第8話
家の中が、甘い香りで充満していた。
アベラードの姿が見当たらないようだが、きょろきょろと警戒するリックに、「父は追い返しました」とメリーシアは告げた。
「彼は、今日はなにをしに?」
「わたしの入れ墨の強化です。月に一度、封印が解けていないか確認に来てくれているんです」
メリーシアは魔法を使う気がないとはいえ、膨大な魔力を持つ『災厄の魔女』。放っておけば入れ墨の魔力封じは緩んで、魔力が溢れてくる。
魔力量だけでいえば今を生きる魔女の中では最高度だから、本気を出せばこんな封印は意味などないのだろうが、彼女自身の心の持ち様は変わる。
「して、この甘ったるいにおいは」
「アベラードは食料も持ってきてくれるんです。わたしはこの森からあまり出ないから……。今日は町で流行りのお菓子を持ってきてくれたんですよ」
そう言ってメリーシアは、かごをテーブルの上に置いた。かごには魔法がかけられており、中の物の時間を止めている。
ナフキンをめくると――。
「アップルパイというのだそうです」
艶のある丸いパイが、そこには鎮座していた。
そのきらめきに、メリーシアの目も輝いている。
「お昼ごはんにしちゃっていいですよね? リックは『パイはごはんに入りません』って言うタイプじゃありませんよね? まぁここの主はわたしなので、拒否権はありませんけど!」
いつになく上機嫌だ。甘いものには目がないらしい。
うきうきと席につくメリーシアに、リックは紅茶を用意する。
一食くらい、菓子をメインにしてもいいだろう。スープくらいは付けるか、とリックは簡単なものを作ることにした。それまでは紅茶で待っていてもらおう。
リックがスープをテーブルに運んでくると、メリーシアは冷静さを装いながら紅茶を飲んでいた。が、視線はアップルパイに釘付けである。
笑いをこらえながら、リックは食器を並べていった。
「はぁ……おいしい……」
待てを食らい、ようやくありつけた甘味に、メリーシアの頬がほころぶ。
こういうところは年相応だよなぁ、とリックも一口頬張った。そして目を瞠る。なるほど、町で人気なだけある。
この魔女ならば、もう少し酸味のある果物にして、しっとりとした食感の方が好むかもしれない。こんな表情をさせたというのが、あのチクチク男かと思うとどこか気に入らない。
「リック? おいしくありませんでしたか?」
黙り込んでしまったリックに、メリーシアが案じるような目を向けていた。
今しがた考えていたことに、疑問が浮かぶ。なぜかもやもやした気持ちを追いやって、主人に笑みを向ける。
「いや? 庭にラズベリーがなっていただろう。あれでこんなパイを作れるかもしれない」
「本当ですか!?」
メリーシアは勢いよく立ち上がり、身を乗り出してくる。
目をしばたたかせるリックに我に返ったのか、咳払いをしながら座り直した。
「に、庭の果物も野菜も、好きに使って構いません。それにしても、リックはなぜこんなにも料理ができるんですか?」
パイを口に含んだところだったリックは、フォークをくわえたまま動きを止める。普段のメリーシアならば「行儀が悪い」と咎めそうなものだが、いまだ動揺しているので気づいていない。
フォークを皿に置き、リックは渋々口を開いた。
「二人目の魔女が、食にうるさいヤツだった……」
「二人目……」
アベラードに『庵の魔女』のことを聞いたとき、リックが殺したと言われる残りの魔女のことも聞いていた。
いや、実は殺していないんじゃないかということも、父は口にしていたのではなかったか。
「『庵の魔女』は、エナフリン山脈に行けと言っていた。そこにいる魔女に会えと」
「エナフリン山脈というと……『屍肉の魔女』ですか?」
リックはうなずく。
大戦を生き残った魔女の一人、『屍肉の魔女』は、定住の地を持たない風変わりな魔女として有名だった。
「自然と共に生きる、ある意味魔女らしい魔女だったかもしれない。山に生きる動物を狩って生きていたからな。それで『屍肉の魔女』と呼ばれていた。本人としては、不本意な名だったらしいが」
その気持ちは、メリーシアには少しわかるかもしれない。『災厄の魔女』の名は、どうにも持て余す。
「実際は、生けとし生けるものに感謝して、毎度の食事でも祈りを捧げるようなヤツだった。……そして味にうるさい」
「味にうるさい」
「猟犬を引き連れて、魔力を込めた弓を引くくせに、その調理法にはこだわる。自分好みの味にしたけりゃ、自分で作ればいいのに……。俺の手に入れ墨を入れて行動に制限をかけてまで、料理係にしやがった。魔女っていうのは、下僕を持たなきゃ気が済まないのか?」
「いやぁ、どうでしょう……?」
現状、リックを下僕にしているメリーシアだ。なにも言えない。
入れ墨のことを知っていたのは、『屍肉の魔女』のせいだったのかと腑に落ち、続きを促した。
「まぁ、獣の狩り方から調理の仕方、それから祈りを捧げることまで教えてくれたから、生きる術を学べたとは言えるか。その点は感謝している」
さらりと言ったが、この男、どこでも生きていけるんじゃないだろうか。
『庵の魔女』から身を護る術を学び、『屍肉の魔女』からサバイバル術と料理の腕を学び、隙がない。なぜ投獄されていたのか。
「『屍肉の魔女』なんて名前だったが、パンや甘味も好んでいた。おかげでいろいろ作れるようになったよ」
手厳しい魔女ではあったが、そのあたりは可愛いものだと思ったものだ。
老齢ながら、伸びた背筋の長身の魔女。引き詰めた長い銀髪を揺らしながら、弓矢を引く姿を思い出す。
彼女はたしかに厳しかったが、あの山で過ごした二年間は、得難いものだった。
『屍肉の魔女』の最期を思うと、胸苦しさを感じるのだが。
「それは」
静かに響いた声に、メリーシアが黙りこくっていたことに気がついた。
テーブルの上で両手を組み、目を伏せている。
いつになく深刻そうな様子に、リックは神妙な面持ちになる。
「それは……どんな甘味も作れる、ということですか?」
再び場に沈黙が落ちた。
かんみ、の言葉を脳内で変換するが、リックは一つしか浮かばない。
「……できる」
アップルパイを前に、目を子どものように輝かせていた主人だ。話を聞いて、そのことで頭がいっぱいになっていたとしてもおかしくない。
リックの返事に、先ほどよりも表情が明るくなった。
「ではでは! ミルフィーユというものは作れますか!? アベラードがアップルパイを買ったお店の人気商品だそうなんです。いつもすぐ売り切れてしまうから、買ってこられないそうで……」
初めて聞く名前ではあった。
メリーシアがアベラードから聞いたという特徴からすると、パイが作れたらできそうな気がする。
「作ってみよう」
リックの返事に、メリーシアは花のような笑顔を浮かべる。
アベラードはこの顔を見たことがあるのだろうか。
絶対作ってみせよう。
そう決意しながら、リックは紅茶を飲み干した。




