第17話
リックは目を覚ましたとき、すぐには状況を理解できなかった。
枕元にレモンが積まれている。
絶妙なバランスで積まれていたため、次の一個が置かれた瞬間、すべてが崩れて床に落ちていった。
「……なにしてるんだ?」
リックが問いかけると、『前知の魔女』はこてんと首を傾げた。
「あなたを起こそうと思って」
「人を起こすのは初めてか?」
斬新な起こし方である。
残ったレモンをどかしながら、リックは身を起こした。
状況を思い出す。
昨夜、食事も取らずに眠ってしまった。『前知の魔女』は起こさずにいてくれたようだが、朝になっても起きてこないので、心配になって見にきたらしい。
「なんか、夢を見たような……」
久々にぐっすり眠ったおかげで、頭はすっきりしているはずだが、思い出せない。
「夢……」
魔女がそう零して、リックのことを見てくる。
首を傾げたリックだったが、『前知の魔女』は答えずに出ていってしまう。
仕方なく、その後ろをリックはついていった。
魔女が向かったのは、テーブルと二脚の椅子しかない部屋だった。
テーブルの上には、パンとスープというシンプルな朝食が並んでいる。
「ここは遠見部屋なのだけれど、ごはんを食べるくらいはいいわよね?」
魔女はそう言って片方の椅子に座り、リックにも促す。
素直に座り、パンを食べ始めたリックだったが、なんの説明もされないことに、ついにしびれを切らした。
「『前知の魔女』、一宿一飯の恩はあるが、どういうつもりだ」
彼女が『屍肉の魔女』と知人とはいえ、リックに手を差し伸べる義理はない。
不信感を顕わにするリックに、「あぁ!」と魔女は声を上げた。
「一応、あなたの名前を聞いておくべきだったわね」
「そうじゃなくて!」
リックは思わず立ち上がり、叫んでいた。
どうもペースが狂ってしまう。我に返り、おとなしく座り直した。
「……リック=リッカ・アンダーソン。『災厄の魔女』を追って、ここに来た」
「えぇ、知っています」
なら言わせるな。
そう思ったが、いちいち指摘していては話が進まない。黙っておいた。
前知・遠見部屋・知っている。
単語単語が、この魔女の能力を物語っている。
「あんたは、未来が見えるのか?」
「すべてではないけれど。リッキーちゃんが来ることを知ったのは、しーちゃんの未来を見たから」
しーちゃん、いおちゃんと呼ぶ魔女だ。リッキーちゃんと呼ばれたことは、流しておこう。
「それから? なにが知りたい?」
魔女は組んだ両手に顎を乗せ、試すように視線を向けてくる。
なにがと急に言われても、すぐには思いつかない。ここは答えを間違えてはいけない場面だろうか。
押し黙ったリックに、魔女はふふっと笑った。
「とは言っても、なんでも見えるわけじゃないからね。いつでも見えるわけでもない」
「じゃあ聞くなよ」
とうとう言ってしまった。それさえも魔女はおかしそうに笑う。
調子が狂う。『屍肉の魔女』は、なぜこの魔女の元へ行けと言ったのだろうか。
「先に言っておくけど、しーちゃんには私が見た未来のことは、言ってないわ。そういうのを嫌う人だったから」
「まぁ、そんな感じだな」
いま目の前にあるものを、確かに見る目をしていた。
魔女は微笑んだまま続ける。
「私はここで、人間の相談を受けながら、暮らさせてもらっているの。あの二人と同じ。戦争で与えた傷の、せめてもの償いに」
リックが物心ついたときには、激しい戦争はもう終わっていた。あの時代を戦い抜いた者たちの気持ちは、わからない。
だけど触れた魔女たちの感情には、いつも後悔や諦念があった。
「次は私からね。『災厄の魔女』を見つけたら、どうするの?」
問われてリックは、孤児院での日々が脳裏に過った。
リッカは、院の子どもたちにいつも穏やかな微笑みを向けている人だった。
姉を奪った魔女は憎い。復讐などと言えば、リッカに怒られるかもしれない。
