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昼過ぎの市場は、賑わいを見せていた。
その一角。屋台に隠れ、大通りをじっと見つめる少女が一人。
少女の視線の先では、黒髪で長身の青年が、美しい女性となにやら楽しそうに話している。
「リック……その人は誰なんですか……?」
物陰から二人の様子を窺うしかなかったメリーシアは――。
「あの、嬢ちゃん……買うの、買わないの……?」
店の親父から注意されてしまった。
*
時間を少し巻き戻そう。
改めての新生活が始まって、数日経ったある日のことだった。
「あっ!」
植林の合間の休憩、昼下がりのお茶の時間。珍しくリックが大声を上げた。
ティーカップを取ろうとしていたメリーシアは、目をしばたたかせる。
「どうしたんですか?」
「いや、すっかり忘れてたんだが……」
リックは気まずそうな目を向けてくる。
首を傾げるメリーシアに、言いづらそうに口を開いた。
「ミルフィーユを作ってなかった」
言われたことを、しばし考えるメリーシア。
アリア、もといクロッシアが来る前のことだ。
料理が得意だというリックに、メリーシアはミルフィーユを作ってもらう約束を取り付けていた。
父アベラードからもらって帰ったこともあったが、あれはアリアに全部食べられてしまったから、いまだリックはミルフィーユを口にできていない。
それはメリーシアも同じなわけだが、その後のごたごたのせいで、すっかり忘れていた。
「しかし、材料が足りるか……? 今日、アップルパイなんて作るんじゃなかった」
リックはぶつぶつ言っている。
植林作業の休憩として、先ほどおいしくアップルパイをいただいたばかりだ。
メリーシアは紅茶を飲みながら、ああでもないこうでもないと考えているリックを見て閃いた。
「でしたら、明日、町に行きません?」
リックは少し首を傾けて、疑問の意を表す。
「そろそろ父に食材を届けてもらう日でしたし、市場で買い物をするのはどうでしょう?」
『災厄の魔女』として恐れられているメリーシアは、これまで町に近づかないようにしていた。
罪のない人を殺し、森を破壊した自分には、罪を償い生きることしか許されない。いたずらに人と関わることなどあってはならないと、自分を戒めてきた。
そのために、魔力を封じる入れ墨を全身に入れていた。
実母クロッシアとの戦いで、魔術を使うことを解禁できたおかげで、両手の入れ墨だけは消えている。近ごろはもう手袋をつけていない。
くわえて、一度だけではあるが、魔女省からの依頼を受けて、森の外での仕事をこなすことができた。
町へ出るハードルが、少し下がってきているのだ。
メリーシアの提案が意外だったリックは少々驚いたが、彼女と出かけられるのはやぶさかではない。
とはいえ『魔犬』の領分を外れて、メリーシアの機嫌を損ねたくはない。
「承った。荷物持ちは任されよう」
あくまでも従者である。
そういう意思を示したつもりだったが。
「あっ、えっと、そうですね……よろしくお願いします……」
メリーシアの返事は煮え切らない。
『魔犬』だと一線を引いた以上、意思を翻すわけにはいかない。
リックは軽口を叩くこともできず、その話題を終わらせるしかなかった。
*
そして翌日。
いつもより少しだけ早起きしたメリーシアは、鏡を前に唸っていた。
「なにを着ればいいんでしょう……」
ベッドの上には、服が散乱している。
元々、そんなに洋服を持ち合わせていない。
普段着、作業着、寝間着、以上。
森の中で生活するには十分すぎるほどだったし、必要としてこなかった。洗い替えこそあるものの、メリーシアは服に関して、入れ墨を隠せたらそれでいいと思っていた。
「普通、町にはどんな格好をして行くものなんでしょう……?」
手袋はしていかないことにした。それにしても、身を隠すことを意識したものしかない。
選択肢はそうないのだから、迷う必要はないのだが、少しでも見栄えするものをと思ってしまう。
悩むメリーシアの耳に、ノックの音が聞こえた。
「主人、起きているか? いつもより遅いようだが」
