第8話 王女さまと朝食を2
初めての方は第1話からどうぞ。
婚約破棄の断罪劇を王女が一言で叩き潰します。
ジュイエが反論しないことをいいことに、枢機卿は軽い足取りで立ち上がった。用はこれまで、と言わんばかりに礼をする。
「では、また改めて……」
「そうそう、ジョヴァーネ枢機卿。もし甥御さまが私のパートナーになるとして、卿は私にいったいどんなメリットをお約束してくださるのです?」
立ち上がった枢機卿が一瞬止まった。
「枢機卿団のメンバーの中でも最重鎮のジョヴァーネ枢機卿の甥御さまと、この私の縁談。双方に大きく利がありそうです。私にとっても願ってもないことですわ」
「……いや、はは。甥は宗教家ではなく、一般の貴族ですからな」
「構いません。甥御さまではなく、枢機卿が健在でいる限り、私についてくださると。王ではなく、王太子でもなく……この私に?」
枢機卿は明らかにたじろいだ。ジュイエが立ち上がって一歩近づく。枢機卿は視線を下げ、そして目を半月型にして笑った。
「……いやいや。第三王女さまがここまで慧眼をお持ちだったとは。甥ではとてもお相手は務まりそうにありません。大変失礼を」
「そんなことはありません。ぜひ一度連れていらして。ダニエルと並ぶ美丈夫、拝見したいものです」
「……では、いずれ機会がありましたら……」
そう言ってジョヴァーネ枢機卿は、挨拶もそこそこに応接間を出ていった。ジュイエは椅子に座り直し、背もたれにもたれて息を吐いた。
「お見事でした」
「ダニエルと並ぶイケメンなんてそうそういるもんですか」
「それはそうですね」
*
湯浴みを済ませ、寝室で解いた髪にメイドがくしを通しているときだった。テラスに月光を遮る影が走った。
ジュイエはメイドを下がらせ、テラスに続く窓を開けた。同時に、部屋にダニエルが入ってくる。
「遅くなりました」
そこにいたのはカンタスだった。全身黒の装束は夜闇に溶け込んではっきりと見えない。室内の小さな蝋燭が彼の瞳を赤く照らして、それだけが彼を捉えた。
カンタスはまだ十五の少年である。
「ご苦労さま。どうだった?」
「不審な点がいくつも。保管庫が複数あり、全部調べるのに手間取りました」
カンタスの報告をまとめるとこうである。
ひとつ、徴税課に保管されている納税記録では、アビゲイルの家は前回分の納税はされていた。
ふたつ、実際に滞納があった場合も、分割納付などの対応が取り決められており、緊急で取り立てに行く必要性がない。
みっつ、六区以外も含め、五区から八区の徴税帳簿が複数あり、その記録も若干ずつ違っている。
「やっぱり二重取りしてる。余分に取ったお金の行き先がデイブリーだとしたら、そこで終わる話なんだけど、帳簿を複数作ってる理由はなんだろう……」
ジュイエは少し考え込み、カンタスに質問した。
「帳簿に、星印がついている家がなかった?」
「ありました。こちらにメモでまとめてあります」
ジュイエはメモを受け取るとカンタスを下がらせ、ベッドに座った。ダニエルがテラスの窓を閉め、ベルベットの分厚いカーテンで覆う。
「お茶をお持ちしましょうか」
「平気よ。それより、星印のついている家が何かの狙いなら、目的は何かしら」
「明日、もう一度デイブリーに話を聞きにいきますか?」
「そうね、口を割るかわからないけど。それと、財政局の局長を調べておく必要がありそう。指示系統を洗わなきゃ」
「アロンツォに連絡しておきます」
メモを手に、ジュイエは天蓋つきベッドに寝転んだ。蝋燭の灯りの下で眺めていると、ダニエルがメモを取り上げた。
「もう遅いですから、おやすみください」
ジュイエはすっかり寝巻き姿だが、ダニエルはまだ詰襟を首元までしっかり閉じ、重たい近衛の制服のままだ。光で透かせば金に見えるベージュの髪は寸分の狂いもなく撫で付けられている。
ダニエルの仕事はジュイエが眠るまで終わらない。
覗き込んだダニエルの透き通ったブルーの瞳がジュイエを見つめる。
「明日も午後には謁見が申請されています。成人され、今後ますます公務は増えることでしょう。市井の事件に真剣になるのもほどほどにしないと」
「そうだね」
「午前中に出るなら、早く起こしにきます」
「うん」
瞼が落ちてくるのを感じて、ジュイエはひとつ瞬きをした。
「おやすみ、ダニエル」
「おやすみなさい。いい夢を」
ダニエルは蝋燭を消し、足音を忍ばせてそっと部屋を出ていった。
*
メイドとダニエルに起こされ、ジュイエが身支度のほとんどを目を瞑ったまま済まされた朝食の席だった。
「アロンツォ・ヴェスパーニさまのお越しです」
「王女さまにご挨拶申し上げます」
早朝からアロンツォが一人で食事するジュイエのもとへとやってきた。アロンツォはなんでも屋の店主――というのは裏の顔で、表の顔は国務院に籍を置く官吏でありながら、第三王女付きの特務官である。
「早いのね、アロンツォ」
「早いのね、じゃないですよ。一昨日は部外者を連れて突然現れて。来る前に連絡を入れろっていつも言ってるでしょう」
「仕方なかったの。ダニエルもカンタスも動いてもらってたから。お茶はいかが」
アロンツォが席についたので、メイドがお茶を入れた。アロンツォはお茶をひと口すするなり、本題に入った。
「カンタスの報告にあった星印の件ですが。六区の三件と共通していたのは、年頃の娘がいるということだけでした」
「それだけ?」
「ええ。ただ、本来徴税員は各地区ごとに担当がいますが、その印のついた家だけは例のデイブリー・フォックスが担当していた。彼が噛んでいるのは間違いありませんね」
ジュイエは顎に指先を当てて視線を落とす。
星印のついた家の共通点は、年頃の少女が住んでいること。でも、たった数軒の家。偶然でもおかしくはない。
他に見落としている共通点がある?
実際には納税している家に、未納と嘘をついて取り立てる。――何を調べてる?
「今日はこれから、デイブリーに詳しく話を聞きに行こうと思っているの」
ジュイエがそう言いかけたとき、朝食の場に近衛の騎士が慌ただしく入ってきた。
ジュイエに一礼すると、ダニエルに耳打ちして彼はそのまま出ていった。
「……姫さま。ただいま入った情報です。デイブリー・フォックスが、何者かに殺されました」




