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災厄の魔女ですが使い魔の犬に手を噛まれています  作者: 安芸咲良
第一部 魔女殺しの魔犬

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第9話

『屍肉の魔女』は、山すべてを自分の家だと言っていた。

「そもそも住む場所を分けることが、分断の始まりなのだ。境界は必要ではあるが、それは物理的であってはならぬ。この争いの始まりは、線を引いたことだ」

 先ほど弓矢で射抜いたばかりの鹿の血抜きをしながら、魔女は静かに話す。

 そばに控えた白い猟犬が、おこぼれに預かろうと大人しく待っている。

 この犬は、リックをどこか下に見ている部分がある。魔女にいいように使われているのだ。当然だ。

 魔女は慣れた手つきで鹿を捌いていき、削ぎ落とせなかった肉のついた骨を犬に投げやった。

 それを難なくキャッチした犬は、ちらりとリックを一瞥し、うまそうに食らっていく。

 リックは半目でそれを見ていた。


 エナフリン山脈に分け入ったリックは、突如、憲兵の人間たちに囲まれた。

『庵の魔女』が死んだという。

 かの魔女の屋敷に出入りしている人間がいたとの情報が、憲兵に寄せられた。詳しい事情を聞かせろと、彼らはリックを追ってきたのだ。

 当然、リックは寝耳に水だ。死の予兆すら、あの魔女は見せていなかった。

 否、見せまいとして、自分を追い出したのだ。そういうところのある魔女だった。

 憲兵の目は鋭い。事情を聞かせろと言ってはいるが、これは魔女殺しを疑われている。まだ少年の時分のリックにでも、それはわかった。

 どう逃げようか。この数くらいならば、のして逃げることもできる。『庵の魔女』の元で、そのくらいの力はつけた。

 だが逃げても切りがないだろう。『庵の魔女』の元では、他の人間とも他の魔女とも交流がなかった。リックの無実を証明してくれる人はいない。

「私の家で、揉め事を起こすんじゃないよ」

 憲兵に一歩詰め寄られたとき、その場の均衡を崩す声がした。

 それと同時に、なにか大きな塊がリックの視界によぎる。

「うわぁ!!」

「なんだこいつ!!」

 憲兵たちが、慌てふためく。それは大きな猟犬だった。

 足元を狙い噛み付こうとするのを、彼らはまるで踊るかのように逃げまどっている。

 やがて追い立てられて、逃げて行ってしまった。

 猟犬はリックを狙うようなことはなかった。小さくなっていく憲兵を横目に、リックは声の主の方を振り返る。

「礼を言った方がいいか?」

「そなたが今後の身の振り方を思うのであれば」

 彼女が『庵の魔女』の言っていた魔女だろう。こんな険しい山に、女が一人でいるのは普通ではない。

 背の高い魔女だった。

 この頃のリックは、まだ成長半ば。リックよりも頭一つ高く、魔女とは長身なものなのだろうかと思ったほどだ。『庵の魔女』も上背があった。彼女は筋肉だったのだが。

 この魔女は、すらりとしている。長くまっすぐな銀髪を頭の高い位置で一つに結び、毛皮を身にまとい弓矢を手にするその姿は、狩人と言われれば頷いてしまうかもしれない。

「助かった」

 仏頂面のまま言うリック。ともすれば謝意を示しているとは思えない。

 しかし魔女は、それで十分だったようだ。戻ってきた猟犬の頭を撫で、リックに背を向ける。

「庵のは寿命だろうよ。そなたも災難に巻き込まれたな」

 そのまま歩き出す魔女の後ろを、リックはついていく。

『庵の魔女』は隠遁者のような暮らしだった。

 町に近いところにある住まいではあるけれど、訪れる人はなく、戦争を生き抜いた魔女とすれば当然かもしれない。

 下手に好きにさせれば人間の畏怖を買い、がちがちに人間の監視下に置けば魔女の権利を声高に叫ぶ者が出る。

 その生き死にさえ、自由にできないのが古きを生きる魔女なのだ。

「大方、『魔女を殺した人間がいる』というストーリーを組み立てたいんだろう。いつの時代も阿呆は阿呆だ」

 はっと笑う魔女に、リックは眉間にしわを寄せる。

 笑いごとではない。このまま罪人に仕立て上げられては、たまったものではない。

「そなた、名は?」

 足を止めた魔女につられて、リックは顔を上げた。岩肌に多くの穴の開いた場所に出てきていた。

「ここをねぐらにしている。ようこそ、『屍肉の魔女』の山城へ」

 しばらくここに潜むしかない。姉に連なるものは、今のところこの魔女の他にないのだ。

 猟犬がわんと吠える。

「この子はカサブランカ。リック、手を出しな」

 言われるがままに右手を差し出した。魔女の指先が手の甲を滑る。

 ちりりとした痛みと共に、指先が描いた模様が淡く光って消えた。

「これは?」

 手の甲には、百合の花を模した入れ墨が浮かんでいた。

「私の所有物の証だ。庵のからは、下僕にしていいと聞いている」

「はぁ!?」

