第18話
『前知の魔女』の生活は、穏やかなものだった。
朝の祈りを済ませると、祈りに来る人々の話相手になったり、教会の掃除をしたり、まるで信仰深い人間のように過ごしている。
違うことといえば。
「行き道はヒバリ。光と風が背中を押す」
あの部屋で、迷える子羊の未来を見ることだろう。
いつも見えるわけではないと言っていたとおり、見えないときは話を聞くだけになるらしい。
『前知の魔女』は前知を見るとき、リックに隣室にいるよう言いつけていた。
かの魔女に連なる夢が、いつ見えるとも限らない。
そして魔女のことを知ってほしいとのことだった。
正直、『前知の魔女』のことは、群を抜けて変な魔女だと思う。
朝の起こし方は、相変わらずだ。
三日目は、新しいシーツでバサバサと仰がれた。
やたら早い時間に起こされたものだから、四日目からは、部屋に入られる前に自力で起きるようになった。
食事は魔女省を通じ教会に届けられているという。質素に暮らしていたものだから、リック一人増えても生活には困らないらしい。
おかげで政府にも魔女省にも、ここに一人増えたことはばれていない。
ここに祈りに来る人々は、訳ありだ。リックの姿を認めても、口外しない・できないそうだが、リックには時間に問題のようにも思えた。人の口に戸は立てられない。
夜、暗くなったらあの部屋で二人で食事をし、早い時間に眠りにつく。
外に出られないのは窮屈なものだが、掃除洗濯の手伝いはさせられたし、教会内ならば自由に動き回れる。
なるべく人に会わないように注意はしていたが。
そんな生活がしばらく続いた。
リックは十七歳になっていた。
長くは続かないと思ったのに、もう一年以上この教会にいる。
思えばここに来るときも、誰にも会わなかった。
魔女の不思議な力のようなものが、働いているのだろうか。
これだけ一緒にいても、あの魔女のことはわからないところばかりだ。あの魔女が不思議な力を持っているのか、どの魔女も同じようなものなのか。
「なにか難しいことを考えているようね?」
こんな風に、突然心を読むようなことを言ってくるものだから、いつまで経っても慣れない。
「あんたが得体が知れないって話だよ」
リックが呆れながらそう言うと、『前知の魔女』はおかしそうに笑った。
祭壇の掃除をしているところだった。
年季の入った祭壇のようだから、修繕した方がいいぞと言うと、彼女はそうねと軽く返す。
魔女は祭壇前に並んだ木椅子に座ると、口を開いた。
「私、今日死ぬのよね」
明日は雨が降るのよねとでも言うかのような調子で言われ、リックは咄嗟には反応できなかった。
「……それは、前知で見えたってことか?」
「これは私が一番最初に見た夢。私は自分の死ぬ時期がわかっていたの」
あくまで穏やかな目で、魔女はリックのことを見ている。
なぜ、という言葉しか脳裏に浮かばない。
なぜそんなことを話すのか。
なぜ今に至るまで、行動を起こさなかったのか。
なぜ抗おうとしないのか。
「私はこれが、『良い方向』に進むと確信した。だけど」
そこで表情が曇る。
黙り込んでしまった魔女を、リックはじっと待っていた。
「あなたには、つらい思いをさせてしまうと思う」
「俺がつらいと思うかどうかは、自分で決める」
だから抗えよと言いたいが、この魔女は、一度こうと決めたことは頑として変えない。
自分がなにを言っても無駄なのだろう。
きっぱり言い切ったリックに、魔女は一瞬だけ目を見開き、それからいつもの笑みを見せた。
「そうね。未来はあなたの力で選んでいける」
魔女はそう言って立ち上がった。
祭壇に歩み寄り、天使の像を撫ぜる。
「『夜の枷』を耐えてほしい。『災厄の魔女』に繋がる道は、そこにある」
はじめの頃に、前知の力で聞かされた言葉だ。
今になって、なにかわかったのだろうか。
「どういう意味……」
尋ねようとした瞬間だった。
「貴様ら! 動くな!」
怒声と共に、男たちが祭壇の間になだれ込んできた。
数多の銃口を向けられ、リックは両手を上げ、彼らの動向を伺う。
「素性の知れない男が、この教会に入り浸っているとの告発があった。貴様、黙っていたな?」
「彼は素性の知れない男じゃないし、ここは一対一で話すところだから。貴方も、知られたくないことを、話していったでしょう?」
部隊長だと思われる男は、ぐうと黙り込んだ。
この声には聞き覚えがある。ここに来た当初、乗り込んできた男だろう。憲兵の部隊長だったのだ。
リックからすれば、よく一年も気づかれなかったなという具合だ。魔女との秘密はよく守られてきたものらしい。
部隊長が鋭い視線をリックに向ける。
「貴様を魔女殺しの容疑で逮捕する!」
「俺には身に覚えがないが、証拠はあるのか?」
「話はツェンタールで聞いてやる! おとなしく監獄に入れ!」
魔女が動いた。リックを庇おうとしたのだろう。
だがそれに部隊長は怯んだらしい。引き金を引いてしまった。
銃口はリックたちには向いていなかった。威嚇に撃ったとわかる。
しかし弾丸は祭壇に当たり、ぐらりと天使像が傾いだ。
リックは魔女の手を引こうとした。このままでは頭上に降ってくる。
だがどうだ。魔女はリックを突き飛ばし、その弾みで転倒してしまう。
「『前知の魔女』!」
リックの叫びは、像が魔女と地面に当たって砕ける音にかき消された。
石屑が転がり、鮮やかな赤が床に染み広がる。
リックは身動きが取れなかった。憲兵たちのざわめきは、どこか遠いところから聞こえてくる音のようだ。
魔女の最期の言葉は、リックにしか届かなかった。
――どうか、良き道を
憲兵たちが詰め寄ってくる。
「リック=リッカ・アンダーソン。魔女殺しの罪で、貴様を連行する」
腕を乱暴に掴まれた。
頭から血を流す『前知の魔女』の様子を伺う憲兵たちは、これはもう駄目だと首を振っている。
どうしていつも、魔女は勝手に想いを託す。
人間の命を奪ったことがなんなのだ。自らの命を、そんな簡単に捨ててもいいと思えるようなことなのか。
そんな考えが浮かぶけれど、これは『良き道』ではないことはわかる。
『前知の魔女』は、夜の枷を耐えろと言っていた。
ツェンタール監獄がそれだと思うが、確証は持てない。
「やってやろうじゃねえか」
一度入れば、魔女の犬になるしかない場所だと聞いている。その末路は、みな悲惨なものだったとも。
これが『災厄の魔女』に繋がるのならば、耐えるしかないのだ。
『前知の魔女』の予言は、まだ一つ残っている。それまでは死ぬことはない、と思いたい。
それから三年、リックは狭く暗い牢獄で過ごすことになる。




