉にトウマがそこまで言い掛けた時、ふと御者台の上からキャロルを探す視線がピタリととまった。視界の中に飛び込んできたものに、トウマはまさかと言葉を失っていた。
荷台の覆いから、不安そうに外を眺めているアリサとルークの横顔があった。
「なんで2人が、そこにいるんだ!」
トウマの怒号にアリサとルークは身をすくませたが、駆けるジオも異変に気がつくと思わぬ闖入者に愕然として足が止まってしまった。
「レフリムのパーティーに行ったんじゃないのか!」
「そ、それは……」
「仕事でもないのに何を勝手にやってんだよ!」
「勝手にとは何ですか!」
トウマの言い方に腹が立って、アリサも立ち上がると負けじと怒鳴り返した。もっとも、怒鳴らないと声も届きにくいのだが、戦場往来の声というもので、戦場で鍛えられたトウマとアリサの怒声はやたらでかい。加えて怒りの感情が相乗効果となって、やりとりも熱を帯びていった。
「私にだってプライドというものがあります。ああも言われて、このまま引き下がってなどいられません!」
「だったら、正面から文句言ってこりゃ良いだろ。なんでこそこそやるんだよ」
「一応はお客相手なんですから、そんなこと出来るわけないでしょう!それに何ですか、荷台の確認もロクにしないで出発するなんて。元抜刀隊の隊長たるものが簡単に潜伏を許すなど情けないですよ!」
「うっさいな、抜刀隊なんざ関係ないだろ!」
「おい、お前ら。いい加減にしろよ」
「黙ってろ、トナカイ!」
「そうです。汚い口を閉じていてください」
「なんだと、コノヤロウ!」
ジオも短気者なので感情の導火線が短く、仲裁役には全く向かない。仲裁するつもりが口喧嘩に加わることになり、いよいよ収拾がつかなくなっていく。三つ巴の形となる中、「ジングルベル」が賑やかに流れていた。ルークはというと、うろたえながら眺めるしかできないでいる。トウマとアリサならともかく、これまでジオのような粗野な性格の者とは接した経験がない上に苦手に感じていたので、取りなす自信がまるで無かった。
一方の“氷竜”キャロルはどうしていたか。
攻め立てるチャンスではあったが、キャロルはトウマたちから数百メートルの位置で、3人の様子を伺い立ち止まっていた。空に棲むキャロルは音に敏感な生き物で、3人の怒号を威嚇と同様に捉えていた。そのため、攻撃を仕掛けることに躊躇していたのだった。しかし、竜の一種なだけにそれなりの判断能力もある。様子から仲間割れだと結論が出ると、一直線にトウマたちに猛進し、“氷炎弾”を放たんと口を開いてエネルギーを口内に滞留させた。
しかし、この判断はいささか遅すぎたのかもしれない。理性のために、獣特有の本能と瞬発力を鈍らせてしまっていた。
「キィヤアアアアェェェェ!!」
「うるさぁぁぁぁぁい!!」
竜の雄叫びに勝る声で、トウマたちが一斉に吼えた。3人――正確には2人と一匹――の大音声は、強烈な衝撃波となって接近してきたキャロルに正面から呑み込んだ。
「……!!」
音に敏感なキャロルには堪らなかったに違いない。声に吹き飛ばされるようにして後退すると、キャロルはそのまま身を翻して一目散に逃げていってしまった。
トウマたちとしては寸前で危機を回避したと言って良いところなのだが、キャロルの後ろ姿を見送りながら、コノヤロウとジオがまた叫んだ。
「コノヤロウ、イベントの途中にキャロルを逃がしてどうすんだよ!」
「てめえも一緒になって、怒鳴っていただろうが!」
「そんなことより、勝手にとは何ですか」
「また蒸し返すのかよ、アリサちゃんもいい加減にしろ」
「あの、あの……」
「いい加減て何ですか。トウマさんの先日の報告書ほどじゃありません!」
「えと、あの……」
ルークはあわあわしながら間に入ろうとするが、アリサの珍しく甲高い声に遮られてしまっていた。
頭が沸騰している三名と違い、ルークは寒さもあって情けない気分でますます惨めな気持ちになっていく。
「てめえら、俺の話を聞け!」
