1-4 王都への帰還
1-4 王都への帰還
友となった翌朝。
宿場を出る前、銀華はようやく朧の旅の行き先を聞いた。
「そういえば、朧はこれからどこへ行くの?」
「王都だ」
「王都?」
「白峰静に会う」
銀華が目を瞬いた。
「しずに?」
今度は朧が銀華を見る。
「知っているのか」
「私の師匠です」
「……そうか」
短い返事だったが、朧の目にはわずかな納得が浮かんだ。銀華の剣を見れば、並の師に育てられたとは思えない。
銀華もまた、王都へ戻るつもりだった。王都を出てから、ほぼ一年。国内の戦場や街を巡り、自分の目で人を見て、自分の足で歩いてきた。辺境の翠葉まで来たことで、その旅にも一度区切りをつけようと考えていた。
「だったら、一緒に行きませんか?」
「なぜだ」
「行き先が同じですから」
「一人で行ける」
「私も一人で行けます」
「なら別々でいいだろう」
「友達なのに?」
朧は黙った。
銀華は笑う。
「王都までなら、私のほうが道も分かります。しずにも会いたいのでしょう?」
「……好きにしろ」
それが、同行を認める返事になった。
銀華は宿舎へ戻って荷をまとめ、朧は宿屋を引き払った。二人は同じ朝、翠葉を発った。
銀華の家がある王都までは、馬車でおよそ一週間。
山を下り、街道へ出た二人は、翌朝に出発する乗合馬車へ乗り込んだ。客は銀華と朧を含めて六人。向かい合わせの狭い座席に腰を下ろし、荷物を足元へ置く。
馬車が動き始めて間もなく、車輪が大きな石を踏んだ。荷台が跳ねる。
「っ……」
銀華の身体が浮き、座席へ落ちた。向かいの朧は、何事もなかったように座っている。
「平気なの?」
「何がだ」
「今、すごく揺れたでしょう」
「馬車だからな」
「そうだけど」
街道は決して平らではない。雨で削れた窪みや、道へ張り出した木の根を踏むたび、馬車は容赦なく上下へ揺れた。
初日はまだよかった。二日目になると、銀華は座るたびに小さく眉を寄せるようになった。三日目の朝、宿場を出てしばらくすると、銀華は座席の上で何度も腰の位置を変え始めた。
「さっきから何をしている」
向かいに座る朧が尋ねた。
「別に」
「落ち着きがない」
「ちょっと、座り心地のいい場所を探してるだけ」
「同じ座席だ」
「場所によって違うかもしれないでしょう」
「違わない」
銀華は黙った。それでも、左右へ少しずつ身体をずらし続ける。
「尻が痛いのか」
「……声が大きい」
「普通に聞いただけだ」
「普通は聞かないの」
「なら、痛くないのか」
「痛い」
「そうか」
朧はそれ以上何も言わなかった。銀華は少しむっとする。
「朧は痛くないの?」
「痛い」
「痛いんじゃない」
「だからといって、どうにもならない」
「もう少し何かないの?」
「何を求めている」
「分からないけど、こう……共感とか」
「私も痛い」
「それは今聞いた」
「なら、共感しただろう」
銀華は一瞬黙り、それから窓の外を向いた。隣に座る老夫婦が、声を押し殺して笑っている。
「笑われた」
「気にするな」
「朧のせいでしょう」
「お前が落ち着かないからだ」
銀華は頬を膨らませた。朧は窓の外へ視線を向けたまま、ほんの僅かに口元を緩めていた。
旅の間、二人が長く話し込むことはなかった。銀華が何かを尋ね、朧が短く答える。朧が何かに気づき、銀華へ指摘する。それだけだった。だが、沈黙は不思議と苦にならなかった。
朝は馬車の軋む音とともに出発し、昼には街道沿いで硬いパンをかじり、夜になれば宿場で同じ卓を囲んだ。食事の味。通り過ぎた村。遠くに見えた山の形。そんな取るに足らないことを、銀華は時折口にした。朧は興味があるのかないのか分からない顔で聞いていたが、翌日になっても、その話を覚えていた。
