第3話
朝食の席で、メリーシアは恐縮しきりだった。
テーブルの向かい側、リックは食べにくそうにフォークを口に運ぶ。フォークが口輪に当たり、トマトが転がり落ちてしまった。
「どうにかならないのか、これ」
苦々しげに言うリックの口元には、口輪が取り付けられていた。
「ケ、ケダモノには仕置きが必要なので……」
目を逸らしながら、メリーシアは弱々しく言う。
リックはため息をつき、もう一度フォークにトマトを刺した。
朝、気づいたらソファで寝ていた。
昨夜のことは夢だったのかと思ったリックだが、後頭部は確かに痛む。そしてあくびをしようとして、異変に気がついた。
格子状の口輪が付いているのだ。一気に目が覚めた。
「おいこらメリーちゃん! これはどういうことだ」
メリーシアの寝室のドアを叩き、抗議する。
鍵を開ける音がして、小さくドアが開いた。
「……どうもこうも、勝手に寝室に入ったでしょう? どうやって鍵を開けたんですか」
「知るか。開いてたぞ。それよりこれ! 首輪だけで言うこと聞かせられるんだろうが。さっさと取ってくれ」
「それですよ! 主人を襲うような子は、お仕置きです!」
大きくドアを開けたメリーシアは、すでに昨日のように極限まで露出を減らした格好だった。
リックの背をぐいぐいと押し、キッチンへと向かわせる。
「わたしがいいと言うまでそのままです! 早く朝食を作ってください!」
「食事はどうしろと?」
「隙間があるでしょう!?」
これ以上は埒が明かないと思った。確かめたいこともある。
昨夜の少女、あの子にリックは見覚えがあった。
*
どうにか朝食を終え、メリーシアの顔を眺める。
リックの食事は、お気に召したようだ。満足そうにティーカップを置くメリーシアに、テーブルの向かいで頬杖をついたリックは苦笑する。
『災厄の魔女』らしくない魔女だ。魔犬になると聞いて、覚悟は決めていた。血も涙もない魔女に、死ぬまで酷使される。そんな未来を想像していた。
だが現状はどうだ。年端もいかない少女が一人で暮らす小屋。生活力には不安を覚えるが、穏やかに暮らしているように見える。
これまで対峙してきた魔女もそうだった。
リックが殺した、三人の魔女――。
「魔女殺しの魔犬、ですが」
ふいに切り出したメリーシアに、リックは視線を上げる。
紅茶に顔を綻ばせていたはずのメリーシアは、真剣な表情でリックのことを見ていた。
「魔犬となった以上、あなたが私を害することはできません。あなたの罪が晴れるのは、私の気の済むまで。そのことを、ゆめゆめお忘れなきよう」
リックは自らの首に触れる。そこには細い革製の黒い首輪が巻かれている。留め具を軽く引っ張ってみたが、動くことはなかった。
「なるほど、メリーちゃんの魔力はなかなかのものだと見受けられる。これでも三人の魔女を屠ってきた魔犬だが?」
「『災厄の魔女』だと言ったでしょう? あまり見かけで判断しないよう」
澄まして言うメリーシアだが、昨日の様子を見る限り、あまり脅威に思えない。
とはいえこの首輪がある以上、リックがメリーシアに逆らうことはできない。リックは頬杖をついたまま、試すようにメリーシアを見上げる。
「それで? 主人は俺になにをやらせようと? 炊事洗濯お掃除から殺しまで、なんなりとお申し付けを」
それを聞いたメリーシアは、ソファの脇からなにかを持ち上げる。
「ガーデニング、です!」
軍手とスコップを掲げるメリーシア。
さすがにリックもずっこけた。
*
木々の生い茂る『死の森』ではあるが、上空から見ると突如開けた部分がある。それがメリーシアの家のあるところだ。
『死の森』と呼ばれる所以である。十五年前。この家を中心に、あらゆる生きとし生けるものを吹き飛ばしたというのが『災厄の魔女』だ。
焦土と化したこの地を、再び緑豊かにする。
それがメリーシアの課題だ。
「つまり、メリーちゃんがこの森を破壊したってことか? 自分で壊しといて、また元に戻すのか?」
麦わら帽子のつばをくいっと上げ、リックはメリーシアを見やった。
開けているせいで、ここは日の光が燦々と降りそそぐ。メリーシアもつばの広い帽子を被り、服も裾を絞ったものに着がえた。もちろん、軍手までしっかり嵌め、露出は極端に少ない。
メリーシアは、物言いたげな目をリックに向けた。呼び方を変えることは、もう無理なのだろうか。
「魔女には一人一人、生涯をかけて追究する課題があります。自分で定めるものだから、途中で変わる魔女もいるそうですが……。私にはそれが、ガーデニングというだけです」
「ガーデニング、ねぇ」
リックは辺りを見渡す。
背の低い木々が連なっている。これまでにメリーシアが植えてきた木々なのだろう。
「ガーデニングというより、植林じゃないのか?」
「そうともいいます……!」
知らなかったのか。
この魔女、どうにも世間とずれている気がする。魔女とは得てしてそういったものなのかもしれないが。
「到底魔女のやることとは思えないな。一本一本植えてってるのか?」
「魔法を使わずにできることはやるだけです。植物の知識を得ることは、魔女の基本ですよ」