「こっちに割り込んで来ないでください!」
「なにを!」
「あの……みなさん……」
かぼそく弱々しいルークの泣き声が、熱を帯びたトウマたちを瞬時に冷めさせた。見ると、ルークは顔をくしゃくしゃにして涙を溢している。
「もう……とっくに曲は終わってます……」
「……」
「それに……寒いから早く帰りたいです」
※ ※ ※
「悪かったな」
サンタクロース邸の庭に戻ってくると、それまで無言だったジオが謝ってきた。
「いや、こちらこそつい興奮してしまって……」
「言い過ぎましたし、私が橇に潜りこまなければこんなことにはならなかったはず。誠に申し訳ありません」
トウマとアリサもタイミングを計っていたのだが、まさか先に謝ってくるとは思わなかったので、2人も慌てて頭を下げた。冷気にさらされ疲れ果てたのだろう。ルークはトウマに背負われて寝入っていた。
静かな星の煌めきと、そよぐ風の冷気が沸騰させたトウマたちに冷静さを取り戻させたが、いったい俺たちは何を争っていたのかとひどい虚無感と疲労感に襲われている。
「よう、お前ら」
執事のパルネ・ドーロを従えてサンタクロースが破顔して現れると、アリサとルークに一瞬怪訝な表情を浮かべた。しかし、よほど機嫌が良いのか、細かいことを気にしない性格なのか、すぐに笑顔に戻ってそのまま話を続けた。
「イベント見ていた社の連中から連絡がすぐに入ったが大ウケ大歓声だってよ。特に最後の空に昇る流星。いったい、どういう仕込みをやったんだ」
「“氷炎弾”を撃とうとしていたから、その光なんじゃないですかね。よくわかりません」
「なんかお前ら元気ねえな。若い衆がどうした」
「若い衆でも、疲れるときは疲れるんだよ」
眉をひそめるサンタクロースに、ジオがため息を吐くようにして言った。
「あとで、そちらに会社通して謝礼を出す。今日はよくやってくれたぜ」
「なんだジオも、いつになくしみったれてんなあ。これから祝いやるからよ。トウマもそちらの嬢ちゃんと坊っちゃんも連れて一緒に来なよ」
強いサンタクロースの誘いではあったが、結局、トウマは断った。ルークの面倒もあったし、疲れているのも事実だった。第一、酔って騒いでいるサンタクロースを想像するだけでうんざりした気分になる。だが、サンタクロースはトウマの断りに気を悪くもせず、あっさりと引き下がった。自分が飲めればそれで良いらしい。
「良いクリスマスをな」
門まで見送りに来たジオは苦笑いしていたが、白けたような虚無感をジオも抱えているのだろう。トウマとアリサも似たような笑みを返して、サンタクロースの屋敷を後にした。
トウマとアリサは屋敷を出ると、うつむき加減に並んで歩いた。
サンタクロースの屋敷に来てから2時間ほど経過しているはずだが、まだどこかでパーティーを続けている家があるらしい。クラシックの演奏が微かに流れてくる。それ以外は静寂に包まれ、カツカツとアリサの杖をつく音だけが響いていた。
「……トウマさん」
「ん?」
「色々と言い過ぎました」
「俺の方こそごめんな。あんな怒鳴る必要なかったんだ」
「私もです。何をあんなにいきり立つ必要があったのか。そもそも、ルークを連れてまで橇に潜り込むなどという行為自体が、馬鹿げてました」
「まあ、怒る気持ちはわからないでもないけどな」
「今思うと、恥ずかしいことをしました。あそこで事故が起きていたらと思うと……。反省しています」
「無事に終わったんだ。その気持ちがあれば充分だ」
「はい……」
「でも、そんないい加減だったかな」
「え?」
「昨日の報告書。旅費の申請だったはずだけど、いつもとそんな変わらないと思っていたけどなあ」
「数字の間違いです。書き漏らしで一つ桁が足りなかったんです。私も気がつかなかったのをレフリムさんに指摘されただけです」
「そうか、悪かったね」
「いえ、いい加減は言い過ぎました」
そうだねえとトウマは夜空を見上げて言った。
「あんなことで口喧嘩になるとは思わなかったよ」