五日目の夕方。宿場の食堂で、銀華は煮込み料理を口へ運びながら尋ねた。
「朧は、旅をしてる間、いつも一人だったの?」
「大抵はな」
「寂しくない?」
「考えたことがない」
「そうなの?」
「ああ」
朧は淡々と答えた。
「必要があれば誰かと行動する。必要がなくなれば別れる。それだけだ」
「友達は?」
「いない」
銀華の手が止まった。
「一人も?」
「お前が初めてだ」
朧は何でもないことのように言った。銀華はしばらく動かなかった。
「どうした」
「……何でもない」
「そうか」
銀華は俯き、煮込み料理をもう一口食べた。味がよく分からない。自分が初めてだと言われたことが、思っていた以上に嬉しかった。けれど、その気持ちをそのまま言葉にするのは、少し照れくさい。
朧も銀華も、「友」という言葉の本当の意味を、まだ知らなかった。
「私も」
「何がだ」
「対等な友達は、朧が初めて」
言った後で、銀華は椀へ視線を落とした。朧は返事をしなかった。顔を上げると、静かにこちらを見ている。
「何?」
「いや」
「何か言いたそう」
「言うことはない」
「そう」
また沈黙が落ちた。だが、その日の沈黙は、これまでとは少しだけ違っていた。
六日目から、朧は銀華へ剣の話をするようになった。ほんの僅かずつ。構えの癖。足運び。相手を見るとき、目だけで追わないこと。馬車が揺れる中で話すような内容ではなかったが、銀華は真剣に聞いた。
あるとき、朧がふと口にした。
「あのとき、剣が共鳴したような気がした。お前の剣は、なんだ」
銀華は少し考えてから答えた。
「私も詳しくは知らないの。女王から聞いたんだけど、古代アーティファクトって呼ばれる武器があって、持ち主によって形が変わるんだって。ものすごく力があるわけじゃないみたい。それに、性格があるみたい? って」
瑠璃から聞いたことをそのまま伝えたものの、瑠璃自身も詳しくは話してくれなかった。銀華にも、それ以上うまく説明できなかった。
七日目。遠くに王都の外壁が見えた。
「あれが王都よ」
銀華が窓の外を指差す。緑に覆われた広大な平野の先に、白い城壁と幾つもの尖塔が見えていた。そのさらに奥では、巨大な世界樹が空へ向かって枝を広げている。蒼緑王国の王都オルディア。世界樹と共に生きる都だ。
朧は窓の外を眺めた。
「大きいな」
「王都だから」
「お前の家も、この中にあるのか」
「うん。城からは少し離れてるけど」
「一人で住んでいるのか」
「刹那と二人」
「セツナ?」
「私の専属メイド。小さい頃からずっと一緒に暮らしてきたの」
銀華は当然のように答えた。
「家族みたいな人」
「そうか」
朧はそれ以上聞かなかった。
馬車が王都へ近づくにつれ、通りを行き交う人の数が増えていく。荷車を引く商人。街道脇で果物を売る農民。王都から出てきた兵士。銀華は見慣れた景色へ目を細めた。
帰ってきた。そう感じた途端、銀華は向かいに座る朧を見た。この人を家へ連れて帰る。その事実が、急に現実味を帯びてくる。刹那は何と言うだろう。驚くだろうか。怒るだろうか。銀華は少しだけ不安になった。
◇
王都の西寄りにある住宅街。人通りの多い大通りから一本外れた場所に、銀華の家はあった。二階建ての石造りの家。王族や大貴族が住む邸宅と比べれば質素だが、二人で暮らすには十分な広さがある。
銀華は玄関の前で足を止めた。
「ここよ」
朧が建物を見上げる。
「思っていたより普通だな」
「どういう家を想像してたの?」
「城」
「住んでない」
「女王と親しいと聞いた」
「親しいけど、私は王族じゃないもの」
