第6話
リックは生後間もなくアンダーソン孤児院の玄関前に捨てられていた。
身元を示すものは、産着に刺繍されていた「リック」の文字だけ。
孤児院には戦災孤児が多くいたから、リックの身の上が珍しいものではないが、身元に繋がるものが全くないというのはそう多くない。
戦時中だ。孤児院も例に漏れず食糧難だったから、最年少でちびのリックが腹を満たすためには、神経を張り詰めさせておく必要があった。
その中で、姉のリッカだけは安寧だった。
リッカは孤児院の中で、最年長の少女だ。ブロンドの長い髪をさらりと流し、てきぱきと家事をこなす姿に、彼女のことを嫌う者はいなかった。
ただ優しいだけの少女ではない。
「こらリック! 野菜もちゃんと食べなさい!」
リックの首根っこを引っ掴み、雷を落とすことができるのは、リッカだけであった。弟妹たちの面倒を見るのはリッカの務めでもあった。
「野菜だって、たまにしか手に入らないんだから。食べられるときに食べて、しっかり栄養をつけておきなさい」
リッカに言われれば、刺々しいリックも言うことを聞いた。
貧しくて厳しい環境でも、リッカがいれば孤児院の子らは幸せに暮らしていけたのだ。
激化する戦争で、人間も魔女をも震撼させる事件が起きた。
始まりは一人の人間の子どもの失踪だった。
戦時下だ。それだけならば、よくあることとして処理されただろう。
だが一人消え、二人消え、富裕層の子どもまでも消え始めたことから、問題は大きくなっていった。
新月の晩、子どもたちを引き連れた魔女が、森へと消えていったと言う者が現れた。それも一人二人ではない。
戦争とはいえ、一市民、それも子どもに手を出すのは理に反する。魔女側へと厳重抗議を申した人間側だが、誰もその魔女の存在を知らないという。
一枚岩とはいえない魔女なれど、魔女集会なるものはある。その集会にも顔を出さない魔女なのだ。
否、一度だけ顔を見せて、それきりとなった魔女が一人いる。
当時、『死の森』は『最果ての森』と呼ばれていた。国境沿いに広がる未開の森。魔女さえも近づかぬその森に、一人の魔女が入っていったという。
それが『災厄の魔女』である。その名が付くのはまだ先の話だが。
「人から魔力を抜き取る方法はないのかしら」
かつて一度だけ姿を見せた魔女集会で、かの魔女が放った言葉である。
魔力を抜き取るというのは、いわば人の血を抜くようなもの。魔女といえども倫理に反する。
他の魔女の反発を受けた彼女は『最果ての森』へと姿を消した。
それきり音沙汰のなかった魔女だが、彼女は諦めたわけではなかった。『クロッシアの夜』である。
魔女の名はクロッシア。『最果ての森』で人間から魔力を抜き取る方法を編み出し、夜な夜な子どもらを攫うようになった。
その数、実に百人。戦時下といえども、これには人間たちから抗議が入った。
『最果ての森』には、並の魔女でも近づかない。好きにせよとの返事に、人間たちは攻め入った。
倫理に反するとはいえ、誰もが成し得なかったことを成し遂げた魔女である。ただでさえ強靭な魔女に、人間たちも厳重に備えて攻め入った。
たしかに魔女クロッシアは強かった。けれども人間たちが優勢だったのである。
戦況が変わったのは、家の中から赤子の泣き声が聞こえてきたときだった。
開け放されたままだった戸から、黄金の光が漏れる。人間たちの視線に気づいた魔女クロッシアが振り返った。
赤子も魔力を有するのだろう。ふわりと浮いて、戸から出てくる。
「勝手に動くなっ、A……!」
魔女の子なのか。赤子も殲滅対象なのか。Aとは赤子の名なのか。
人間たちの頭に浮かんだ疑問は、解消されることはなかった。
赤子が大声で泣くと同時に、大爆発が起こったのだ。
爆風は家を吹き飛ばし、魔女もろとも人間たちを飲み込み、森を抉った。
土煙が消えていき、辺りの様子がようやくわかるようになったころ、かつて魔女の家があった場所で動く者はなかった。
多くの者が即死だった。なんとか爆発を逃れた者も、五体満足で生き残った者はいない。
更地になった土の上で、赤子Aはただ静かに眠りについていたという。
*
