トナカイさんは言いました。
アリサ・サーバンスはいつものように惣菜パン屋“リ・フレンズ”に寄って、朝食用のサンドイッチを購入した。
朝食用のサンドイッチは歩きながら食べるのである。はしたない行為だとわかっていたが、アオルタ郵便局までにある通りのひとつ“ハンバル通り”は街路樹が立ち並ぶ閑静な住宅街で、アリサの出勤する時間帯は人通りがほとんどない。
六番街の自宅からは少々遠回りとなるが、木々の隙間からこぼれ落ちる朝日を浴びながら、サンドイッチをもふもふ頬張るのをアリサはひそかな楽しみにしていた。
アオルタ周辺の気候は比較的温暖といっても、冬に入れば、時には震えるような冷気も運ばれてくる。すっかり葉の落ちた街路樹に差し込む朝の光は、眩しいくらいだった。
それと、最近のアリサにはもうひとつ楽しみがある。
――今日はどんな感想をもらえるだろう。
肩に掛けている小さな鞄には、弁当箱が2つ入っている。トウマ・ライナスとルーク・ターレス用のお弁当で、週に一度のペースで2人に弁当をつくってくる。
もうひとつの楽しみとは、トウマたちのためにお弁当をつくることだった。
本心としてはトウマだけにしたかったが、ルークはトウマと寝食をともにする兄弟のような間柄である。何より少年であるので、不公平にはできないと思っていた。
それに、あまり露骨なのも押しつけがましく思っていた。弁当が週一回だとか箱が小さめというのも、その現れで、我ながらいつこんなに気を遣うような性格になったのだろうと、アリサは時々不思議に思うことがあるのだった。
――もうすぐクリスマスか。
途中の家々で、鮮やかな折り紙の星や人形で装飾されたもみの木が視界に入ると、アリサの弾んだ心が、さらにテンポよくリズムを刻むのを感じていた。
“クリスマス”という外国のお祭りがこの大陸に入ってから数十年となるが、戦争が起きても今ではすっかり定着していた。
アオルタ郵便局でも例年行われるイベントがあって、空駈けるトナカイが引く橇に乗る“サンタクロース”なる人物が街に雪を降らせる。
常に戦線での生活が長かったアリサにとっては初めてで、心がさらに小躍りしていく。
――当日はトウマさんを誘って、食事して……。
レストランの一室で食事をする光景を思い浮かべると、いつもは無表情なアリサの口元がむずむずとゆるんでいく。弾む心は抑えがたく、無性にスキップでも踏みたい気分になっていた。しかし義足では思うようなスキップなどできないので、残ったサンドイッチを口一杯に頬張るしかできなかった。
「真っ赤なお鼻のトナカイさんは……、今宵こそはと言いました……」
空を見上げながら、浮き浮き気分に促されたままアリサは鼻唄混じりに歩いていた。早朝の澄んだ空気や気分良く歩いていたのだが、次の瞬間、アリサは何かにぶつかって尻餅をついていた。からからと杖が地面を転がっていく。
家の壁か街路樹かと思ったが、表面がやけに柔らかった記憶がある。
「おいおい、お嬢さん。大丈夫かい」
頭上から低い声がし、アリサは目を開くと転がった杖の先に茶毛をした動物のしまって細い足が見えた。
「何だか嬉しそうだったが、ぼんやり余所見しちゃいけねえな。俺が声を掛けても、ちっとも気づきやしねえ」
「……」
視線を上げてアリサは愕然とした。額から立派な角を生やしたトナカイが一頭、アリサを見下ろしていたからだ。随分と体格がよく、人間の大人ほどの高さがありそうだった。
「ちょっと道を訊きたいんだが」
「は、はあ……」
アリサはそれを言うのが精一杯だった。
トナカイは相変わらず、悠然とアリサを見下ろしている。
「アオルタ郵便局に行きたいんだが……。どこにあるか知っているかい?」
※ ※ ※
「……と、いうわけでトナカイのジオさんはここまで足を運んでくれたわけです」
朝礼中、ミラルカ・テスカ局長が事務室に集まる職員に告げると、隣に佇むトナカイのジオは、どこからかおもむろにタバコを取り出して火を点けた。
「すまねえな。サンタクロースのジジイが腰を痛めちまってよ。歳とはいっても、イベントに出られなくなっちまうなんて情けねえ話だ」
「あの、ジオさん。ここは禁煙なんですか……」
「細かいことを気にするな。健康にさわるぞ」
「ですから、職員や来局されるお客様の健康のためにですね」
「なあに。それでも、人の命はタバコの火よりも長いさ」
「いや、そういうわけではなくてですね」
「昨日。そんな昔のことは覚えちゃいない。明日。そんな遠い未来はわからない」
「……」
「人生はハードボイルドなんだぜ。わかるかい?」
「はあ……」
いっこうに構う気配のないジオに、ミラルカは反論する気も失ってしまい、重いため息混じりの返事をした。
「ねえねえ、喋るトナカイなんてあり得なくない?」
「だよねえ。しかもタバコ吸ってるしい。柄悪いしい。わけわかんなあい」
――お前らが言うなよ。
