閑話休題(それからどしたの)
遠方地への配達を終えての帰局後、“配達士”たちは旅の状況を報告書にまとめて提出する決まりになっている。同僚のニッカ・ボッカのように流行りのタイプライターを駆使する者も出始めているが、トウマ・ライナスは報告書を書く際、タイプライターを使わない。
別にこだわりがあるというわけではなく、文字をいちいち探すのが面倒なので、手書きの方が早く済んでいるというのが最もな理由だったが、個人が所有するにはまだ高価という理由も大きい。
抜刀隊時代から書類仕事にも携わってきたので、いつもなら下書き含めて30分程度で済ませられるのだが、この日のトウマはまだ下書きの最中で、鉛筆がなかなか進まずに手の内で何度もくるくる回っていた。
残業になりそうなので、ルーク・ターレスは先に帰らせてある。
筆が進まないのは事件の内容にあった。
先に人の死体を擬餌として襲う蜘蛛の事件があったのだが、今回の配達先では吸血鬼と狼男絡みによる配達物盗難事件が起きていたのだ。
無事、配達は完了したのだが、この件は吸血鬼が女で狼男との恋愛関係が複雑に絡んでいて、トウマもそれに深く巻き込まれていた。どう上手く誤魔化したものか表現に悩んでしまい、つい筆が止まってしまうのだった。
「珍しく筆が止まってますね。そんなに難しい事案だったのですか」
アリサ・サーバンスがコーヒーをトウマの机に置いて言った。アリサは自分の仕事に区切りがついて先ほどまで帰り支度をしていたのだが、気を利かせてくれたらしい。
「うん、まあ、ちょっとね」
トウマは言葉を濁し、コーヒーの礼を言ってから、フウフウと冷ましながら熱い琥珀色の液体に口をつけた。
「私で良ければ、相談にのりますが」
「大丈夫、大丈夫。そこまでじゃないから、ありがとう」
「そうですか」
ちょっぴり残念そうな顔をして、アリサは隣の自分の席に戻っていった。アリサの机の上には文庫サイズの本が置かれている。
休憩の合間に、休憩室などの隅で読んでいる姿を時折目にするが、表紙にはカバーがかけられて、どんな本かわからないようにされている。しかし、トウマは中身が“青春野郎シリーズ”というBLもの小説だと知っている。
最近、六番街にある小さな本屋に出入りしているようで、そこの店番の娘と仲が良くなったようなのだがその影響だろう。加えて、その類いの小説を趣味として秘かに執筆していることもトウマは知っていた。
アリサは文庫本を鞄にしまいかけたところで、アリサは何か思い出したらしい。ハッと顔をあげると、少し語気を強めてトウマを呼んだ。
「内に秘めた気持ちをそのままにしておくと、心も体も腐っちまうんです」
「……」
「何かあったら、解放してみろです。打ち明けてしまえば、胸のうちのもやもやも吹きとんじまいますから。軽くなるぜ、です」
「ああ、そうね。ありがと。その時は頼むよ」
「任せろです」
アリサは親指を立てると、嬉しそうに文庫本を鞄にしまい込んだ。頬に赤みが差し、いつもより目を輝かせている。
少し不自然な棒読み口調から、おそらく“青春野郎”の台詞を引用したのだろうくらいはトウマにも容易に想像できた。台詞を引用したかっただけで、どちらかというとアリサの自己満足なように思えたが、珍しく興奮気味な――頬がほんのり赤い程度だが――アリサに水を差すのも気の毒なので、トウマは愛想笑いして返すしかなかった。
ともあれ、トウマが悩んでいる箇所は、はじめは演技で付き合うだったはずの吸血鬼の娘に、真剣な交際を迫られてから、手紙入りのバッグを紛失する下りまでである。しかし、事件に必要不可欠な箇所ではあるものの、恥もあって安易に口外できるものではない。しかも相手はアリサである。
