第26話
アベラードが訪問してきてから、一週間が経っていた。
一見、元の暮らしが戻ってきたようではあるが――。
「主人、卵は目玉焼きとスクランブルエッグ、どっちにする?」
「あっ……えっと、今日は目玉焼きで……」
「了解した」
リックは朝食の準備へと戻っていく。
メリーシアはその動きを横目で見守り、挙動不審がばれなかったことに安堵した。
そう、リックに対して『元どおり』ができないのである。
ばれないようにしているつもりではある。だけど明らかに言葉に詰まったり、過剰に驚いたりしている気がする。
「気づいてない、はずがないですよね……」
聡いリックのことだ。気づいていて黙っている可能性は、大いにある。
キスはされたが、なにか言われたわけではない。そのせいで悩みに悩んでいるわけではあるが。
「なにか言ったか?」
「なにも!?」
いつの間にかリックが傍に来て、皿を並べていた。
目玉焼きに、採れたて野菜のサラダ。厚切りベーコンには艶がある。
ライ麦パンは香ばしそうで、隣に並ぶ湯気を上げているポトフとの相性は抜群だろう。
「胃袋は、掴まれてますね……」
元々料理上手なリックだったが、メリーシア好みの味付けに仕上げるようになってきて、ますます沼から抜け出せない。
「主人はおいしそうに食べてくれるから、作り甲斐がある」
「人を食いしんぼうみたいに言わないでくれます!?」
からからと笑いながらカトラリーを並べるリックに、メリーシアはしかめっ面をしてしまう。
向かい側にリックが座り、二人で食前の祈りを捧げる。
こんな生活が続くのも、いいのかもしれない。
*
「いやよくない」
家事をリックに任せ、メリーシアは森の奥の植林をしていた。
先日アベラードが来た際に、リックの冤罪のことを話しておいた。
父としては、憎っくき『魔犬』を愛娘から離すまたとないチャンスだ。二つ返事で調べてみようと約束してくれた。
「リックの目的も、果たせたわけですし……」
姉リッカを追ってここまで来たリックだ。彼女はとうに亡くなっており、その魔力はリッカの意思でメリーシアの中にある。それで終わりの話だろう。
「リックは、どう思っているんだろう……」
開放してあげなければと思う。もう魔女に固執する必要はないのだ。
魔女のことだけではない。リッカのことを姉以上に想っているのか、メリーシアは聞けずにいた。
キスはされたけれど、他になにも言ってこない。
褒美とかなんとか言っていたけれど、それは恋愛の意味でのご褒美というわけではないのでは?
女性からなら、なんでもご褒美になるタイプの人間なのでは?
そんな考えが浮かんでは消えていく一週間だった。
「だって、これまでにも三人の魔女と暮らしていたわけだし……」
とはいえ『古の三魔女』は、当時ですでに高齢だったはずだ。そのあたりに考えが及ばないあたり、メリーシアは混乱している。
「変な想像をするんじゃない」
「きゃーーーー!!!!」
いるはずのない人の声がして、メリーシアは飛び上がった。
振り返ると、想像どおりリックがいる。
「なんっ……ここっ、かじ…………きい………!?」
「家事が全部終わったから、こっちを手伝おうと思って来たんだが。『これまでにも三人の魔女と暮らしていたわけだし』は聞こえた」
「仕事できすぎだし完璧に聞き取ってるんじゃないですよ!!」
理不尽である。
とはいえ、顔を合わせづらくて家事をたくさん頼んできたのに、こうも短時間でこなされてはたまったものではない。リックのことだから、手抜きなどしていないのだろうが。
じとっと見上げてくるメリーシアに、リックはふっと口角を上げる。
「主人は俺の女性遍歴が気になるのか?」
「違います違います違います勘違いしないでください」
誤魔化すのが下手だなぁと思いながら、リックはますます笑みを深めてしまう。
メリーシアは、ぎっとリックを睨み付けた。
「なんなんですか! あなたの言葉がないのがいけないんでしょう!? リッカのことをどう想っているんですか!?」
破れかぶれにまくし立てるメリーシアが、意外だったらしい。リックは目をしばたたかせている。
「なんですか!? 『災厄の魔女』ともあろう者が、こんなにしっちゃかめっちゃかになってるのがそんなにおかしいですか!?」
「いや、こんなに感情をあらわにしてくれて、嬉しい」
「なっ……!」
愛おしそうな目を向けられては、さすがに冷静になった。むしろ別の意味で頭が沸騰しそうだ。
