第23話
爆発するかと思われた。クロッシアも身構えてはいた。
しかし森に静寂が落ちる。
「リック……」
メリーシアの右手を、リックが掴んでいた。
戸惑いの目で見上げると、必死な形相のリックと目が合った。
「落ち着け、主人。あんたはそれを望んじゃいないだろう」
逆巻いていたメリーシアの気配が、落ち着いていく。
そうだ、また森を不浄の地にするわけにはいかない。
銀木を渡すことも、許すわけにはいかないけれど。
「余計なことをする犬ね。せっかくAの全力を見られると思ったのに」
これは挑発だ。わざとメリーシアの神経を逆撫でするようなことを言って、怒らせるつもりなのだろう。
「今度はあなたの塵一つ残らなかったかもしれませんよ?」
メリーシアも負けじと言い返す。
「銀木が渡ったとて、主人が負けるとは思えないな」
「でも、あの銀木は……」
メリーシアの言わんとしていることを察したのだろう。リックはぎゅっと口を引き結び、クロッシアを睨みつけた。
そんなリックを捨て置き、クロッシアは銀木を眺めていた。
「この気配……。あなた、わざわざ素材を弔っているの? 人間なんかに魔力は不要なんだから、気にせず使えばいいのに」
クロッシアは信じられないというかのように、わざとらしく驚いてみせる。
彼女にとって、人間は取るに足らないものでしかない。魔女こそ至高で、共存するなんてとんでもない。隷属されて然るものと思っていた。
「シンカイにいたのなら、周りは人間ばかりだっただろう。その考えで、排斥されなかったのか?」
「あたしは博士の研究所から出なかったから。それに、これがあった」
ポケットから例のペンダントを出すクロッシア。魔力を完全に封じてみせる代物だ。
「あれのせいで、アリアが魔女だと気づかなかったんです」
「なるほど、その博士とやらは、余計な研究しかしていないらしいな」
「あたしの大切な人よ? 悪く言わないで」
そう言う割りには、あまり堪えてなさそうだ。
この魔女の感情の機微がわからない。
人間を見下しているようではある。その博士とやらだけは、別なのだろうか。
自身を幼い姿のままで止め、研究所から出さないような人間のようだが、クロッシアの過ごした十五年はどんなものだったのだろうか。
「ママの心配をしてくれている? 本当に、優しい子に育ったのね」
「これは心配している表情じゃありませんし、仮にわたしが優しいのなら、それはあなたのおかげじゃありません」
育ててくれた人の顔が、脳裏に浮かぶ。
『死の森』に住まうと決めたメリーシアを、彼は応援してくれていた。それが親の姿というものじゃないのか。
この場所を守らなければ。
クロッシアが大きくため息をつく。
「わからず屋さんね。せっかく絶大な魔力を持っているのに。あたしと一緒に来て、世界を支配しましょうよ」
二人の脳内に疑問符が浮かぶ。
莫大な魔力を得て、そんなことに使おうと思っていたのか。
「そんな、つまらないことのために、百人も殺したんですか……?」
「つまらなくないわよ? 魔術なんてものがあるから、世界中で争いが起きている。誰か管理する人が必要なの」
大仰に演説するように、クロッシアは両手を広げる。
メリーシアたちは、眉根を寄せた。
つまらないことだ。少なくとも、人の命を懸けることよりは。
命を軽んじた上で訪れる平穏など、あってはならないとメリーシアは思う。
「なんのために、戦争が終わったと思っているんですか。魔女と人との境界をなくすため、その一歩だったんでしょう!?」
「どうだか。案外、兵器として使うためかもよ?」
そのために魔力を移譲されても、メリーシアは争いのためには使いたくない。
誰か一人に大いなる力が与えられたとしても、心通わせる人がいなければ意味がないのだ。
「それに、百人はあなたの中にいるじゃない、魔力として」
「魔力だけの存在で、《《いる》》なんて言えないでしょう!?」
大きくため息をつき、つまらなそうな顔をするクロッシア。
この魔女とは、どうしたってわかりあえない。どこまで行っても平行線なのだ。
「シンカイでは魔力を隠して生きていたと言いましたね。ならば異端の気持ちがわかるんじゃないですか?」
「このネックレスがあれば、魔力のない人として振る舞えたから」
クロッシアはチェーンを手に掛け、件のネックレスを揺らしてみせる。
禍々しい赤い石のついたネックレスだ。メリーシアは、その赤をきっと睨み付けた。
「そんなものがあるから、いけないんだわ。一度、現状を正しく理解するべきです」
そう言ってメリーシアは駆け出す。
突然の行動にも、クロッシアはただ興味深そうに眺めていた。
メリーシアが左手をかざすと、クロッシアの胸元から細い銀の光が伸びてくる。そこでようやくクロッシアは慌てた。