 詰め寄ろうとするリックに、「止まれ」と手を掲げる。言われてリックは身動きを取れなくなった。

「どのみち町には戻れんだろう。ここで身を隠すといい。私の手伝いをしながら」

 どうやらこの入れ墨は、言うことを聞かせるためのものらしい。

『庵の魔女』の蔦のチョーカーと同じようなものだろう。これがある限り、リックは『屍肉の魔女』の言うことには逆らえない。

 この魔女は『庵の魔女』のような蔦草は持ってないと思って、油断した。

「……これ消せよ。こんなモンがなくても、手伝ってやる」

「とんだ駄犬と聞いとるよ。犬にはリードをつけとかないとな」

 からからと笑いながら、『屍肉の魔女』は岩屋へと入っていく。

 わんと鳴く声に、視線を落とす。

 カサブランカの憐れむような視線に、リックはチッと舌を鳴らした。


   *


 岩屋の中は案外広いものだった。

 巨大な洞窟のようになっているらしい。はるか太古には海中にあった土地のようで、波の侵食でいくつもの穴倉が連なった構造になっていた。

「空の穴倉はどこでも好きに使いな。寝具はいるか?」

「いるに決まってんだろ」

 噛み付くリックにふっと鼻で笑い、『屍肉の魔女』は毛皮を放りやった。

 適当な穴倉にそれを放り投げると、リックは岩屋の中を探索することにした。

 魔女は入り口近くで大抵のことをまかなっているらしい。最初に覗いた穴倉で、弓矢の手入れをしていた。

 リックを一瞥し、また作業に戻ったところを見ると、どうやら好きにしていいようだ。

 奥の方は日の光が入らないようなので、使えなさそうだ。

 次の間を覗くと、かまどのようなものが目に入った。

「そこがそなたの仕事場だよ」

 気づくと、後ろに音もなく魔女が来ていた。

 そういえば、先ほどもそうだった。憲兵にさえ気づかれず、そばまで来ていたのだ。山で生きるために身につけた術なのかもしれない。

「は?」

「庵のは茶にはこだわるが、如何せん、馬鹿舌でかなわん。うまいものを食してこそ、人生だろう。ここでは妥協は許さんからな」

「いや妥協って」

「私は味にうるさいぞ? ここに住むからには、私くらいの腕前にはなってもらう」

 思いっきり顔をしかめるリックに、魔女は高笑いする。

 リックはますます眉間の皺を深めた。

「なんにせよ、私に逆らう術はないんだ。諦めな」

 姉の情報を掴んで、さっさと出ていってやる。

 そう決意して、リックは調理係となった。


   *


「とまぁ、なぜか魔女の専属料理人になったわけだが、料理はわりと性に合っていたらしい」

 石窯の様子を見ながら、リックはテーブルからこちらを眺めているメリーシアに話しかける。

 魔術の研究をしていたのかテーブルには本が広がっている。だがとうにページは捲られていない。リックの菓子作りと話に夢中である。

「思い返してみれば、孤児院で姉に手伝いをしろと口酸っぱく言われていたんだ。土台はできあがっていたんだな」

「お姉さんの……」

 リックの中で姉が大きな存在だということは、もう知っていた。

 仇を探してこんなところまでやってくるくらいである。血の繋がりはないようだが、どういう感情でいるのか、メリーシアには気になるところだ。

「早々に『屍肉の魔女』の好みは把握したんだが、なかなか合格点を出されなくてな……。だから主人は、おいしいならおいしいと言ってもらえると嬉しい」

 顔を上げたリックと目が合った。慌てて顔を逸らし、本を持ち上げるメリーシア。

 リックはふっと笑い、石窯を開ける。

「あぁ、やっぱり駄目だな。生地がうまくいかない」

 メリーシアご所望のミルフィーユを作っていた。取り出した鉄板の上では、パイ生地が割れてしまっている。

「やはり一度、お店のものを食べてみた方がいいでしょうか?」

「見本があると、そりゃあ助かるが。でも、買えないのだろう?」

 リックの問いかけに、メリーシアは逡巡する。

 やがて戸棚から便箋を取り出すと、なにやら書きつけ始めた。

 封蝋をした手紙を手に開け放していた窓辺まで行き、笛を鳴らす。

 しばらくすると、梟が現れた。梟はメリーシアの手紙を咥え、また飛び去っていく。

「明日、町へ行きます」

 振り返ったメリーシアが、宣言した。

 どういう風の吹き回しだ。あんなに引きこもりの魔女だったのに。

 その考えが顔に出ていたらしい。メリーシアは一つ咳払いをすると、きりりとした顔をリックに見せた。

「魔女省に用事があったのです。決して、お菓子に目が眩んだわけではありませんよ!? 決して!!」

 まぁそういうことにしておこう。

 そう思っていることが伝わったのか、ぐぬぬとなっている。ちょっといじめすぎた。

「あなたはお留守番ですからね! 家の掃除をしておいてください!」

 罰になっているのだろうか。

「仰せのままに。マイハンドラー」

 わからないが、そう返事しておいた。

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