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魔女省の長官、アベラード・ウィリアムズの朝は早い。
日が昇る前に目覚め、汲みたての冷たい水で顔を洗う。
朝食は質素に済ませ、出勤までの時間、魔術の探究に精を出す。
アベラードが使うのは、『匣』の魔術。匣の中の時間を止める彼独自の魔術は、まだ向上の余地がある。
日々探究するこの時間は、アベラードにとって大切なものだ。
街の時計塔の鐘が鳴ったら、シルクハットを被り魔女省へと向かう。まだ三十五と魔女の中では年若いので、少しでも威厳があるように見せるためだ。
登庁すると、職員たちが寄ってくる。
「長官、おはようございます」
「先日の議会の件の承認をいただきたいのですが、午前中にお時間ありますでしょうか?」
「政府からまた要請がきておりますー!」
朝から対処すべき案件が多い。
その一つ一つに、アベラードは丁寧かつ迅速に返事していく。
「はい、おはよう」
「このあと、執務室に来てくれて構わないよ」
「あの件はお断りしたというのに……。まぁいいや、明日伺うと伝えてくれるかい?」
魔女省の職員は、すべて魔女だ。比率として、男性の方が多い。
男性の魔女もいるのに、なぜ『魔女』なのか。
これは世界的に見て、女性の魔女の方が多いからに他ならない。魔術を使える人は、女性に発現することが多いのだ。
しかし人間との数でいうと、魔女は少数派ではある。リーゼンブルグでは迫害の歴史が長く、魔女は人目を避けて生きてきた。
魔術を使える男性が少ないといえども、貴族・将校の中に生まれないわけではない。彼らは子息に不利益が及ばないよう、政界にねじ込むことで対処してきた。
しかし数の多い女性の魔女は、そういうわけにもいかない。一般市民・貧困層の魔女は迫害され、隠れ住むしかなかった。
戦乱が激化した世で、終戦に向けて奔走するのは、政界に踏み入れていた男性の魔女にしかできなかったというわけだ。
終戦から十五年。魔女の地位も向上してきており、魔女省にも人が増えた。
その最大の功労者が、アベラードであった。
ようやく辿り着けた執務室で、アベラードは重厚な椅子に深く座り、身を預ける。
「やることが多い……」
思わず眉間を揉んでしまう。
ここに来るまでに手渡された書類は一人では持ち切れず、補佐官のコリンに手伝ってもらった。
「そうですよ。ぼんやりしてる暇はありません」
優先度順に書類を執務机に並べていくコリンは、上司に淡々と進言する。
優秀な部下ではあるが、如何せん言葉が端的すぎる。しかし信頼のおける人物ではある。
コリンは一般市民の出ではあるが、仕事振りは確かだ。
二つ名を『羊皮紙の魔女』。
彼の記述は正確無比で、人が話したことを、一言一句漏らさず確実に記すことができる。その筆跡は誰の改ざんも許さず、魔女省の公式文書はコリンの手を経て作られている。
アベラードは身を起こし、書類の一枚を手に取った。
「まったく、お偉方は無駄に仕事を増やす……」
「あなたが仕事を抱えすぎなんでしょう?」
「そうか、僕が優秀すぎるのがいけないのか」
納得顔でのたまうアベラードだが、実際に優秀なのだから、コリンはなにも言えない。
アベラードが省庁に入ったのは確かに家柄故ではあったのだが、実のところ、アベラードは実家とは完全に縁を切っている。
十八歳で一役人として立志したアベラードが、実力でのし上がったことを、コリンは密かに尊敬してはいるのだ。
「さ、文句ばかり言ってないで、仕事を始めますよ」
「はいはい」
アベラードは姿勢を正し、執務机へと向かった。
*
激務をこなし、昼時となった。
魔女省には食堂が完備されており、この時間、職員たちで溢れかえる。
「長官、今日の昼食はなんにしたんですか?」
独り者のコリンはあまり自炊をしないらしく、いつものようにランチセットをトレイに載せて、窓際の席にやってきた。
「今日は中央通りのベーカリーの、新商品だよ」
対して、アベラードは行きがけの道で買ってくることが多い。
料理が嫌いというわけではないのだが、町の店のチェックをしておきたいのだ。
「見てごらん? この苺のチョコレートがかかったウサギのパン! メリーシアが好みそうだと思わないかい?」
嬉々としてウサギ形のパンを掲げるアベラード。
耳のところにピンクの苺チョコレートがかかり、ミルクチョコレートで目と鼻が書かれている。中には苺のさっぱりクリームが入っているようで、主に買っていたのは若い女性ばかりだった。
「……たしかに可愛いですが、三十過ぎの男性が、喜び勇んでこれを買っていたという事実が、周囲を怯えさせていたのではないかという心配の方が先に立ちます」
「別によくないかい!?」
優秀な部下は、上司の親馬鹿振りもたしなめてくれる。
『死の森』で暮らす娘メリーシアは、森から離れることが少ない。
時折アベラードが持っていく物を待ち望んでいるだろうから、新規開拓を兼ねて、アベラードは町の店で昼食を用意するのだ。
「ちゃんと普通のパンも買ったんだよ? ほら、フルーツサンドだよ」
アベラードが袋から取り出したフルーツサンドは、断面の果物が花の形をしており、これまた多くの女性が買っていた。
「からいものが欲しくなりそうなラインナップですね。スープくらい買ってきたらどうです? 今日はミネストローネですよ」
「たしかに……」
アベラードはしょんぼりしながら、カウンターへと向かった。
*
日が傾いてくると、そろそろ終業の時間となる。
昼からは来客が多く、さすがのアベラードも疲れたようだ。
顔を上げたところで、ちょうどコリンも羽ペンを置いた。
「切りがいいなら、今日はこのあたりにしておこうか」
「そうですね。明日は政府の方に出向かなきゃいけませんし」
憂鬱な仕事を思い出し、アベラードの眉間にしわが寄った。
それを見て、コリンは苦笑する。
「週末はメリーシアのところでしょう? それを励みに、頑張ってください」
「そうなんだけどさぁ~! コリン、あの『魔犬』のことをどう思う? ちょっと躾が必要な気がするから、狂犬罪とか成立しないかなぁ?」
メリーシアの名前を出した途端、この俊英はポンコツと化す。
出会ったころは、こんな風ではなかったのに、とコリンは呆れ顔だ。
「そんな罪はありませんし、むしろ冤罪を晴らしてほしいと言われてるんでしょう? 新たな罪を課してどうするんですか」
「そうなんだけどさぁ~!」
しかしガス抜きにはなっているのだろう。
魔女省を人間の省庁と対等な関係まで持ってきたのは、アベラードの力あってこそだ。
彼がメリーシアと出会わなければ、きっと今も魔女たちは虐げられながら生きていただろう。
十五年前、『クロッシアの夜』が、すべての始まりだった。