「なにこれ……! あなた、なんの用意もなしに魔力を抽出できるというの……!?」
「伊達に銀木の墓標としてきたわけじゃありません! あなたのその魔力はよろしくない……。少しくらい人様のために使っても、罰は当たりませんよ!」
クロッシアはネックレスの力を使い、抽出を止めようとするが、その前にメリーシアの手がネックレスに掛かった。
メリーシアは魔力を込めて赤い石を握り締める。ピシッとひびが入った。
「ありのままの姿で、生き抜いてみてください! そしたらまた議論してあげます!」
そのまま右手の力を緩めず、振りかぶった。
「待って待って待って! こんな魔力じゃ殺されちゃう! あなたはあの国の人たちを知らないから……」
「健闘を祈ります!!」
そうして拳がクロッシアにぶつかる。
最強の魔女が的確に魔力をコントロールして放った拳は、最悪の魔女を空高く吹き飛ばした。
クロッシアは叫び声を上げながら、東の海の方角へと飛んでいった。あの威力ならば、うまく隣国まで届くだろう。
「うまく着地できますように!」
メリーシアは大地を踏み締め、両手に力を込めたまま言い放った。
辺りに静寂が落ちる。『死の森』の平常が戻った静寂だ。
「あっ……ははははは!」
静寂に響き渡った笑い声に、メリーシアはびくっとして振り返る。
腹を抱えて笑っているリックに、ようやくメリーシアは状況を理解して焦りを抱いた。
「わっ……笑いすぎですよ!? 風の魔術は塞がれちゃってたし、直接叩いた方が、威力を出せると思って……」
「いやいや、悪い。物理的に強い魔女は好きだぞ」
一瞬心臓が跳ねたが、よくよく考えてみれば、褒められているのか微妙なところだ。
古の三魔女に対して、リックは好意的だったはずだ。
彼女たちはみんな武闘派だったんだっけと思いながら、メリーシアは手の内の物を検める。
「主人、それは?」
「クロッシアの魔力の銀木です。半分くらいしか取ってないから、かの地でもきっと無事でしょう」
さすがの魔力量だ。80cmほどの苗木は重みがある。
魔力に罪はないが、他の銀木と一緒にするのは気が引ける。少し離れた場所に、メリーシアはクロッシアの銀木を植えた。
もう一つは。
「これは、どうしましょうね」
ひびの入ったネックレス。まだ形を保っているから、使えるのはわかる。
リックが肩越しに覗き込んできた。
「捨てちまえ捨てちまえ、そんなモン」
「でも、下手に捨てるとまた、問題が起きそうなんですよね……」
ひとまずは、戸棚に仕舞っておこう。
メリーシアは立ち上がる。向かい合うリックは、擦り傷だらけだった。きっと自分も同じようなものだろう。
「援護、ありがとうございました」
「俺はあんたの犬だからな。命令は聞くさ」
「またそんなことを言って……」
『魔犬』ではあるが、犬のように扱うつもりはない。
呆れ顔のメリーシアに、リックはふむと片手を顎に当てた。
「ならば褒美くらいは、いただきたいものだな」
「褒美……。いいでしょう。なにがお望みですか?」
自分に用意できるものだといいが。難しそうだったら、アベラードに頼もう。
そう考えていたら、リックが一歩詰めてきていた。目の前にリックの顔が迫る。
そして。
「さっきの『好き』は、他とは違うと理解願いたい」
唇に触れたものがなんだったのか。表へと向かうリックの背中を見て、ようやく理解が及んだ。
「ケッ……ケダモノにはお仕置きすると言ったでしょう!?」
「おっと」
殴りかかろうとするメリーシアを、リックはあっさり避けてしまう。
「俺は『魔女殺しの魔犬』だからな。甘噛みくらいはするさ」
「甘噛みどころか、がっつり噛んでませんでした!?」
笑って誤魔化すリックだが、以前のように全力で殴り飛ばすことなどできない。もう「一緒に生きましょう」と言ってしまっている。
あのときは、言葉以上の意味を込めて言ったつもりはなかった。
だけど。
「顔、熱い……」
リックが先に行っていてよかった。こんな顔、見せられない。
理解願いたいと言っていた。すぐにはそれを求めてはいないようだ。
「そのうち……そのうち考えます…………」
今日はいろんなことがありすぎた。
メリーシアは東の空を見上げる。
そこには青い空が広がっていて、まるでなにもなかったかのようだ。
けれどもメリーシアにとって、大きな意味のある一日だった。
まだ、どう生きたらいいかわからないけれど。
「主人! ドアはどうしようか」
家の入口で、リックがどうにかドアを建てつけようとしている。
「今行きます!」
メリーシアは、彼の方に向かって駆け出した。
ひとまずは、この家で。リックと暮らしていくのだ。