銀華は扉へ手を伸ばした。けれど、開ける直前で止まる。
「どうした」
「何でもない」
刹那に何も伝えていない。銀華は今になって、そのことを少しだけ後悔した。旅の途中で手紙を出せばよかった。だが、出そうと思った時には次の宿場へ向かっていたし、その次は剣の話に夢中になって忘れていた。仕方がない。銀華は覚悟を決め、扉を開いた。
「ただいま」
家の中へ声を掛ける。すぐに廊下の奥から足音がした。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
現れたのは、銀色の髪を丁寧に三つ編みにした少女だった。黒と白を基調としたメイド服。整った姿勢。柔らかな微笑み。夜之刹那は、いつもと変わらない顔で銀華を迎えた。
顔を合わせるのは、刹那が遠方の任務へ出る前に別れて以来、ほぼ一年ぶりだった。銀華が王都を旅立った朝、刹那はすでにこの家にはいなかった。
ほんの一瞬だけ、刹那の微笑みが揺れる。銀華も言葉を失った。離れていた時間が、一年という長さを持って胸へ戻ってくる。
それでも刹那は、いつもの声で告げた。
「お客様でしょうか」
「うん。紹介するね」
銀華は朧へ向き直った。
「こちらは夜之刹那。私の専属メイドで、小さい頃から一緒に暮らしてきたの」
次に刹那へ朧を示す。
「それで、こちらが緋月朧。私の友達」
友達。銀華がそう言った瞬間、刹那の微笑みが僅かに止まった。ほとんど誰にも分からない程度の変化だった。だが、朧は見逃さなかった。
「緋月朧だ」
「夜之刹那と申します。お嬢様がいつもお世話になっております」
「世話をした覚えはない」
「そうでございますか」
「むしろ毎日倒していた」
刹那の視線が銀華へ向く。
「お嬢様」
「稽古だから」
「毎日、倒されていたのですか」
「でも、少しは強くなったのよ」
「少しは、ですか」
「少しは」
刹那は柔らかく微笑んだ。
「後ほど、詳しくお聞かせくださいませ」
「うん」
銀華は何の疑いもなく頷いた。朧は二人のやり取りを黙って見ていた。刹那の立ち方。視線の運び。銀華の背後へ自然と意識を置く癖。袖の下に隠した手の位置。音を立てない足運び。メイドのものではない。少なくとも、それだけではない。
「刹那」
朧が名を呼んだ。
「何でしょうか」
「お前、暗殺者か」
空気が止まった。銀華が目を瞬かせる。
「え?」
刹那は微笑みを崩さなかった。
「随分と物騒なことを仰いますね」
「否定はしないのか」
「見ず知らずの方へ、自分のすべてを明かす趣味はございません」
「十分だ」
「朧、どういうこと? 分かるの?」
銀華が二人の顔を交互に見る。
「そのままの意味だ」
「刹那の所作は完璧なのに」
「雰囲気だ」
「気配とか?」
銀華は刹那を見る。刹那は穏やかな表情のまま、僅かに首を傾けた。
「お嬢様。お帰りになったばかりですので、まずはお着替えを」
「でも」
「お食事も準備いたします。そちらのお客様も、お疲れでしょう」
「客ではない」
朧が言った。
「静に会うまでは、ここへ置いてもらう」
刹那の視線が再び銀華へ向く。
「お嬢様」
「あ……そうだった。刹那にはまだ言ってなかったね」
「初めて伺いました」
「しずに会うまで、朧に空いてる部屋を使ってもらおうと思ってるの。部屋、空いてるでしょう?」
「空いております」
「なら大丈夫よね」
銀華は悪びれもせずに言った。刹那は数秒だけ沈黙した。その間も微笑みは消えなかった。
「もちろんでございます」
「よかった」
銀華は安心したように笑った。
「刹那ならそう言ってくれると思ってた」