そしてリックは三人の魔女に出会った。
彼女らは、戦争で人間の命を奪ったことを、悔いていた。
「まずは……どんなヤツか知りたい。そのあとのことは、それから考える」
子どもを攫う極悪の魔女ではある。
それでも、まずは知りたいと思うようになっていた。
リックの返答に、『前知の魔女』は満足そうに頷いた。
「その未来はまだ見えない。だからその前に」
魔女はおもむろに立ち上がると、リックのスープカップを手に取る。
首を傾げようとしたとき、外のドアを強く叩く音がした。
そして「『前知の魔女』! 話がある!」と男の声も。
「なんだ?」
「こちらの部屋に。私が呼ぶまで、出てこないでくださいね」
そう言いながら、押し込まれてしまう。
なにが起きているのかわからない。ひとまずは指示に従うことにした。
カップを手渡し、ドアを閉めて魔女は行ってしまった。
ややして隣室に誰かが入ってきた。一人は『前知の魔女』のようだが、もう一人の男の声は知らないものだ。
殺しただとか、追跡対象だとか、穏やかじゃない言葉が途切れ途切れに聞こえてくる。壁が厚いのか、はっきりとはわからない。
「未来が見えたら、報告するように!」
廊下側のドアが開いて、その声だけははっきりと聞こえた。
そして遠ざかっていく足音に、リックは静かに残りのスープを飲んだ。
戻ってきた足音は、魔女のものだろう。
「いい子で待てましたね」
ドアを開け、開口一番、そんなことを言う『前知の魔女』に、リックは不満そうな目を向ける。
「子ども扱いすんじゃねぇ」
「私からすれば、人間はみな子どもよ」
人間の倍生きるんだっけと思いながら、手を差し出してきた魔女にカップを手渡す。
「あなた、しばらくここで暮らしなさいな」
「そうさせてもらえると、助かるが」
魔女の提案に、なんてことない調子で言うと、彼女は複雑そうな顔をした。
「あなた、追跡対象にされてるのよね」
「は?」
「しーちゃんが殺されたでしょう? 犯人は隣国の魔女崇拝教の信者だった。国際問題になりそうなことなんだけど、国はあまり大事にしたくないようなの」
「それで、犯人をでっち上げようと?」
たしかに、奴らはこの国の人間ではないように見えた。
そもそも『庵の魔女』の件だって、うやむやになっているのだ。
魔女崇拝教とはなんだとか、なぜ自分がとか、疑問は尽きないが、さすがにもう逃げ続けるわけにはいかない。
「さっきのは憲兵か? 直訴してくる」
立ち上がったリックだったが、ドアの前に魔女が立ちはだかる。
「『災厄の魔女』に辿り着きたいなら、ここにいた方がいい」
「どうして!」
リックが詰め寄ろうとしたとき、『前知の魔女』の持つ空気が変わっていることに気づいた。
目を閉じた魔女からは、なにか神秘的なものさえ感じる。
「夜の枷。其は銀と海を分つ者なり。聖堂より彼の地に至る」
そう告げると、静かに目を開く。
リックがなにも言えずにいると。
「どういう意味かしら?」
なんて言うものだから、ずっこけてしまう。
「それが『前知』じゃねえのかよ」
「私としては、夢に見る感じなのよねぇ。どうもぼんやりとしてるというか」
それで、今朝リックが夢について言及していたときに、気にしていたのか。
あれが『前知の魔女』に感化されたのかはわからないが、『屍肉の魔女』たちの未来であればいいと思う。
「聖堂……つまりこの教会にいる姿が見えたわ。私はこれが、良いものに思える」
魔女は確信しているようだった。
ならば従うしかない。『災厄の魔女』に繋がるものも、ここにしかないのだ。
『前知の魔女』は、急にふふふと怪しく笑った。
「少年を軟禁する悪い魔女、ってことね?」
気が抜けてしまう。
この魔女、どうも他二人とは違う方向に常識がないようだ。
これから始まる生活に、不安しかない。
リックは早めに終わるように祈った。




