第25話 魔法の痕跡
「ベルナール家のメイド?」
「姫さまに会わせろと言って門を突破しようとしたようです」
「……今すぐ連れてきなさい。そのメイドを、今すぐに!」
ジュイエが叫び、ダニエルが頷いたのを見て、近衛兵は駆け足で部屋を出ていった。
アロンツォが立ち上がり、ティールームから中庭へ続く掃き出し窓を開け放つ。
「……来ましたねぇ。向こうから」
ジュイエがソファに座り直す。
「何かあったんだわ。ヴィオレッタ嬢がメイドをそのまま寄越すなんて、ありえない」
少しの後、ジュイエの宮が僅かに騒めいた。衛兵に捕えられたメイドらしき女と、誘導についた近衛兵の一団が中庭へとやってきた。
メイドは両手を胸の前にしたまま、縄を掛けられていた。
ジュイエはティールームからメイドが中庭に跪かされるのを見て、立ち上がった。
「……どきなさい」
ジュイエがメイドの後ろについた二人の衛兵に向かってそう言った。衛兵は訳がわからないと言った顔をして、お互いを見た。
ダニエルがもたつく衛兵を下がらせる。メイドが一人になると、ジュイエはティールームの中から右手を横に一閃させた。
ぶわりと風が起きた。衛兵たちも、近衛騎士たちも、アロンツォも、目を見張った。
メイドから黒い靄のような煙が立ち上った。靄は宙空に広がったかと思うと、星屑の破片が降り注ぐかのように煌めきながら消えた。
「――魔法の痕跡よ。アロンツォ、第三王女により魔法の痕跡を確認。元老院に、貴族院兵の出動要請を。場所はベルナール子爵邸。今すぐ!」
「はっ、はいはい」
アロンツォが珍しく動揺している。
魔法の顕在化。この能力は魔力を持つ者であれば訓練が可能である。ジュイエにとっては朝飯前だが、魔法が禁じられている今、一般的に目にする機会はないに等しい。
ジュイエはメイドに駆け寄った。
「何を持っているの」
ダニエルが腰の剣を抜き、メイドの縄を解いた。メイドは胸に大事に抱えていたそれを、ジュイエに差し出した。
「お嬢さまが……お嬢さまが危険です。殿下、どうか、お嬢さまを……」
メイドが差し出したのは、中央に星の紋が彫られた分厚い本――古文書だった。
「これを子爵に渡してはいけないと言付かりました。助けてください、どうか」
ジュイエはメイドに頷いて、ダニエルを見上げた。
「――ダニエル。近衛兵は使えるかしら」
「問題ありません」
「そう。では三名ほどベルナール邸に派遣して。貴族院の兵が到着するまで誰も屋敷から出さないように。ダニエルは私と一緒に行くわよ」
空には一番星が輝く夕方だった。
ジュイエは古文書を受け取ると、急いで着替えを済ませるべく部屋の奥へと向かった。
*
ドレスから乗馬服に着替え、ジュイエが宮の正面出入口に出ると、ダニエルが馬を用意して待っていた。
先ほどのベルナール家のメイドもいる。
「ベルナール邸には地下牢があり、夫人はそこに閉じ込められているようです」
ダニエルがそう言った。メイドから聞き出していたようで、メイドが頭を下げたまま頷いた。
「だ、第三王女さま……」
今頃になって、自分がしたことの重大さに気付いたようにメイドは両手を堅く握って震えていた。よく見れば、メイドはまだジュイエと同じか、少し下くらいの少女だった。
「馬には乗れる?」
「あ……はい」
「ベルナール邸に案内してくれるわね」
「も、もちろんです」
「あなたへの罰は主人である子爵に負わせる。安心して」
ジュイエはそう言って、白馬に跨った。メイドが栗毛の馬に乗るのをダニエルが手伝い、ダニエルもまた別の馬に乗る。
ダニエルが宮に一番近い門へ向かって馬を走らせ、ジュイエとメイドはその後に続いた。
*
――父に牢に入れられて、どのくらい経っただろうか。
ヴィオレッタは冷たい床の上で、膝を抱えて座っていた。母はすぐ隣で眠っている。
ひどい傷。鞭で打たれ続けた背中は、ドレスの生地がささくれ状に破れ、顔は擦り傷だらけだ。
どうして母は逃げ出さないんだろう。
逃げても無駄だから? 警察が捜索すればすぐに見つかり、連れ戻されればまた地獄のような毎日が続くだけだから?
どこにも行けない。誰も助けてくれないことを知って、母はもうあきらめていたのだろう。
もうだめかもしれない。
もうこうなったら、父を今すぐどうにかするしかない。
でもどうやって? 武器も薬も何もない。力では敵わない。紐で首を絞める? 重いもので頭を殴る? 何かないか……。
廊下の明かりしかない暗い牢の中、手探りで武器にできるものを探し出したとき、牢に続く階段の上が騒がしくなったことに気付いた。
地下牢への階段は、玄関ホール正面奥の厨房から続いている。
ここまで音が聞こえてくるなんて……?
牢の格子に手をやり、ヴィオレッタは音の正体を確かめようとした。
人の声。男の声だ。何か、父と話している、というよりは、言い争っている。誰……?
じっと音を聞いていると、不意に、階段のすぐ上に人の気配がした。
数人が階段を下りてくる。バタバタと慌てているように。人が持つランプの明かりが見えた。
ヴィオレッタは目を疑った。
「ヴィオレッタ嬢……!」
現れたのは、第三王女だった。