その言葉に、刹那の目元がほんの少しだけ和らぐ。
「お嬢様がお決めになったのでしたら」
けれど、次に朧へ向けられた視線は、柔らかいだけではなかった。
「お部屋をご用意いたします」
「助かる」
「ただし」
刹那の声は静かだった。
「この家では、お嬢様の安全を最優先とさせていただきます」
「好きにしろ」
「ご理解が早く、何よりでございます」
二人とも口元には笑みを残していた。だが、目は笑っていなかった。
「二人とも、仲良くできそうね」
銀華が嬉しそうに言った。刹那と朧が同時に銀華を見る。
「そう見えるのか」
朧が尋ねた。
「うん」
「お嬢様らしいご判断でございます」
「どういう意味?」
「そのままの意味でございます」
銀華だけが納得していない顔をしていた。
◇
その夜。三人は同じ食卓を囲んだ。
刹那が用意したのは、香草を使った鶏肉の煮込みと、焼きたてのパン、野菜のスープだった。旅の間に食べていた硬いパンや、塩気の強い保存食とは比べ物にならない。
「美味しい」
銀華は一口食べるなり、頬を緩めた。
「やっぱり刹那の料理が一番ね」
「ありがとうございます」
刹那は銀華の向かいへ座りながら微笑んだ。朧は銀華の隣。一口食べ、静かに咀嚼する。
「どう?」
銀華が尋ねた。
「美味い」
朧は短く答えた。刹那が僅かに目を細める。
「お口に合ったようで安心いたしました」
「ああ」
「朧は何でも美味しいって言いそう」
「不味ければ不味いと言う」
「では、明日の食事も率直なご意見をいただけそうですね」
「必要ならな」
言葉だけを聞けば穏やかな会話だった。だが、二人の間には目に見えない細い糸が張られていた。銀華は気づかず、パンを千切ってスープへ浸している。
「そうだ。刹那、朧はすごく強いのよ」
「先ほど伺いました」
「しずより強いかもしれない」
刹那の手が止まる。
「それほどですか」
「私、一度も勝てなかった」
「一週間も?」
「うん」
「一度も?」
「うん」
「お怪我は」
「毎日少しずつ」
刹那の視線が朧へ向く。
「稽古だ」
朧が先に言った。
「殺すつもりはない」
「当然でございます」
「刹那、怒ってる?」
「いいえ」
「怒ってる時の顔に見えるけど」
「お嬢様の気のせいでございます」
「そう?」
「はい」
刹那は笑顔で答えた。だが、胸の内は穏やかではない。
一年ぶりに帰ってきた銀華が、誰かを家へ連れてきた。それだけなら、まだいい。銀華が自ら「友達」と呼んだ。その事実が、刹那の胸の奥へ小さな棘のように刺さっていた。
銀華が笑っている。旅の疲れを見せながらも、楽しそうに朧の話をしている。稽古のこと。馬車のこと。尻が痛くなったことまで。
「それは大変でございましたね」
「朧も痛かったって」
「余計なことを言うな」
「本当でしょう?」
「言う必要はない」
銀華が笑う。朧の口元も、僅かに緩む。その距離が、刹那には近く見えた。
刹那の知らない銀華の時間は、一週間だけではない。この一年、銀華は一人で国を巡り、戦場を歩き、人と出会ってきた。その最後の一週間を、朧はすぐ隣で見ていた。
寂しい。そう思った自分を、刹那はすぐに戒める。銀華が初めて自分の意思で選んだ友なのだ。喜ぶべきことだ。もっと多くの人と出会ってほしい。自分だけを見て生きてほしいわけではない。そう言い聞かせても、胸の奥の棘は消えなかった。
刹那は銀華の空いた器へ、静かにスープを注いだ。
「ありがとう、刹那」
「いいえ」
その一言だけで、刹那の心は少しだけ軽くなった。
朧は、そんな刹那を見ていた。嫉妬。警戒。献身。そのすべてが同じ場所にある。危ういほど深い感情だった。
「刹那」
「何でしょう」
