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災厄の魔女ですが使い魔の犬に手を噛まれています  作者: 安芸咲良
第一部 魔女殺しの魔犬

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第1話

 暗い地下牢の奥から、石畳を叩く足音が聞こえてきた。

 足音が、男の前で止まる。

「あなたが、魔犬?」

 牢の外から、おずおずとかけてくる声に、男は顔を上げた。

 男の罪状は、『魔女殺し』。

 魔女殺しは重罪だ。覚悟の上で、罪を重ねていた。

 死刑になっても構わなかった。

 それなのに。

「お前が俺の飼い主(ハンドラー)か?」

 よりにもよって、魔女の飼い犬になるなんて。

 魔女は燭台を掲げた。小柄な容姿があらわになる。

 窮屈そうだというのが、彼女の最初の印象だった。

 首の詰まった黒いドレスは、膝下まであり、その足は黒い革のブーツに覆われている。長い袖だというのに、手袋まで付けていて、極端に露出が少ない。

 髪だけは栗色で、緩く波打ち背中まで流れていた。

 男の鋭い視線に、魔女はびくりと身をすくめる。

 だがすぐ持ち直したかのように、燭台を持つ手に力を込めた。

「えぇ。『災厄の魔女』、わたしの二つ名はたくさんあるけれど、そう呼んでください」

 それは、彼女にはあまりにも釣り合わない呼び名だった。


   *


 大国リーゼンブルグの歴史は、人間と魔女との戦乱と共に語られる。

 姿形は同じなれど、相入れない二つの種族。

 片や魔力を持つが数の少ない魔女。片や数は多いが魔力を持たない人間。

 幾度もぶつかり、そして争いは絶えずにきた。

 疲弊した二つの種族の間で、一つの条約が交わされた。

 曰く、『持てる者の義務を果たす』。

 魔女は魔力を人間のために使い、人間は数に物言わせて魔女を迫害しない。

 要約するとシンプルなものだが、ひとまずの平和は約束された。

 だがいつの時代も、ルールを破る者はいる。そういった者の処遇は、魔女に一任するということで、片がついたのだった。


 深い森の中を、一台の馬車が走る。二頭立ての箱馬車だ。

 中には、向かい合って座る男女が一組。

 一人は、黒いドレスをまとった、小柄な少女だ。

「メリーシア、今からでもやめないかい?」

 そう言葉を発したのは、シルクハットを被る壮年の男。

 メリーシアと呼ばれた少女の父である。

 メリーシアは、目の前に座る父アベラードの言葉に答えられなかった。

 アベラードは返事がないものだと思って、話を続ける。

「君が魔女の務めを果たそうとしたい気持ちは、尊重するよ。でも、そんなに不安そうな顔をしていちゃ、僕は止めたくなってしまう」

「それは……」

 なおもメリーシアは口ごもる。

 不安がないわけではなかった。むしろ不安しかない。

 魔女は独り立ちすると、一つの義務を課される。

 それは、「魔犬の飼い主(ハンドラー)となり、職務に当たること」というものだ。

 現代では共存している魔女と人間。

 だが長きにわたる軋轢が、そう易々と解消されるはずもない。人間は魔女の魔力に怯えているし、魔女は人間がまたいつ攻めてくるか気が気でない。

 それを解消したのが、『罪を犯した人間の処遇を、魔女に一任する』というものだった。

 魔女は体のいい人質を手に入れることができたし、人間は厄介払いができる。

 両者万々歳の制度となった。

 メリーシアは、今日、魔犬と対面しに行くところである。

 独り立ちしたのは、もう随分と前のことだ。だが、メリーシアの『ある事情』から、彼女が魔犬を持つことは、免除されてきた。

 それではいけないと、一念発起して魔犬を持つことを決めたはいいが、いざそのときになると、臆病風が吹き始めた。

 凶暴な魔犬をあてがわれたらどうしようかと、メリーシアの心には不安が占めている。

 それでも、今さら逃げるわけにもいかない。

 メリーシアは、ぎゅっと拳を握った。

「やり、ます」

 気持ちに反して、声は頼りないものだった。

 しかしこうなれば、娘は折れないのだろう。アベラードは小さくため息をついて、椅子にもたれかかった。

「しかし、どうして今になって、義務を果たそうと思ったんだい? 君は特例で魔女の責務を免除されているし、あまり乗り気じゃなかったじゃないか」

「……たしかに、協会の人たちは、わたしが外に出ることをよしとしないのかもしれない」

「それは」