喋るトナカイを眺めながら、尻尾と耳をぴょこぴょこ振りながら、犬族や猫族に混ざって、リザードマン族の女職員たちがこそこそ雑談していたが、そんなやりとりをトウマ・ライナスは背中で聞いていた。トウマは思わず心の中で茶々を入れていたものの、しかし、そんな無神経な軽口を叩こうものなら騒ぎになって、たちまち女たちから総スカンだ。
「そんなわけでな。改めて言うと、今日ここまで来たのは、“サンタクロース”の代役を頼みに来たんだ。10年続いたイベントをジジイひとりのために、中止にするわけにはいかねえ」
ジオはタバコの火を揉み消した。
「ただ希望としては、ここは腕利きの“配達士”が多いと聞いている。できれば、そいつらにお願いしたいな」
小さなざわめきが起き、アオルタ局員は互いに顔を見合わせては、首を振って明らかに嫌がる姿が目立った。何故“配達士”が必要というのかよりも、せっかくのクリスマスを潰されたくないという思いが強いようだった。
「あの、私が……」
一瞬の静寂の間の後、居並ぶ職員たちからどよめきが大きくなった。真っ先に手を挙げたのがアリサ・サーバンスだったからだ。
「あ、僕もサンタさんやりたいです!」
アリサに負けじとばかりに、ルーク・ターレスが目一杯背伸びをして挙手をした。ルークは使命感ようなものに加えて、空を飛ぶトナカイや橇に興味があったし、アリサはサンタの衣装にトウマはどう反応するか楽しみもあったからだ。だが、トナカイのジオはまいったなと苦笑したまま2人を見比べている。
「俺は“配達士”に頼みたいとは言ったがよ、女と子供には、頼むつもりがねえんだ。どうも扱いが苦手でね」
「ひっどーい」
「なにその言い方〜」
身も蓋もないトナカイに愕然とするアリサとルークより先に、即座に反応したのは犬族と猫族の女たちで、他の同僚たちからも一斉に文句とブーイングが室内に満ちた。若いが職長とも言えるレフリムは声こそ皆と荒げることはしなかったが、物凄い目つきでジオを睨んでいる。それでも、ジオは態度を崩さない。
「俺はパートナーの頼みに来ているんだ。俺はジジイ相手でもこの調子だ。俺たちの仕事にお行儀良さなんざ要らねえ。だから、こういうことで騒ぐ女と子供は嫌なのさ」
ジオの傲然とも言えるような態度に、相手がトナカイであることも忘れて怒号が一層大きくなる。内容の問題云々よりも、身も蓋もない物言いにめんどくさそうなトナカイだなとトウマは直感した。あまり関わらない方が良さそうだと思い、それとなく移動して同僚のニッカ・ボッカの巨体の陰に隠れようとした。その時、職員を制していたミラルカからの言葉が、トウマの耳朶を打った。
「……じゃあ、トウマ君。この件、頼むよ」
「俺、ですか?」
トウマが吃驚するあまり、声がうわずった。それまで騒いでいた職員の視線が、トウマへと集まった。
「トウマ君、配達から帰って来たばかりで、しばらく空いているだろ」
「そりゃあ、空いてますけど、他の奴らだって……」
「今日、ここにいるのは担当ルートがあるのばかりだから外せないんだ。君が一番都合がいい」
「……」
「いいね、決まり。決まったんだからね。みんな。はい、本日の朝礼はこれでおしまい。仕事、仕事」
ここが“遊軍”の面倒なところだとトウマは嘆息した。
除隊した元兵士を“配達士”として採用し、危険な地方に向かわせるようになってからしばらくになるが、“配達士”でも分かれるようになって、ニッカ・ボッカのような担当ルートを持つ者は“本隊”と呼ばれ、トウマのように毎回、目的地が変わる者を“遊軍”と呼ぶようになっている。
危険な地域にまわされやすい分、給料も手当ても“遊軍”の方が高く時間もできるのだが、空いていると余計な仕事を与えられやすい。
幹部も心得たもので、損得抜きに動いてくれる人物を“遊軍”に選んでいた。また、そういった人物でなければ、不測の事態が起こりやすく、柔軟性や判断力決断力が必要とされる危険な地域などに送り込めない。
職員たちがそれぞれ持ち場に散る中、アリサは自分の机に戻っても憮然としてジオを睨んでいたし、ルーク少年はレフリムに慰められていた。ミラルカが申し訳なさそうな顔をして、トウマに近づいてきた。その後ろをジオが堂々とした態度でついてくる。
「君しかいないんだよ。まあ、頼むわ」
「……わかりましたよ」
さっさとジオの依頼を済ませて、険悪ムードを終わらせたい。
ミラルカのそんな意思がありありと伝わってきて、トウマも同じ気分ではあったので受ける他はなかった。それに大した仕事ではないだろうという考えもちょっぴりある。
「頼むぞ、小僧」
「小僧はやめてください。トウマ・ライナスです」
「ああ、そうか。よろしく頼むぞ、小僧」
はっはっはとジオは鷹揚に笑って、トウマの肩を叩いてきた。
本人は軽くのつもりだろうが、硬い蹄がやたら痛く、後で確認したらやっぱり赤くなっていた。