「私を信用する必要はない」
銀華が顔を上げる。刹那も朧を見る。
「だが、銀華を害するつもりもない」
刹那の表情が僅かに変わった。朧が銀華を呼び捨てにしたからではない。その言葉に嘘がなかったからだ。
「そうでございますか」
「ああ」
「でしたら、しばらく見守らせていただきます」
「好きにしろ」
「そのつもりです」
「何の話?」
銀華が尋ねる。
「お前は知らなくていい」
「お嬢様には関係のないお話でございます」
「私の話をしてなかった?」
「気のせいだ」
「気のせいでございます」
「二人とも、やっぱり仲良くなれそう」
銀華は嬉しそうに笑った。朧と刹那は、同時に小さく息を吐いた。
◇
食事の後、刹那は二階の空き部屋へ朧を案内した。簡素な寝台と、木製の机。小さな窓からは、王都の灯りが見える。
「何か必要な物はございますか」
「ない」
「着替えは」
「ある」
「洗濯物は廊下の籠へ」
「分かった」
「入浴の順番は、お嬢様が最初です」
「異論はない」
「夜間、不要にお嬢様のお部屋へ近づかれませんよう」
「用がなければ行かない」
「用があっても、先に私へお声掛けください」
朧は刹那を見る。
「随分と過保護だな」
「お嬢様は危なっかしい方ですので」
「それは同意する」
刹那の目が僅かに細くなる。
「お嬢様のことを、よくご存じなのですね」
「二週間見ていれば分かる」
「二週間で」
「ああ」
刹那は沈黙した。また胸の奥に小さな棘が刺さる。
「安心しろ」
朧が言った。
「お前の居場所を奪うつもりはない」
刹那の瞳から、一瞬だけ温度が消えた。
「そのような心配はしておりません」
「そうか」
「はい」
「なら、いい」
朧はそれ以上追及しなかった。刹那は一礼し、部屋を出ようとする。
「刹那」
呼び止められ、振り返る。
「お前の歩き方は、メイドとしては静かすぎる」
「お褒めいただき、光栄です」
「褒めてはいない」
「では、おやすみなさいませ」
刹那は扉を閉めた。廊下へ出た途端、微笑みが消える。
強い。朧は、間違いなく強者だった。剣だけではない。人を見る目も鋭い。僅かな仕草から、隠しているものを見抜く。警戒すべき相手。だが、銀華が選んだ友でもある。
刹那は閉じた扉を見つめた。受け入れなければならない。銀華が笑っていたから。心の中で、刹那は静かにその名を呼んだ。
――銀華。あなたが選んだのなら。私は、見極める。あなたの隣に立つ資格が、この人にあるのかを。
◇
その頃。銀華は自室の寝台へ腰掛け、旅の荷物を解いていた。扉が叩かれる。
「どうぞ」
刹那が入ってきた。
「お疲れではございませんか」
「少し。でも楽しかった」
「馬車がお好きでしたか」
「お尻は痛かったけど」
「そのお話は先ほど伺いました」
「朧、思ったより話しやすいのよ」
「そうでございますね」
「刹那もすぐ慣れると思う」
銀華は何の疑いもなく言った。刹那は荷物を片づけながら、小さく笑う。
「お嬢様がそこまで仰るのですから、きっと素晴らしい方なのでしょう」
「うん。すごく強くて、変なところで真面目で、言い方は少し冷たいけど、本当はそんなに冷たくないの」
「二週間で、随分とよくご覧になったのですね」
「そうかな?」
「はい」
「友達だからかな」
銀華は少し照れくさそうに笑った。刹那の手が止まる。ほんの僅かに。
「お嬢様」
「何?」
「ご友人ができたこと、心より嬉しく思います」
その言葉に嘘はなかった。本当に嬉しい。同時に、寂しくもあった。二つの感情は矛盾せず、刹那の中に並んでいた。
「ありがとう」
銀華は笑った。
「刹那にも紹介したかったの」
「私に?」