リックが一歩詰めてくる。手を取るのを避けることはできなかった。
「リッカのことは、姉以上でもそれ以下でもない。あなたのことを見守ってくれていたこと、感謝している」
心の奥が、ぽうっとあたたかくなった気がした。リッカにも届いているのだろう。
リックが一心に見つめてくる。目を逸らすことなどできない。
「三魔女に関しても、師匠としか思えないしな。メリーシアと出会うために導いてくれた恩人たちだ」
仇のためとはいえ、メリーシアの元に辿り着くために通ってきた魔女たちだ。悋気を抱く必要はなかっただろう。
「なにも言ってくれなかったのは……」
不安げに瞳を揺らすメリーシアに、リックは困ったかのような表情で明後日の方角を向いた。
「……主人は、『魔犬』を解こうとしているだろう」
痛いところを突かれた。
クロッシアの事が起きる前、むりやり契約を解除しようとしたメリーシアを、彼は責めていた。
彼のためだと思ったが、やはりきちんと話し合わなければならなかったのだ。
「それは……」
「ここにいたいと思ってるのに、理由がなくなっては困る」
言葉に詰まっていると、梟が飛んできた。アベラードからの手紙を届けに来たようだ。
冤罪の件の返事だ。タイミングがいいのか、悪いのか。
「なんと?」
メリーシアが手紙を畳むのを待って、リックは口を開いた。
「あなたの冤罪を解くには、もう少し時間がかかるそうです」
「そうか、願ったり叶ったりだな」
「あなたはまた、もう……」
改めてリックと向かい合う。
今すぐ『魔犬』の契約を解く理由はなくなった。彼の女性遍歴も清算できた。
わたしはリックとどうなりたいのだろう。
人づきあいを避けてきたメリーシアだ。何度考えても、答えが浮かばない。
「迷いがあるのならば、すぐに答えを出さなくともいい」
なにも言えずにいるメリーシアに、リックは静かに言った。
見上げると、慈しむような視線とかち合った。
この目をメリーシアは知っている。彼の姉もまた、同じような目をしていた。
「あんたはなんだか目が離せないからな。今は家事係として置いてくれるだけでも、ありがたいんだが」
最大限の気遣いなのだろう。彼の優しさに、苦笑してしまう。
「でも、それではわたしにばかり利がありすぎです」
「『魔犬』ならば、それもアリだろう?」
瞬間、すっと腑に落ちた。
リックとこの生活を続けたい。
死にたがりだった自分が生きたいと思うようになったように、この負い目も変わっていくのかもしれない。
彼が待ってくれるというのなら、その言葉に甘えてもいいのではないか。
そのとき、鳥の鳴き声がした。
二人揃って見上げると、近くの木の枝に、二羽のヒバリが止まっていた。
「梟以外の鳥……。初めて見ました」
生き物が寄り付かなくなっていた『死の森』で見かけるのは、魔女の使役する梟だけだった。
メリーシアの働きで、少しずつ変わっていっている。
心は決まった。
メリーシアはリックを振り返る。
「リック=リッカ・アンダーソン」
背筋を伸ばし、名を呼んだ。
まっすぐに見つめ返してくれるから、もう迷う必要はない。
「『魔犬』として、もう少しだけ『災厄の魔女』の力になってくれますか?」
それは二度目の契約の儀。
だけど強制するつもりはない。リックにちゃんと伝わったと思う。
「主人の望みとあらば」
膝をつく姿は、犬というよりまるで騎士だ。
少し気恥ずかしく思うけれど、これからに期待感も覚える。
おもむろに、リックがメリーシアの手を取った。
なにをするのだろうと、眺めていたら。
手の甲にキスをされた。
「~~~~なにをするんですか!!」
思いっきり手を振り払うメリーシア。その顔は真っ赤だ。
勢いそのままに手を振りかぶるメリーシアだったが、リックは素早く立ち上がり、易々とよけてしまう。
「忠誠のキスだ。親愛のキスともいう」
「この……悪い子!」
逃げるリックを追いかけるが、この足の長さの差で追いつけるはずもない。
木々の間をぐるぐる走り回る二人は、傍から見れば滑稽だ。
「あぁ、俺は躾のなってない駄犬だからな。主人の手を噛むこともあるから、覚悟しておけよ?」
意地悪そうな顔をするリックに、メリーシアはわなわな震えることしかできない。
「悪い子にはおしおきですからねー!?」
言い争う二人の頭上で、二羽のヒバリが飛んでいく。
向かう先は、青い大空だった。
〈魔女殺しの魔犬〉 終




