第13話
リックは肩口から倒れ込んだ。
だが痛みに構っている場合ではない。
慌てて顔を上げたリックが見たのは、地に倒れ伏し、動かなくなった『屍肉の魔女』の姿だった。
「おい……おいっ! しっかりしろ!」
魔女の左胸に、銃弾が貫通したらしい。滴り落ちる血が止まらない。
周囲を見渡すと、少し離れた木の根元で、男が倒れている。その胸には矢が刺さっており、動かなくなっていた。
「どうすればいい!? 岩屋になにか薬はあるか!?」
魔女を抱き起こすと、うっすらと目を開く。
さっきよりも顔色が悪くなっている気がする。こんなとき、どうすればいいのかわからない。
動揺するリックに、魔女は小さく笑う。
「慌てるんじゃないよ……人は、いつか死ぬんだ……」
「だけどっ! こんなの……!」
こんな、雷に打たれるような死を迎えていいはずがない。
雷の方がまだましだ。突然乗り込んできた輩に、乱暴に命を奪われる。なんの権利があって、人の命を奪うというのだ。
「私だって、たくさんの人間の命を奪った……。その結果がこれなら、妥当さ」
「あんたはもう十分償っただろう!! この山を守ってきたのは誰だ!?」
エナフリン山脈は国境を有する。
『屍肉の魔女』が守ってきたのは、なにも動物の脅威からだけではない。リーゼンブルグの西の守りを担ってきていたのだ。
「私だけじゃ、ないさ……。人間も兵を置いている」
二年のうちに、山で人影を見なかったわけではない。付かず離れず、魔女は人間の監視を受けていた。
「それがどうした。あんたの功績に比べちゃ、なにもやってないのと同じだ」
エナフリン山脈は、『屍肉の魔女』の山だったのだ。
もう余計なことを話さず、どうしたら血が止まるのかを教えてほしい。魔術でどうにかならないのか。
魔女は目を閉じ、呼吸すら苦しそうだ。傍らにカサブランカが寄ってくる。
胸の傷口を舐めるカサブランカを、『屍肉の魔女』はどうにか動かした手で撫でた。
「本当に、魔力をあげられたら、いいのに……」
カサブランカも満身創痍だ。銃弾が掠めたのか、その白い毛並みはところどころが赤く染まってしまっている。
魔女の目が、リックを向いた。
「『前知の魔女』のところへ、行きな……」
目を閉じたまま、彼女は言う。リックはなにも答えられない。
「私は死ぬ。……奴らの仲間が、もういないとは、言えない……。カサブランカが案内、してくれるから、早く行け」
途絶え途絶えに言う魔女に、リックは頭を振る。
この状態の魔女を置いていくなんて、できるものか。カサブランカがじっと見上げてくるが、リックは見ないふりをした。
「なにか……なにか助かる方法はあるんだろう!? あんたすごい魔女なんだろ!?」
リックの叫びに、魔女は呆れを込めて息を吐く。
「自分のこと……くらい、わかるものさ。私は十分……生き抜いた」
戦争で戦い抜き、そして贖罪のために余生を人間に捧げた魔女。
その生き方でよかったのか、リックに問う資格などないだろう。それは彼女自身が決めることだ。
「『災厄の魔女』は、奇特な奴だった……。前知のならば、あやつの行く末を……知っているはずだ」
知りたかったことだが、今じゃない。そんなことを言うために、力を使わないでくれ。
リックは胸が詰まり、言葉が出てこない。
「魔術は、教えられなかったが、そなたは良い弟子だった……」
『屍肉の魔女』は最後の力で微笑むと、目を閉じた。
辺りに静寂が満ちる。
カサブランカが魔女の頬を二、三度つつき、リックの傍に歩み寄ってきた。腕を乱暴に押されて、のろのろと立ち上がる。
傍に落ちていた弓矢を拾い、『屍肉の魔女』に持たせた。冥界の道への供となるだろう。
リックは魔女に背を向け、歩き出した。カサブランカは数歩先を行ってくれている。
魔女の最期に抱いた虚無感を、師匠は笑い飛ばすだろうか。
それでも、『屍肉の魔女』の生きた意味を、途絶えさせるわけにはいかない。
リックは繋ぐため、歩みを止めない。
*
『屍肉の魔女』の血を舐めたカサブランカは、魔力を得ることはなかった。
犬だから当然かもしれないし、とうにありえないと断じられた手法ではある。
だからこそ、リックはメリーシアが魔力を移されたと聞いたとき、はじめは信じられなかったのだ。
苗木を植えた土を固めながら、リックはメリーシアの母親のことを思う。
夫を得て、この地で研究に没頭していたという魔女。
百人の人間の命を、いとも簡単に奪い去ったという彼女の非人道的な振る舞いに、嫌悪感が湧く。
「己の子すら、モノとしか思ってないんじゃねえか……?」
胸糞悪すぎて、思わず吐き捨ててしまった。
ふと、自分はメリーシアのことをどう思っているのか、リックは考えた。
主人として凛々しくあろうとして、隠しきれていない微笑ましさは、まぁ愛らしい部類だ。
自分の作る料理を、おいしそうに食べてくれるところも好ましい。
だが自分たちは『魔女』と『魔犬』だ。それらに抱いた感情を、そのまま受け入れていいのか、リックは決めきれない部分がある。
それはそれとして、彼女の母親がメリーシアにした仕打ちは、到底許せるものではない。
苛立ちをぶつけるかのように、木を植えたところの土をスコップで叩いたときだった。
土を踏む音がして、振り返る。メリーシアが帰ってきたのかと思ったが。
「……誰だ?」
そこにいたのは、五、六歳ほどの少女だった。
栗色のまっすぐな髪は肩口に届くほどで、紺色のワンピースは膝丈。白いタイツと艶のあったであろう靴は、少し土汚れがついてしまっている。
なにより目を引くのは、その顔だ。精巧な人形のように整っているその顔は、今は疲れなのか憔悴しきっている。
「あなたは……魔女?」
鈴の鳴るような声に、リックは視線を外さないまま思慮を巡らせる。
こんなところまで、幼い少女が一人で来る理由は。
「俺は、魔女じゃない」
端的に答えると、少女は肩を落としたようだった。
そのまま一歩踏み出してきて、リックはさらに警戒を強める。
しかし少女の次の一歩は出ることなく、ぐらりと体が傾いた。
「あぶなっ……!」
思わず駆け寄ってしまう。すんでのところで少女を抱えることはできたが、罠である可能性に気づき、体が強張った。
だが少女はリックに身を委ねたままだ。
「おい、大丈夫か?」
尋ねないわけにはいかない。
少女の返事は――。
グウゥゥゥ……
腹の虫だった。
リックは目を瞬かせてしまう。
「おなか……へった……」
少女はそれだけ言うと、がくりと意識を失った。
森に静寂が落ちる。
「えぇぇ……?」
リックは情けない声を出すしかなかった。




