第16話
夜更けの寝室で、メリーシアはベッドに腰かけ、一冊の本を手にしていた。
町に行ったときに、アベラードから借りてきた本だ。
『古の三魔女』に関する記述。魔女省によるものではあるが、大方は把握できた。
リックから聞いた話も照らし合わせて、確証は強くなった。
「『前知の魔女』は、リックになにを話したんだろう……」
戦後の彼女を知る魔女は少ない。なにせ『前知の魔女』は、人間の建てた教会から出ることなく余生を終えた。
リックはその傍らにいたはずなのだ。
一つの確信を持って、メリーシアは本を閉じる。
すべては明日だ。明かりを消し、メリーシアはベッドに入った。
*
翌朝も、アリアは元気だった。
この年頃の少女に、ひたすらの植林は退屈なんじゃないだろうかとも思ったメリーシアだったが、杞憂だったようだ。
「アリア、今日は一人で昨日の続きをお願いしてもいいですか?」
「うん、いいよー。でも、師匠はなにか用事があるの?」
リックはキッチンで朝食の片づけをしている。聞かれても構わないが、メリーシアはアリアの耳に口を寄せた。
「リックに大事な話があります」
言った途端、アリアの表情がぱぁっと明るくなる。予想どおりの反応だ。
リックのことをちらりと見たアリアは、彼がこちらのことには気づいてないことに「よし」というように頷き、それからメリーシアにも頷いた。
身支度を終えると、アリアは師匠にウインクを一つ投げて出ていった。
「勘違いさせて、心苦しいのですが……」
「なんの話だ?」
気づくとリックが傍に来ていて、メリーシアの顔を覗き込んできていた。
メリーシアは、慌てて身を引く。
「なっ、なんでもありません! ……それより、話があるんですが」
すぐに冷静さを取り戻したメリーシアに、リックはなにかを感じたらしい。
ではお茶を用意してくると言って、またキッチンに舞い戻っていく。
その間に、メリーシアは心の準備をする。
「リックに……わたしの願いを叶えさせるわけにはいかない」
彼に聞こえないように呟く。決意が揺らがないように。
テーブルに二つのティーカップを置いて、リックが向かいに座った。
「で? 話とは?」
リックの方から切り出してくれて、ほっとしてしまった自分に少し悔しく思ってしまう。
呼吸を一つして、メリーシアは口を開いた。
「三人目の魔女のことを、聞かせてもらいたいんです」
リックの眉がぴくりと動く。
気づかなかったふりをして、メリーシアは続けた。
「『前知の魔女』は、特別な魔女です。彼女はその名のとおり、未来視ができた」
戦時下、他の魔女との交流はなかったと記録されている。
彼女の魔術は、断片的ではあれど、起こりうる未来を正確に見たという。
「『屍肉の魔女』の死後、あなたは『前知の魔女』の元に向かったんですよね。そのときのことを、あなたの口から聞きたいんです」
リックはしばらくの間、黙りこくっていた。凪いだ紅茶の表面を眺めるその表情からは、感情を読み取れない。
ややして、深いため息をつく。他の二人の魔女同様、やはり話したくないことだっただろうか。
話したくなければ話さなくていいと言ったけれど、できれば聞きたい。この先に進むためにも。
「長くなるぞ?」
そう前置きをして、リックは話し始めた。
*
『屍肉の魔女』の猟犬カサブランカは、迷いのない足取りで山を下り、山の東の中央区の方へと向かった。
怪我の治療をしようと思ったが、リックが触ろうとすると嫌がる。
姉弟子のプライド、というより、『屍肉の魔女』の後を追って死に急いでいるようにも見えて、リックはどうすることもできずにいた。
市街地についたのは、町を夕闇が包み始めていたときだった。
路地裏を進む一人と一匹は、誰ともすれ違わない。
一本先の通りでは、人の気配がする気もするが、なにか不思議な力が働いているように感じた。
やがて教会の前へと辿りつく。鼻先でドアを押して中に入っていくカサブランカに、リックも続く。