「でも、だからといって、なにもしないのはわたしが許せない……。結局は、わたし自身の問題なんです」

 メリーシアは、まっすぐに父を見据える。

 そこに、さっきまでの気弱さはもうなかった。

 アベラードは、小さく息を吐いて目を伏せた。

「そこまで言うのなら、君の意志を尊重しよう。僕は君の決断を、応援するよ」

 そう言って微笑むと、メリーシアもようやく笑ってくれた。


   *


 ツェンタール監獄は、中央区の外れにある。

 過去、旧ツェンタール監獄は郊外に建てられていたのだが、収容人数が減ったことから、この場所に移設された。

 罪人はすべて魔女の犬となるのだ。引き渡しまでの数日過ごすだけのこの場所に、大きさは不要。

 メリーシアは、一人監獄の暗い廊下を歩いていた。アベラードも同行するといって聞かなかったが、ここは許可を得た魔女と監視官のみ入れる場である。

 黙したまま前を歩く監視官の背中に、メリーシアは目をやる。この壮年の監視官は、挨拶のときから忌まわしげな視線をメリーシアに向けていた。余計な言葉をかけてくれるなという意思が、背中からひしひしと伝わってくる。

 自分の所業を思えば当然だと、メリーシアは小さく息をついた。

「こちらです」

 ここまで案内してくれただけでも、感謝すべきであろう。

 監視官が指し示した牢獄の前に、メリーシアはぎゅっと両手を握り締めて立った。

「……あなたが、魔犬?」

 声が震えてしまったことに、内心焦る。初めが肝心なのに。自分は泣く子も黙る『災厄の魔女』なのに。

 囚人にばれないよう、小さく息をつく。

「お前が俺の飼い主(ハンドラー)か?」

 気づかれなかったことを自信の後押しに、メリーシアは燭台を掲げた。

 簡素なベッドに腰かける男は、座っていてもなお大柄に思える。夜を宿したような漆黒の髪はボサボサで、空色の瞳がメリーシアを射抜く。

 その視線の鋭さにまた竦みそうになるが、なんとか堪えた。堪えられたと思う。

「えぇ。『災厄の魔女』、わたしの二つ名はたくさんあるけれど、そう呼んでください」

 正直に言うと、この二つ名は好きではない。しかし初対面の凶悪な人間と対峙するには、使える名だと思った。

 だというのに、目の前の男はハッと嘲るような声を上げた。

「大層な名だなぁ。二つ名に似合った魔女は、今のところいなかった。あんたもどれだけのモンなんだか」

「口を慎め、魔犬。誰が貴様に発言を許した」

「まだ魔犬じゃねえよ。契約はしてねえ」

 正論ではある。監視官は言い返すことができず、口ごもった。

 頭の回る男ではあるらしい。魔女と人間に関する法について、熟知している者はそう多くはない。

 それとも、男の罪状のせいか。

「お嬢さん、名前は」

 男の視線が、メリーシアに向いていた。

「…………メリーシア・ウィリアムズ。あなたは?」

「リック=リッカ・アンダーソン。リックでいいぜ、メリーちゃん」

「お断りです! というか、『メリーちゃん』だなんて呼ばないでください!」

 二つ名で通すべきだった。唇を噛み締めて威厳を保とうとするメリーシアを、リックはくつくつ笑いながら眺めている。

 メリーシアの心に、一抹の不安が過ぎる。魔犬の受け入れを早まったか?

 そう思うが、今さら引くわけにもいかない。監視官に目を向ける。

 監視官はメリーシアと目を合わせないまま、手にしていた箱を差し出してきた。

 苦々しい気持ちで、箱の中に収められていた首輪を取り出す。この首輪を囚人に付けることで、魔女と魔犬の契約は完了する。魔犬は魔女に逆らえなくなるのだ。

 人に首輪を付けるなど――。

 倫理的にどうなのかと思いはするが、付けなければ始まらない。

 そしてこの男は、黙って付けさせてくれるのだろうか。

 内心の不安を隠し、メリーシアは独房内に足を踏み入れた。

 簡素なベッドに座ったままのリックは、メリーシアを見上げている。余裕綽々のその瞳に、侮られていることを感じるが、抵抗する気配はないようだ。

 その首に手を回し、メリーシアは首輪を付けた。

「汝、リック=リッカ・アンダーソンを『災厄の魔女』の魔犬とする。汝の罪が晴らされるまで、魔女の手となり足となり尽くすことを命ずる」

「イエス、マイハンドラー」

 人の身で、人の飼い主となる。もう後には引き返せない。

 頭を垂れたリックを前に、メリーシアは覚悟を決めた。

 リックに自分を殺してもらうのだ。

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