第2話
ツェンタール監獄を出てからが揉めた。
「僕も帰る」
「わがまま言わないでください……」
父アベラードは馬車のドアを掴み、中に座るメリーシアをじとっと見上げていた。
メリーシアとリックは、このまま森のメリーシアの家へと向かう。
一方アベラードは、王都の魔女省での仕事が待っている。愛娘の門出として、特別に半休を得ていたのだ。
「職員の皆さんが困るでしょう? それに、うちに泊まるつもりですか?」
「初日だよ? メリーシア一人じゃ心配だよ」
「そう言って何日も居座る気でしょう!?」
女性の魔女の方が、魔力が強い傾向があるが、総じて彼女らは研究に没頭するきらいがある。
よって、男性の魔女が表舞台に立つことが多く、アベラードも政界に関わっているというわけであった。
メリーシアの自宅は郊外の外れも外れ、『死の森』と呼ばれる地の奥に住んでいる。今日はわざわざ王都からアベラードが迎えに来てくれていた。親馬鹿である。
「とにかく! 仕事はちゃんとしてください。私も頑張りますから」
メリーシアはそう言って、馬車のドアを閉めた。
ふうと息を吐いたところで、向かい側からくつくつ笑う声がする。
「……すみません、お見苦しいところを」
「いや? メリーちゃんは愛されて育ったんだな」
「だからそれやめてください……!」
完全に舐められている気がする。初手を間違えた。
メリーシアはせめてもの威厳が出るよう、咳払いをした。
「これから向かうのは、『死の森』です。私はそこで、一人で暮らしているので……。いくら『魔女殺し』といえど、『災厄の魔女』に敵うなどと思わないでください」
「へいへい。この首輪もあるしなぁ」
指先で首輪を弾くリックに、メリーシアは押し黙る。
首輪は枷である。この首輪を付けている限りリックはメリーシアに逆らえないし、死ねと言われれば意思にそぐわなくとも自害を選ぶ。魔力を有した契約だ。
そんな契約なくとも、と思わなくもない。メリーシアの中にある『災厄の魔女』の力は、およそこの世の魔女は敵わないのだから。
それきり二人の間には、会話はなくなった。
メリーシアは、ちらりとリックを盗み見る。
整った顔立ちの男だ。年の頃は、十五のメリーシアよりはだいぶ上に見えるが、それでも若い方だろう。
劣悪な環境にいたせいでぼろぼろだから、家に着いたら風呂に入れてあげよう。まずは食事からかな。
そんなことを考えながら、馬車は進んでいく。
*
『死の森』はメリーシアの生まれた土地である。郊外のはずれに位置し、その端は断崖絶壁の海に面しているので、立ち入る人は少ない。
人が来ないのは場所柄というより、『死の森』と呼ばれるようになった事件によるものだが。
十五年前、森の三分の一が吹き飛んだ事件だ。広大な森の大部分が失われた。
森と焦土となった地の境、そこに小屋が建っている。メリーシアの住まいだ。
王都に帰っていく馬車を見送って、小屋の前でリックに向き直った。
「まずはその身なりをどうにかしましょう。ごはんはその後です」
ツェンタール監獄はよほどの環境だったのだろう。リックの服は見るからに埃まみれており、髪もボサボサ。これからこの家で暮らすのに、このままというわけにはいかない。メリーシアもそのくらいの人の心はある。
だがリックには、その言葉が意外だったらしい。蒼の瞳を丸く見開き、それからくつくつと笑った。
「主人はお優しい。当たりの魔女様でよかったよ」
「いやっ、そのままで上がられても、うちが汚れるでしょう!?」
また舐められてしまった。メリーシアは慌てて反論する。
リックはまだ笑っているから、メリーシアは唇を噛んでドアを開けた。
平屋建ての小屋だ。入口からはこぢんまりとして見えるが、中はそうでもない。入ってすぐはキッチンを兼ねた居間になっており、右手には暖炉が見える。左手のキッチンスペースには様々な草花が吊り下げられ、台には木の実の瓶が大小並べられている。
その脇の小ぶりのドアからは裏口に出られ、水を汲むのはそこの井戸からだ。
居間の奥にはまた二つのドアがあり、片方の部屋はメリーシアの寝室、もう片方はバスルームとなっている。
メリーシアは荒い足取りで井戸に向かうと、ポンプを押して水を出す。水口はバスルームへと繋がっており、バスタブに勢いよく水が溜まっていった。メリーシアはそのまま慣れた手付きで火をつけ、水が温まっていく。
「見事なモンだが、魔法は使わないのか?」
感嘆の声を上げるリックに、メリーシアの胸がすく。だが後半の問いに、きゅっと唇を噛んだ。
「明日からはあなたの仕事ですから。ちゃんと見ててくださいよ」
「そうなのか?」
魔犬をなんだと思っているのか。
といっても、メリーシア自身も全てを知り得ているわけではない。なにせ他の魔女との交流がないのだ。
アベラードは、「君の仕事を手伝ってもらうといいよ」と言っていた。まずはそれでいいのだろう。