リックの声に慌てた。そんなに長い時間、悩んでいたのだ。
急いで着替えて部屋を出たものの、リックは「おはよう」と言うだけで特別な反応はない。髪型はいつもと違うのだが。
メリーシアは肩を落としながら、朝食を取り始めた。
*
今日訪ねるのは、『死の森』から一番近い町である。
小さいけれど、普段使いのものを買うには十分な市場がある町で、父アベラードもかさばるものはここで買ってから来るらしい。
歩いて行けない距離ではない。二人は話しながら町へと向かった。
初対面では尖ったナイフのような印象だったリックだが、今ではそれなりに話すようになっていた。
軽口を叩かれることもある。だけど今はそれも信頼の証のような気がして、メリーシアは嫌いではない。
人づきあいを避けてきたせいで、この感情がなんなのか、いまだ答えを出せずにいる。
町に到着したころには、人の往来の多くなる時間になっていた。
「結構な人混みだが、大丈夫か?」
先の魔女省の仕事では、ベールまでまとい、徹底的に人目を避けてきたメリーシアだ。リックの心配も無理ない。
「少し、緊張しますが……。でも、リックがいるから大丈夫です」
あのときは、リックが抱き上げて人目から隠してくれた。逆に目立っていたと言えなくもないが、気遣いはありがたかったと今は思える。
メリーシアの返事に、リックはなにか言おうとして口を閉じたように見えた。
尋ねようとしたメリーシアだったが、それより先に「それじゃあ行こうか」とリックは歩き出してしまう。
朝からなんだかうまくいかないなと思いながら、メリーシアはリックのあとを追った。
数日必要な分は、粗方買うことができた。小さい市場ではあるが、物は十分揃っていた。
気づけばリックがすべての荷物を持っていて、『魔犬』としては正しい気はするが、なんだか落ち着かない。
「主人、疲れてないか?」
この人混みだ。体力的に問題ないとしても、慣れない人混みに気疲れしたところはある。
この先の大通りには、いろんな店があったはずだ。
「少し休んで帰りましょうか。この先に、食事できるお店があったはずです」
「そうなのか」
二人並んで歩く道すがら、メリーシアはふと気がついた。
これって、いわゆる……『デート』ってやつなのでは……?
特別な感情を持っている二人が、他愛ない話をしながら町を歩く。
経験はないが、本で読んだことがある。引きこもりだったメリーシアには、本からの知識しかない。
意識したら、答え合わせは簡単だった。
服装に悩んだのも、いつもと違う髪型に反応されなくてがっかりしたことも、『魔犬』としてしか接されなくて引っかかることも、無意識にデートだと思っていたからだ。
気づかなければよかった。体の右側だけが緊張してしまう。
このあと食事するのか? デートとして?
目の前がぐるぐるしてきた。
「ああぁぁあの!!」
限界だった。メリーシアは立ち止まり、声を上げる。
二歩先に行っていたリックが振り返る。その目に自分が映り、考えがまとまらない。
「~~~~買い忘れがありました! 先にお店に行っておいてください!」
「え? あっ、おい主人!」
言うが早いか、リックにくるりと背を向け駆け出した。
彼が追ってくるかどうかなど、考えていられなかった。
*
市場の端まで来たところで、メリーシアはようやく足を止めた。建物の壁に手をつき、肩で息をする。
リックは追ってきていなかった。自分から逃げ出しておいて、がっかりしている自分に気づき、これではいけないとぶんぶん首を振る。
意識しているのは自分だけなのだ。まずは落ち着かなければ。
「ひとまず、なにか買って戻らなきゃ……」
戻りながら市場をきょろきょろとするが、咄嗟にした言い訳だったから、買うべきものが見つからない。
大通りへの曲がり角に差し掛かったときだった。
目に飛び込んできた光景に、メリーシアは思わず身を引っ込めた。
「リック……その人は誰なんですか……?」
おしゃれな店の前で、リックと謎の美女が楽しそうに話している。
あんな笑顔を、メリーシアは見たことがない。
チリっと痛む胸に、メリーシアは立ち竦んでしまった。