「だって、刹那は私にとって一番大切な人だから」
刹那は顔を上げた。銀華は何でもないことのように、荷物の中から髪飾りを取り出している。
「だから、朧にも刹那のことを知ってほしかったし、刹那にも朧を知ってほしかった」
刹那はしばらく言葉を返せなかった。
「……そうでございますか」
「うん」
胸の奥に刺さっていた棘が、少しずつ溶けていく。完全には消えない。けれど、今はそれでよかった。
「では、私も努力いたします」
「何を?」
「朧様と、良好な関係を築けるように」
「様はいらないと思う」
「では、朧さんと」
「それも何か変」
「難しいですね」
銀華が笑う。刹那も静かに微笑んだ。
◇
翌朝。銀華が食堂へ下りると、すでに朧が座っていた。その向かいでは、刹那が朝食を並べている。
「おはよう」
「遅い」
「まだ早いでしょう」
「私は一刻前に起きた」
「起きるのが早すぎるのよ」
「お嬢様は、もう少し早く起きられてもよろしいかと」
「刹那まで」
銀華は不満そうに席へ座った。卓上には、焼いたパンと卵、温かいスープが並んでいる。朧はすでに食べ始めていた。
「先に食べたの?」
「待つ理由がない」
「友達なら待ってくれてもいいでしょう」
「そういう決まりがあるのか」
「ないけど」
「なら、いいだろう」
銀華は納得していない顔でパンを手に取った。刹那は二人を見ながら、茶を注ぐ。
銀華が旅立つ前、この家には銀華と刹那しかいなかった。食卓には二人分の食器。廊下に響く足音も二人分。朝の挨拶も二人だけだった。
一年を経て、銀華が帰ってきた。そして今日からは三人。だが、まだ家族ではない。互いのことを何も知らない。
刹那は朧を警戒している。朧もこの家を自分の居場所だとは思っていない。銀華だけが、三人で暮らすことを当然のように受け入れている。
少しぎこちない朝。噛み合わない会話。探るような視線。それでも、三人は同じ卓を囲んでいる。それが、すべての始まりだった。
「朧、今日はどうする?」
銀華が尋ねる。
「お前を鍛える」
「今日も?」
「強くなりたいんだろう」
「休みは?」
「必要か」
「必要よ」
「なら、半日休め」
「半日だけ?」
「十分だ」
「刹那、どう思う?」
「私は朧さんに賛成です」
「どうして?」
「お嬢様には、もう少し緊張感が必要ですので」
「昨日まで会ったこともなかったのに、もう二人で組んでる」
銀華が肩を落とす。朧はスープを飲み、刹那は静かに微笑んだ。その朝、初めて。二人の間に、敵意ではない小さな共通点が生まれた。銀華はそれに気づかなかった。ただ、自分の家に新しい声が増えたことを、心のどこかで嬉しく感じていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、銀華と朧の王都までの旅、そして一年ぶりとなる銀華と刹那の再会を描きました。
ようやく友となった銀華と朧ですが、まだまだ少し噛み合わない二人。
そして、そんな朧を銀華が突然「友達」として家へ連れてきたことで、刹那の心にも少し複雑なものが生まれています。
それでも同じ食卓を囲み、少しずつ始まった三人の時間。
次回、物語は王都でさらに動き始めます。
Xでは『南のオーフェリア』のイラストや、登場人物たちの姿なども投稿しています。
小説とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
X:@takeyan4562
「はしたけ|幻想戦記✨南のオーフェリア✨」
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