バスルームの小窓から、湯気が出てきた。メリーシアは薪を調整し、湯船を適温に保てるようにする。
「服はアベラードのを使うとして……。身ぎれいにしてきてください」
「一緒に入る?」
「……っ! お風呂の入り方がわからないわけじゃないでしょう!?」
真っ赤になるメリーシアにくつくつ笑いながら、リックはバスルームへと向かう。その背中に、メリーシアはタオルを投げつけた。
*
しっかり温まり、タオルを頭にかけたままのリックは、居間に広がる光景に目をしばたたかせた。
「…………なにこれ」
「なにって、夕飯ですけど」
テーブルに並ぶのは、黒い塊のなにかと、びしゃびしゃに濡れたままのまるごと野菜の盛り合わせ、形作ろうと努力したであろうオムレツに、謎の色のついた(恐らく)スープ、とメリーシアの手料理と思しきものたち。
メリーシアはフォークを並べ、ふんすと胸を張る。
「いつもこんな食事を?」
「いつもはもうちょっとシンプルですね。一人なので。でも今日は、あなたがいるので豪華にしました! ツェンタールの食事は、そうよくなかったでしょう?」
たしかにひどいものではあった。最低限、命が繋げる程度の。
だがこれは……。そう思いながら、リックはテーブルを見つめる。
「……少々手を加えても? これでも割と、腕には自信がある」
「? どうぞ?」
キッチンからナイフを拝借し、黒い塊のなにかから焦げを削ぎ落としていく。どうやら鹿肉のローストだったらしい。
魔女らしく香草はふんだんにある。味つけは塩とそれらでいいだろう。
野菜の盛り合わせはさっと水を切り、一口大にちぎる。その隣に、オムレツの形を整えながら滑らせた。
酸味の強い野菜は、スープらしきものに入れていいだろう。具なしのスープでは少々物足りない。
キッチンの隅に追いやられていた籠に、パンが刺さっていた。数枚切り分け、皿に並べる。
「うわぁ……! コックでもやっていたんですか?」
「……いや? これから料理は俺がやろうか?」
「よろしくお願いします!」
キラキラした目をそのままリックに向けたメリーシアは、見下ろしてくるリックの視線に、はっとした。
顔を背け、咳払いしてごまかしたいようだがもう遅い。くつくつ笑うリックに、メリーシアはむむむと唇を噛む。
「これも魔犬の仕事ですからね!」
「はいはい。仰せのままに、ご主人様」
「『はい』は一回!」
まったくもって、威厳のない主人である。
これから始まる生活に、メリーシアは不安を覚えた。
*
暖炉の前のソファは、時折泊まりに来るアベラードが用意したものである。大の男が寝るには十分な大きさで、彼はいつもそこで寝ている。
ベッドはいらないのかと聞くメリーシアに、アベラードは「君の居場所を余計にもらうわけにはいかないよ」と返すばかり。それならもう少し子離れしてほしいと思うメリーシアではあったが、リックのためになったので助かった。
夜半のことだった。
久方ぶりのやわらかな寝床に、しっかり寝入っていると思われたリックが、ふいにその目を開ける。
長きに渡る過酷な監獄生活で、眠りが浅くなっていた。
だがそれとは別で、妙な気配がしたのだ。静かに身を起こし、部屋の中を見渡す。
気のせいかと思ったが、メリーシアの寝室へと繋がるドアに目が釘付けになる。
ドアの前に、幼い少女が立っていたのだ。輪郭がぼんやりと光り、リックのことを見つめている。
リックは声も出せず、ふらりと立ち上がった。少女がドアの向こうへと消える。それを追いドアノブを回すと、難なく開いた。
少女はベッド際に立っている。一度リックと目を合わせたあと、メリーシアへと視線を落とした。つられてリックもメリーシアへと目を向け、息をのんだ。
夜着がめくれ、右腕が顕わとなっている。その腕は、蔦草のような入れ墨で覆われていた。淡い緑色に光って見えるのは、気のせいではないらしい。夜着に隠れた部分も光っているから、どうやら入れ墨は全身に及ぶようだ。
この入れ墨を、リックは見たことがある。以前、魔女の屋敷に忍び込んだとき、まじないの一つとして知った。
少女がゆらりと動き、リックはようやく我に返った。その姿が薄くなっていき、慌てて手を伸ばす。
「待っ……!」
少女が立っていたのは、ベッドの向こう側。それを失念していたリックは、ベッドに倒れ込んでしまう。顔を上げたときには、少女の姿は消えてしまっていた。
「……なにしてるんですか……?」
ここがメリーシアのベッドだったことを思い出す。入れ墨の光は、もう納まっていた。
メリーシアに覆い被さるかたちになってしまっている。リックはどうにか笑顔を作る。
「やぁ、いい夜だな?」
当然、そんなごまかしはメリーシアには効かない。
「ケダモノーーーー!!!!」
魔女の平手打ちと共に、リックの体は吹き飛んでいった。




