第22話
魔術が破られたというのに、クロッシアは楽しそうに口角を上げていた。
十五年振りに相対する母親に、メリーシアは足が震えてきそうになる。
クロッシアは、生まれたばかりのメリーシアに百人分の魔力を無理矢理入れ込んだのだ。
あのときの痛みは今でも思い出せる。双方ともに、拒絶反応があったのだ。魔力の塊となった百人の子どもたち全員が、すぐにメリーシアの力になろうとしたわけではなかった。
その魔力が零れないようにするための、メリーシアの右手の入れ墨が消えていた。
クロッシアが、くすりと笑う。
「それがAの魔術? なんだ、ちゃんと魔力を持っていたんじゃない。なんで赤ちゃんの頃は出さなかったのかしら? 反抗期?」
本能的に、彼女の前で魔力を使っては危険だとわかっていたのだ。
より強い魔力を求めるこの魔女に好きにされたら、どうなるとも知れなかった。
「反抗期は赤ちゃんのときになるものじゃないし、名付けすらしなかったあなたが、母親面なんてしないでください」
「名付け? 名前なら付けてあげたじゃない。一番最初の研究品だから『A』。そうそう、あたしのアリアって名前も、あなたの気持ちがわかるように、Aから始まるものを付けたのよ?」
根本的にずれている。あまりの伝わらなさに、メリーシアは歯噛みした。
リックが遮るように前に立った。
「話を聞かなくていい、主人。あれは言葉の通じない生き物だ」
「まぁひどい。犬風情が人さまの言葉を話す方が、不敬でしょう」
クロッシアは冷ややかに言い放つ。
楽しそうに非情なことを言ったかと思えば、悪辣に人間を排斥しようとする。
豹変ぶりが、メリーシアには恐ろしい。
「とはいえ、あなたはちょっと変わった犬よね。博士のところに連れて帰ろうかしら」
「生憎、主人は一人と決めてるもんでね」
きっぱりと言い切ってくれて、こんな状況なのにメリーシアは嬉しくなってしまった。
大丈夫、この頼りになる人がいれば、心を強く保っていられる。
「リック、なにか武器は要りますか?」
「弓矢が一番得意だな。『屍肉の魔女』のところで鍛えられた」
そのやり取りに、クロッシアの眉が上がる。
「あらあなた、あの野生児のところにもいたの」
「あぁ。おかげで逃げ回る獲物を狙うのは、得意だぜ?」
メリーシアは、左手の入れ墨を解いた。
弓矢の材料ならば、周囲に余るほどある。手近な木に手を伸ばし、魔力を込める。
光に包まれた枝の一つがしなり、弓の形を取る。蔦の弦は魔術で強化されており、簡単には切れそうもない。
それがリックの元までふわりと舞い、彼が手に取ると光は収まった。
「どうでしょう。これでいけますか?」
「上等だ。観念しろ、諸悪の根源」
矢筒に入った矢を受け取ったリックは、クロッシアに向けて構える。
メリーシアも両手をクロッシアに向け、いつでも魔術で攻撃できるよう備えた。
「おぉ怖い。母親に乱暴する気?」
「母親面しないでくださいと言ったでしょう? それに、親の気持ちなんて、持ち合わせていないくせに」
メリーシアの言葉に、クロッシアは笑みを深めただけだった。
期待など、端からしていない。この人は母などではないのだ。
「リック、遠慮なく射てください。恐らく彼女は、簡単には死なない」
クロッシアは、二対一だというのにまったく動じていない。魔女としての力量は計り知れないが、油断してはいけないのだろう。
大口を叩いたものの、メリーシアは、自分に人を殺す覚悟があるのかわからずにいた。
魔女殺しをしていないリックにも、手を上げさせていいものか、決めきれない。
「主人、あんたはリッカたちを冥界に送る気はあるか?」
リックの唐突な問いかけに、メリーシアは戸惑った。
物心ついたときから、やらなければと思ってきたことだ。今さら覆すつもりはない。
「心証は真逆だが、あいつも同じようなもんだ。一度死んで舞い戻ってきたヤツに、遠慮容赦なんてしなくていい」
「そう、ですよね……」
結局自分は、覚悟ができていなかったのだ。
さっさと「殺せ」と命令しておけば、生き永らえることもなかったし、こうしてリックを窮地に追いやることもなかった。
だけど生きたいと思ってしまった。
姉たちに頼まれもした。
逃げるわけにはいかないのだ。
「そちらから来ないのなら、あたしから行くわよ?」
クロッシアが右手をすいと動かす。
するとクロッシアの前に無数の水滴が現れる。水滴は氷の塊となり、彼女がメリーシアに向かって腕を振った。
襲い掛かる氷塊に、メリーシアは両手を構える。風を起こし、すべてを払い落とした。
「まぁこのくらいは、できないとね。じゃあこれはどうかしら?」
そう言ってクロッシアは、右手を動かす。先ほどよりも大量の氷の粒が現れ、メリーシアたちへと降り注いだ。
メリーシアも負けじと風を起こすが、如何せん数が多い。
推し負けようとしたとき――。
「くっ……」
クロッシアの腕から、赤い血が滴り落ちる。
振り返ると、リックが鋭い目で弓をクロッシアへと向けていた。
「掠ったか。次は当てる」
「リック……」
再び矢を番えるリック。
命じたのは自分だ。ならばわたしも戦わなくちゃ。
そう心を決め、メリーシアは反撃に転じる。
「リック、援護をお願いします。接近戦を挑みます」
自分を起点に風を起こす。メリーシアは駆け出した。
赤子の頃にやったような爆発は起こせない。また森を破壊する事態にはしたくない。
風でどうにかクロッシアを拘束しようとするが、彼女は一枚上手だ。氷で器用にメリーシアの風を逸らしていく。
合間にリックの矢も避けるものだから、相当腕の立つ魔女だ。
やり合っているうちに、気づくと家の裏手に追い込まれていた。
「あっ……」
クロッシアの背後に、銀木が並んでいた。
このまま風を放ってしまうと、銀木が倒れてしまうかもしれない。
メリーシアが一瞬怯んだのを、クロッシアは見逃さなかった。
「銀木がこんなに。あなたが育てているの?」
足元に一瞥やり、あくまで優しそうな声で問う。
「植物を大事にする子に育ったのね。お母さん、嬉しいわ。でもね」
銀木に手をかざすクロッシア。
メリーシアの顔が、さっと青褪める。
「銀木は使わなきゃ。それが人間の生活を豊かにしてきたんでしょう? 忌々しいことだわ」
クロッシアは自分の魔力の糧にするつもりだ。
あれはただの銀木ではない。
クロッシアの研究の犠牲になり、無念のうちにメリーシアの中にいるしかなかった子どもたちの、冥福を祈るもの。
それを無造作に、無遠慮に摘み取るなど、許さない。
「やめて!!」
メリーシアの魔力が爆発する。
十五年前と同じように。