リックがこの事件のことを知ったのは、リッカの失踪から半年経ったころのことだった。
新聞の号外には、先週行われた魔女討伐のことが載っていた。
「異端の魔女」人間の子らを誘拐か
その文字を見たとき、リックは確信した。姉はこの魔女に攫われたのだと。
刺々しいリックだが、親に捨てられた淋しさがなかったわけではない。
「ね、これを見て」
眠れない夜、真っ先に気づいてくれるのはリッカだった。
こっそり屋根に上り、星を見上げていたリックの横にいつの間にかやって来ていて、声をかけてくれる。そんなリッカに、リックは文句を言えなかった。
リッカが何かをすくうように、両手を動かす。そしてすくったものを空に放つと――。
「きれいでしょ? リックだけの雪だよ」
季節は暖期。雪など降る時期ではない。
リッカは人間でありながら、雪の魔法を使えた。その魔法で、ぐずる子らをなぐさめていたのだ。
魔法を使える人間がいないわけではない。ただそれが明るみに出ると、異端児扱いされてしまう。隠そうとする人間が多いのだ。
「……子どもだましじゃん」
「えー? 本物の雪だよ?」
リックの憎まれ口にも、リッカはどこ吹く風。くすくす笑いながら、雪だるまや雪うさぎを作り出し続けていた。
満天の星空の下、季節外れの雪が舞う。
真白な雪に、ささくれ立ったリックの心は滑らかになっていったのだった。
孤児院の子らの支えだったのだ。
消える子どもの事件が孤児院に届く前、リッカは姿を消した。子どもたちの動揺は相当なものだった。なにせ精神的な支えだったのだ。
先生たちの反応は半々で、孤児院の生活に嫌気が差したとのたまう者、何か事件に巻き込まれたのではと心配する者。
それでも消えた子どもを追うことはしない。孤児院の経営もぎりぎりなのだ。
少しずつ落ち着きを取り戻していった子どもたちだったが、一人、諦めずにいた子どもがいた。それがリックだ。
あの姉が、弟妹たちに何も言わず消えるはずがない。
魔女クロッシアが狙ったのは、魔力を持つ人間の子どもだ。リッカも魔女に狙われたに違いない。リックがそう考えるのは自明の理だった。
支えだった子を探しすらしなかった施設だ。リック一人がいなくなったところで、問題など起こらない。
施設を飛び出したリックは、姉を忘れるなという思いを込めて、『リック=リッカ・アンダーソン』と名を変えた。
そして魔女を探す旅が始まる。
子ども一人で生きるには、厳しい時代だった。だがリックは持ち前の身軽さを活かして、混乱の世を生き抜いた。
ただ生きるだけではない。目的はリッカなのだ。リックは魔女を探しながら、荒廃した町を生き延びていった。
*
「その意気だけは、買ってあげようと思うよ」
天井から逆さ吊りになったリックを、一人の女が恍惚と眺めていた。
歳のわりに背筋の伸びた魔女だ。名を『庵の魔女』という。もっとも、魔女と人間では歳の取り方が違うので、「歳のわり」などあってないようなものではあるが。
リック、十二の頃である。
魔女の家をなんとか探し当てたまではよかった。忍び込もうとして、一歩入ったところでこれだ。
「このご時世だ。魔女が警戒しないわけがないだろう? 見たところ、単身で乗り込んできたようだ。政府の犬というわけでもない。その意気だけは立派だと言ってあげよう」
「うるせぇ。さっさと離せ」
「聞くと思うかい? と言うべきところなのだろうけど、私は慈悲深いからね」
そう言って魔女は、杖を振る。蔦がしゅるしゅると動き、リックはゆっくりと床に下ろされた。
しかしその首には、蔦のようなチョーカーが巻かれている。
「なんだよこれ」
「魔女の屋敷に忍び込むとは、それなりに覚悟があってのことだろう? ならばその報いは受けなければ。汝、名は?」
「リック=リッカ・アンダーソン」
魔女の問いに、リックは自然と口を開いていた。その事実に唖然とする。答えるつもりはなかったのだ。
「リック=リッカ・アンダーソン。『庵の魔女』の名において、汝を我が魔犬とする」
チョーカーは仮の契約。名を呼ぶことによって、契約は成された。
リックはこうして下僕になったのである。