たしかに、リックがこれまで出会ってきた魔女の家は、様々な草花で溢れていた。
それとは別に、気になることがある。
「『使わない』んじゃなくて、『使えない』んじゃないのか?」
メリーシアの全身に及ぶ入れ墨、その模様をリックはこれまで出会った魔女のところで見たことがあった。
あれは魔力を抑えるための入れ墨だ。
思えば最初から違和感があった。『災厄の魔女』と恐れられているのに、魔法を使う気配すらない。日常生活における魔法で済ませられそうなことを、何一つ魔法でしない。
リックが出会った魔女は、物を取ることですら魔法でやっていた。
実は魔法が使えないのかと思ったが、この口輪だけは違う。思わずというふうに魔法を使っていた。
「その模様は、魔力を封じるものだよな。自分自身で、魔法を使うのを禁じている。そういうように見えたが、違うか?」
リックは棘のある視線をメリーシアに向ける。彼女は目を逸らし、なにも答えない。
死の森に生き物は少ない。風が木々を揺らす音だけが、二人の間に流れる。
沈黙を破ったのは、リックの方だった。
「答えたくないのなら、答えなくていい」
その言葉にメリーシアは顔を上げる。
刺すような視線はもう鳴りを潜め、いつものように口の端が上がっていた。ただしそこに軽薄な色はない。メリーシアを案じているようにも見える。
「俺だって、聞かれたくないことの一つや二つあるからな。主人の真意はわからんが、俺にとってひとまず害とならないならそれでいい」
これ以上は干渉しない。そう言っているようにも取れる。
だがその距離感に、メリーシアはほっとした。
「……それは、たとえばあなたが本当は魔女を殺していない、とかですか」
『聞かれたくないこと』のことだろう。
リックは表情を変えずに、メリーシアのことを見つめる。意外にも彼女は、目を逸らさなかった。
ふっとリックの表情が緩む。
「どうだろうな」
すでにそのことはさしたる問題ではない。
リックの目的は達成されつつある。
*
朝食と同じように口輪の間からなんとか昼食を取り終え、休んでいたときだった。
「メリーシア! 元気にしてるかい?」
勢いよくドアが開いた。
馬の蹄の音がしたから、二人とも来客に気づいてはいたが、疲れたような顔の主にリックは黙っていた。
まさかノックもなしとは思わなかったが、メリーシアを見ると、やはりうんざりしている。
「お父さん、仕事は?」
「もちろん終わらせてきたよ。メリーシアに余計な心配をかけたくないからね」
「職員のみなさんの負担になってないといいんですが……」
昨日の今日で、リックも彼には見覚えがある。親馬鹿のアベラードだ、と心の中で呟いた。
魔女省の指示役と聞いたことがある。
ああ見えて上に立つ者なのだ。職員からは『無茶振りのウィリアムズ』と呼ばれているが。
「むしろ心配だったんだよ? 初日から魔犬と二人きりなんて……」
言いながら、リックを見やったところで言葉が途切れた。
何事だろうかと、リックは顔色を変えずに彼の出方を待つ。
それからのアベラードの行動は速かった。
「これはなに? メリーシアに魔法を使わせたの? まさかメリーシアになにかしたんじゃないよね? 魔犬が初日から主に? 僕の娘に手を出すとか死にたいのかい? 死にたいんだね? よし殺そう」
「お父さん落ち着いてください!」
すごい力で肩を掴み、目の前で詰め寄ってくるアベラードに、リックは避ける暇すらなかった。
親馬鹿も極まれり。急所を狙ってくるアベラードに、リックは間一髪で避けることしかできない。
メリーシアの執り成しで解放されたときには、汗びっしょりだった。
ようやく落ち着いて席に着くアベラードに、リックは紅茶を淹れる。
「本当に、こいつに害はないんだな?」
「だから何度もそう言ってます……。でも、お父さんが来てくれて助かりました。リックの口輪を外してもらいたいんです」
言われて目を見開いたのは、アベラードだけではなかった。
なるほど、確かにアベラードは魔法使いだ。口輪を外すくらいは造作もないことだろう。
「断る」
「どうして!?」
「ケダモノを解放するわけにはいかないよ」
親子で同じことを言っている。
とはいえリックは別にメリーシアを襲うつもりはない。今のところは。
リックは自身の求める情報がほしいだけだ。
「この首輪がついてるうちは、主人に従うさ。逆らえないことは魔女省のあんたなら知ってるだろう?」
「詐欺師は自分の理となることばかりを言う」
「俺は詐欺師じゃなくて殺し屋だ」
メリーシアの視線を感じる。今はまだ、魔女殺しのことについては触れてほしくない。リックはそちらを見なかった。
「リック、お手」
メリーシアの命令に逆らう術はない。体が勝手に動き、リックはメリーシアにお手をしていた。
「首輪の力は確かです。それは信じてください」
「……いつまで手を繋いでいるのかな」
言われて慌ててメリーシアは手を振り払う。相変わらず、純粋な少女だ。
アベラードが指を一振りする。
『災厄の魔女』と呼ばれる所以はなにか。
口輪の外れたリックは、主を盗み見ながら考えていた。