教会の中には、ひと気がなかった。夜が迫っているのだ。人間はみな、家へと帰っていく時分だろう。
リックは祭壇へと目を向ける。
《《それ》》は始めは聖女の像だと思った。祭壇に祈りを捧げる白い像。
像が静かに立ち上がったので、リックの肩はびくりと跳ねた。
「お待ちしておりました」
像ではない、振り返った彼女は、美しい女性だった。
頭から白いベールを被り、見え隠れするプラチナブロンドの髪はさらりと流れている。
修道女のような形状の白い衣服に、清らかさを感じた。
だからこそ、最初は聖女かと思ったのだ。
「あんたが『前知の魔女』か?」
普通の人間ならば、初対面のリックに待っていたなどと言わない。
だが普通の魔女ならば、黒い衣服を身にまとっている。
あの『屍肉の魔女』の知り合いだ。普通ではないのだろう。
「えぇ。しーちゃんの遠見で、あなたが来ることは知っていました」
「しーちゃん」
緊迫した面持ちだったのに、その固有名詞で一気にリックの力が抜けた。
状況から察するに、『屍肉の魔女』のことだ。あの厳格な魔女のことを、そんな風に気の抜けた呼び方をする者がいるなんて。
「いおちゃんと、しーちゃんの元を経て、ここに至ったのでしょう?」
「まぁ、そうなる……?」
なんだか、さっきまでの緊迫した気持ちが、しぼんでいくようだった。
「改めて自己紹介、といきたいところですが」
そこで言葉を切ると、『前知の魔女』はリックの横を通り過ぎ、入り口の方へと向かう。
魔女の姿を追い、振り返ったところでリックははっとした。
「盟友カサブランカ嬢、よくぞここまで参られました」
ドアのすぐ傍で、カサブランカが横たわっていた。
苦しそうな荒い呼吸を繰り返し、目だけは『前知の魔女』をしっかりと見つめている。
「彼をここまで連れてきてくれて、ありがとう。あなたは『屍肉の魔女』のよき友でした」
魔女はそう言うと、カサブランカの頭を優しく撫でる。
カサブランカはゆっくりと目を閉じ、そして上下していた胸も、やがて動かなくなった。
『前知の魔女』が両手を組み、祈りを捧げる。
リックは彼女らの傍に歩み寄った。
「……怪我の治療を拒んでいた。無理にでも、するべきだっただろうか」
「いいえ、彼女の選んだ道です。しーちゃんは叱るでしょうが、冥界への道で心強いとも思うはずです」
そうだといい。
乱暴に奪われた命も、友がいるならきっと虚しくないものになる。
*
それから。
魔女の指示で、教会の裏の墓地にカサブランカを埋葬した。
手を合わせるのは初めてだった。
姉リッカも、『庵の魔女』も、『屍肉の魔女』も、きちんと埋葬することができなかったから。
「あなたも疲れたでしょう。どうぞこちらへ」
顔を上げたリックに『前知の魔女』はそう告げて、教会内の小部屋へと連れていく。
簡素なベッドと、小さなテーブルしかない部屋だ。
「狭いところですが、好きに使ってください。あとで食事を持ってきます」
そう言って出ていこうとするが、説明が足りない。リックは慌てた。
「好きにって、あんたはどうするんだ」
「どうって、適当に過ごします。ここは私の家ですから」
きょとんとした表情で、当然のように答える『前知の魔女』。
一人取り残されたリックは、唖然とするしかない。
教会で暮らす魔女なんて、聞いたことがない。魔女は人間とは交わらずに生きる者が多いはずだ。
「なんなんだ……『前知の魔女』……」
リックが出会った三人の魔女。
そのどれもがこれまでの常識が通用せず、リックは混乱する。
とはいえ、険しい道程だった。
ベッドに横になったリックは、そのまま眠りについてしまった。
夢を見た。
白く大きな犬が、弓を背負い長い髪を一つに結んだ女性のもとへ駆けていく。
彼女らは振り返らないけれど、それでいい。
優しい風の吹く青い草原で、満ち足りた光景だった。