もしアリサの言葉通りに打ち明けたとして、最初の反応としては、床に放置された雑巾でも見るような冷たい目を自分に向けてくるだろうと、トウマは簡単に予想ができる。
――まあ、それもアリっちゃ、アリなんだけどな。
冷たい眼差しを向けながら罵ってくるアリサという、くだらない想像をしながら呆けていると、隣から向けられる視線に気がついた。ふと横を見ると、アリサがこちらを見ていたのでトウマは驚いて鉛筆を落としてしまっていた。
「ど、どうしたの、アリサちゃん」
「いえ、その鉛筆……」
「鉛筆?」
「先ほどから鉛筆を器用に回しているので、どうやるのか興味があったのです」
「ああ、これね」
見透かされたと思っていたので、安堵した反動でかなり弾んだ気分でトウマは鉛筆回しをしてみせた。アリサが感心した様子で目を丸くしているから、トウマもますます調子にのる。
「人差し指と親指の間で回すんだよ。やってみる?」
「はい」
ちょっぴり自信を窺わせていたアリサだったが、いざ鉛筆回しに挑戦してみたところ、アリサの表情がみるみる内に苦悶で歪み、小刻みに体が震えだしてしまっていた。
「難しい……です……ね……!」
「いやいや、それじゃ回らねえよ」
どうなったらそうなるとトウマは呆れていた。
アリサは必死な表情で顔を歪め、鉛筆を持つ右手もぐしゃぐしゃに捻って、体も右手の動きに引きずられる格好になってしまっている。アリサは机の上で体をよじって状態で震えてしまっていた。
「これは、そんなに力むものじゃないから。指の上でくるっとまわす」
「……はい」
「中指を支える感じで使うと良いかもよ」
「なるほど」
トウマに言われ、アリサは中指を意識しながら何度も鉛筆回しに挑戦した。先ほどのような暗黒舞踏まがいな動きをすることは無かったのだが、半円を描くとポロリ、ポロリと鉛筆はアリサの手の内から転がり落ちてしまう。
「なかなか難しいですね」
「利き腕じゃないしな。それだけできれば大したもんだよ。まだ指に力みがあるんじゃないかな。特に中指を添えるようにすれば良いと思う」
「なるほど、中指……」
中指ナカユビと呪文を唱えるように、アリサは繰り返し呟いていると、そこへちょうど他の男性職員がアリサに声を掛けてきた。
「あのさ、アリサさん。これから皆と飯食うんだけど、一緒にどう?」
「申し訳ありません。六番街に私用があり、遠慮させてもらいます」
「ああ、そう……」
男性職員は顔をしかめてアリサから離れていった。明らかに不愉快げな表情をしていたので、さすがのアリサも首を傾げて男性職員の後ろ姿を追っていた。
「なにか私、おかしなこと言いましたか?」
「……あのさ、アリサちゃん」
「なんですか」
「中指立てたまま、人と話さない方が良いよ」
「何故ですか」
「うん、まあ、あのねえ……」
しどろもどろになって言葉が続かない。次第にトウマの額から、変な汗がじんわりと噴き出ててくる。
――面白いなあ、あの2人。
そんなトウマとアリサのやりとりを、ミラルカ・テスカ局長は少し離れたとこから眺めていた。
本日の仕事も終わったので、あとは帰るつもり2階から降りてきたのだが、中指立てながら会話するアリサと戸惑うトウマのやりとりが視界に入ってくると、その様子がおかしくて、ついつい見物してしまったのだった。
「どうしたんですか、局長」
通りがかったレフリムが怪訝な顔をした。
「いやいや、若いていいなと思ってさ」
「は?」
「こっちの話さ」
首を傾げるレフリムに軽く手をあげると、ミラルカは事務室裏手の出入口に向かっていった。
「なにが良くないのですか」
「だから、あのねえ……」
ミラルカは笑いがこみあげるのを必死に抑えながら、途方に暮れるトウマときょとんとしているアリサの横を通りすぎていった。
(閑話休題・おしまい)




