第29話 温室に雨が降る
「よかったですね。ヴィオレッタ嬢が元気になって」
ヴィオレッタを見送り、ティールームに戻ってきたジュイエに向かってダニエルが言った。
「そうね。叔父さまのところならまあ、安心でしょう。叔母さまがレオナルドを愛するあまり、ヴィオレッタに意地悪をしなければ」
「夫人の行動までは、計りかねますね」
「幸せになってほしいわ」
「初めての友人ですからね」
ダニエルが揶揄うように言った言葉に、ジュイエは耳を真っ赤にした。
「ゆ、友人?」
「きっと」
「そうかしら」
「ええ。大事になさいませ」
大仰に誓いを立ててしまったけれど、それでも友人と呼んでいいのかしら。ヴィオレッタはまたすぐに来ると言って帰っていった。
……またすぐに来る。ジュイエに会いに。
そう思うと、とても胸が弾む。目的もほとんどなく、時間を忘れて会話するなんて、初めての経験だった。
ジュイエがメイドを呼ぼうとしたとき、不意に遠くで雷鳴が轟いた。
窓の外では、まだ東の空は明るいが西から徐々に雲が出てきていた。
「……雨が降りそうね」
「早めにベッドにお入りになった方がいい」
ジュイエは頷いた。雨が気になると、眠れなくなる。
元々眠りが浅くて、ちょっとしたことですぐ目が醒めるたちだった。朝まで起きていると、ダニエルはいつも怒る。
ジュイエが苦手なハーブティーをダニエルが出し続けるのも、そのせいだ。
こういう日は、ほんの少しだけ、睡眠薬が入っている。
昔は、眠るまで抱っこして、手を握っていて、話をしていて、隣にいてと要求できた。
でも、13歳を過ぎるとジュイエもさすがに遠慮がちになり、特に気になることがなければ、夜中にダニエルを求めることはなくなった。
父王に会うと熱を出すのも、夜中に目覚めてダニエルを探すのも、幼子のすること。
ジュイエが未熟な証だ。
ジュイエはメイドを呼び、後片付けと、今夜の食事はスープにすることを伝えた。
ヴィオレッタと共に、サンドイッチと焼き菓子をたくさん食べたから、お腹がいっぱいだった。
*
「やはり降ってきましたね」
日課の湯浴みを済ませて寝室で過ごしていると、ダニエルがお茶を運んできた。
ジュイエは、一度、元老院に証拠品として渡した古文書を開いていた。魔法の痕跡はすでに消え去っている。ジュイエのもとに、昨日戻ってきたばかりだ。
もとはヴィオレッタの母方の実家の持ちものだが、調査のために借りている。
「どんなものなんですか、それは」
「うーん……言葉が古くて少し難しいんだけど。約百年ほど前、サルヴィ家に発現した星のあざを持った聖女の生涯が記されている……てところかしら。魔法戦争が激化していく時代ね。聖女は数十年にひとりかふたり程度しか出現しない。聖女の証は、そのあざと、高い治癒能力」
ざっと読んだ限りでは、まだそのくらいしか掴めていない。
「……子爵が聖女を探している、というのは、ほぼ確定かしら」
「本人は認めていませんが」
「でも、怖いことに辻褄が合っちゃうのよね……カエリアンへの寄付と、新しい神殿の建設、となると」
「治癒能力であっても、もとは魔力と同じ。当然、現代では禁忌です」
ジュイエは顎に指を当てた。
「子爵の莫大な寄付がなくなった今、新しい神殿の話は当然頓挫するはず」
「……もし、継続になるとしたら」
「他にも資金源があるということ。つまり、主導していたのは子爵じゃない」
そこまで話すと、ダニエルは古文書を取り上げた。
「ここまでにしましょう。頭が冴えて余計に眠れなくなりますよ」
「……そうね」
「香り付け程度に、ブランデーでも入れましょうか」
ダニエルはハーブティーをカップに入れた。ジュイエは首を振る。紅茶ならまだしも、ハーブティーにブランデーなんて入れたら余計に不味くなる。
ダニエルはカップをジュイエに渡すと、ベッドの横の椅子に座った。
「……今夜は朝までここにいましょうか」
雨音が強くなっていた。時々雷鳴が聞こえる。
キャンドルを吹き消してしまえば、きっと真っ暗な闇の中で一晩を過ごすことになるだろう。
ジュイエはダニエルを見た。
「どうせ、眠らないおつもりでしょう」
「眠れるなら、眠りたいけどね。それに、そんなことしたら噂になるわ」
「姫さまに対して不敬な話ではありますが、もうとっくに今さらです。あなたは成人され、俺との関係はすでに誰もがそうだと決めつけている」
王族で睡眠障害のない者などいない。
だから第一王女は早々に結婚してこの城を出ていき、第二王女は何人もの男を宮に住まわせ、第一王子は毎晩娼婦を部屋に招く。
むしろ、たった一人決めた男だけを相手にしているだけマシととられるかもしれない。
「……ダニエルに好きな人ができたときに、困るわね」
「できません、そんなもの」
「どうして? 結婚しないの?」
「しません」
「ベルティーニ家はどうなるの?」
「妹が婿を取れば済む話です。俺は、姫さまが俺を必要としなくなるときまで、姫さまのおそばにいるつもりです」
ジュイエは少し笑った。
「それっていつまで?」
「あなたが、この城を出るまで」
ダニエルは笑わない。ジュイエも微笑むのをやめた。
――この城を出る。それは、ヴィオレッタが言っていたこと、つまり、結婚を指すのだろう。
ヴィオレッタは結婚で自由を得たがったけれど、ジュイエが欲しいものは、たぶん自由ではない。
ジュイエが欲しいものは、ここにしかない。
ジュイエはダニエルの顔を覗き込んだ。
「……私は一生ここにいるわ」
ダニエルは、ジュイエの左手を取って、指先を額に当てた。
「それなら、俺もずっとここにいます。ですから、眠って」
ダニエルは手を離すと、今度はジュイエを横たわらせた。制服のジャケットを脱ぎ、シャツのボタンをふたつ開ける。
いつもなら制服のまま、キャンドルを消してジュイエが眠りにつくのを待つのに、今日はキャンドルを消さなかった。
代わりに手を握る。ジュイエは眠くなかったけれど、目を閉じた。手から伝わる温もりと遠くで聞こえる雨音が全身を包んで、そしていつしか、眠りについた。
「おやすみなさい、姫さま」
エピソード2了
エピソード2、最後までお付き合いくださりありがとうございました!
ジュイエたちの追う事件はまだまだすっきりと解決とまではなりませんでしたが、
ジュイエは友を得、またダニエルとの仲の深まりや、他のキャラクターたちとの交流も続いていきます。
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークやリアクションをいただけると、執筆の大きな励みになります。
これからも『第三王女は見過ごさない』をよろしくお願いいたします!