「私もですよ」
「くだらないな。何であんなヒートアップしたんだろ」
「何故ですかね」
アリサがふっと軽く笑うと、釣られてトウマも微笑みを見せた。ようやく空気が和んだようにトウマは感じた。
「これからどうしようか。俺、腹減ってきちゃったよ」
「そうですね。クリスマスですから、まだ開いている店も多いでしょうが……」
「ルーク君もいるから、静かなとこにしたいなあ」
普段ならこのまま寝かせておいただろうが、せっかくのクリスマスではある。寒空の中で大人とトナカイの口喧嘩を眺めながら、自分は泣いて終わりという方が少年の心にはショックだろう。
「アリサちゃん」
「はい」
「俺んちに寄ってく?」
「え?」
突然のトウマの提案に、アリサは驚いて大きな目をさらに見開いた。だが、神妙な面持ちでいるトウマは、ルークのことを考えていたのでアリサの変化に気がつかない。
「ト、ト、トウマさんのご自宅ですか」
「余りものだけどワインや食材が幾つかあるから、何かつくるよ。途中でクリスマスぽいもの幾つか買って家で祝おうぜ。これじゃルーク君が可哀想だ」
「そ、そそ、そうですね。め、めい、名案です」
冷めてしまっていた心と体が、再び急に熱くなり始めるのをアリサは感じていた。トウマ・ライナスの部屋に入る。それだけを考えるだけで、胸の鼓動の高まりが耳元で鳴っているようだった。
「おーい」
サンタクロースの屋敷を離れてしばらくし、アオルタ市街に繋がる曲がり角に差し掛かった時だった。不意に呼ぶ声がし、声の在処を探すと、サンタクロースの屋敷に負けない豪奢な屋敷の庭に面したテラスから、トウマたちに手を振る影が映る。柵の向こう側で室内の灯りから浮かび上がる輪郭から女性のようだった。
さきほどから流れている演奏が大きくなり、どうやら演奏はこの屋敷で行われているようだった。
「おーい、そこにいる人、トウマにアリサじゃない!?」
予想通り声の主は女のものだったが、聞き覚えはあるものの始めは誰だかわからなかった。
「あの声……、レフリムさんじゃないですか」
「レフリムの家て金持ちて聞いてたけど、ここか」
そうですとアリサが返すと、レフリムらしき女の影がテラスから駆けてきた。どこか足下が覚束なく、駆け寄ってきたのはやはりレフリムだった。
「あれ、ルーク君もいたんだ」
トウマより先に背負われているルーク見つけると、レフリムはどこか嬉しさと意外さが混ざったような声を発した。
「仕事、終わったんだ。アリサとルーク君も、今日のメンバーだったっけ」
「いえ、そういうわけではありませんが、ちょうどそこで会いまして」
「ふうん、まあいいや」
普段なら納得いくまで訊いてくるレフリムだが、相当、お酒の入っているらしい。今のレフリムの言動は、毅然とした普段のイメージより軽々しく思えた。
「お開きまで時間あるからさあ、パーティーに来なよ」
「でも、俺たち埃だらけだよ」
「何、気を遣ってんの。私の今の服装を見なよ〜」
おどけるレフリムの服装は、出勤時のままである。局員が気後れしないよう普段着のままで、と言っていたのをアリサは思い出していた。
「局のみんなもそのままの服装で来てる。ただ、出来上がっちゃっててさ。私もちょっと退屈してたところだから、あなたたちが来てくれたら嬉しいな」
「……じゃあ、今から大丈夫ですか」
「もちろんよ。それにルーク君が来てくれたら、言うことないからね。あっちにも門があるから案内するわよ」
言うが早いか、それだけ言うとレフリムは妙に高いテンションとなって、門のあるという方向へと小走りに駆けていった。
「せっかくだし、行こうか」
「ですね」
トウマとのクリスマスも惜しい気がしたが、ルークも賑やかな方が嬉しいだろう。
「来年はゆっくり過ごしたいなあ」
トウマの独り言のような呟きにアリサは返すことはしなかったものの、内心では同意していた。
――トウマさんと一緒に。
という言葉も添えて。
[クリスマス編・終わり]




