第24話 届いた手がかり
あれが最初に屋敷に来たとき、姿を見てさえいないのに、全身の毛が逆立つかのような悪寒が走った。
それは《いけないもの》だと、ヴィオレッタの勘が――もしくは、血が告げていた。聖なる者の血が。
ヴィオレッタは聖女ではない。母・マルタも。永いときを経て、力は失われてしまったのだろう。もっとも、ヴィオレッタが生きている現代、その力があったとしても持て余していただろうけれど。
母が自由に外に出られなくなってもう数年が経つ。この家に女の自由はない。
父が母の生家の宝であった古文書を探しているのを知ったのは昨年だった。
それまで、敬虔とは言いがたかった父が頻繁に神殿へ出入りするようになってからのことだった。
「母さんから何か、聞いていないか? 星の紋が表紙に刻印されている、古い本なんだ」
どれだけ母を折檻しても情報を得られなかったのだろう。猫なで声でヴィオレッタにそう訊ねた父に、ヴィオレッタは総毛だった。以前ならヴィオレッタにも容赦なく張り手をしていただろうに、モンテヴェルデ公爵家との縁談がまとまった途端にヴィオレッタの扱いはまるで変わった。食事も、ドレスも、外出についても。
「……昔、盗まれてしまったものなのでしょう? それならお母さまもわたくしも、知っているはずがありません」
「重要なものなんだぞ!? そんなに簡単に盗まれるわけないだろう。絶対にあいつが隠しているに違いない」
「もしそうなら、お母さまはわたくしに話してくださるはずです。……お母さまは、何もできないのですよ」
自分で言いながら胸をかきむしりたくなる。母が何もできないのはこの男のせいなのに。まだ母のものを奪おうというのか。
「もし何かわかったら知らせろ」
「わかりました」
――もしわかっても知らせるはずない。ヴィオレッタは父のいない隙に母から古文書の具体的な外装を聞き、父が古文書を探させている探偵を捕まえ、宝石を握らせて探しているフリをさせながら自身は使用人を使って探させた。絶対に父より先に見つけてやる。
そして、今日。やっと見つけることができたのだった。
「お嬢さま、見つけました!」
メイドが古文書を持って部屋に入ってきたのと同時に、屋敷の門前に馬車が停まったのが窓の外に見えた。父が帰ってきた。
「よくやったわ。そのまま王宮に行って、第三王女殿下に渡して。絶対に父に渡してはいけないと伝えて」
「わかりました」
「馬を使って。急いで!」
痺れを切らした父は、成果の出せない探偵を解雇し、新しい人物を連れてきた。
それは魔法使いだった。魔法使いはすぐに古文書の場所を発見し――それがヴィオレッタの仕業だと、見破った。
「ヴィオレッタ!!」
父が何ごとかを叫びながら、ヴィオレッタの銀髪を思いきり掴んだ。痛みよりも恐怖が体を支配する。
「おまえが古文書を持っていたんだな! よくも私を騙してくれたな……!!」
「し、知りません! わたくしは何も!」
「嘘をつくな! やっぱりあいつが隠していたんだろう! 今まで生かしておいてやった恩を忘れて、私を欺くとは。おまえの結婚式の前に、あいつの息の根を止めてやる」
「や、やめてお父さま!」
「おまえもただで済むと思うなよ。あいつを殺したら、次はおまえの番だ。公爵家に嫁いだからと言って、幸せになれると思うなよ」
騒ぎ立てる父の後ろで、全身を黒のローブですっぽり覆った小柄な、男か女かもわからない魔法使いが言う。
「古文書は王宮に入りました。ここからは残念ながら探索不可能です」
「クソッ!!」
父に突き飛ばされ、ヴィオレッタは床に叩きつけられる。心臓が音を立てるのを耳の奥で聞きながら、古文書が王宮に入ったことに安堵していた。
中身が何かはわからない。あれがどういうものなのかも。けれど、父がこれだけ激高しているのを見て、つい笑みがこぼれた。
――やった。
「……何を笑っている!」
父に頬を思いきり叩かれて、ヴィオレッタはまた倒れこんだ。口の中で血の味がした。
殺されるかもしれない。母も、自分も。その前に、父の鼻を明かすことができてよかった。
ヴィオレッタは腕を掴まれて、すでに母が閉じ込められている地下牢に引きずられていく。
――助けて。
助けなんて来ない、正義なんてどこにもないとわかっているのに、期待してしまった。
あの日――レオナルドがわけのわからないことを言い出した次の瞬間。ヴィオレッタを見つけてくれた青い瞳が脳裏に焼き付いている。
初めてヴィオレッタの話をちゃんと聞いてくれた人。
《正しさ》がこの世界にまだあるんだと教えてくれた人。
助けて。王女さま。
*
「グレゴリオにサルヴィ家の馬車事故について、貴族院に保管されている過去資料を出してもらいましたが、やはり警察の調査は最初から事件性無しの事故断定をしていて、まともに捜査していないようでした」
元老院に属する貴族院は、貴族の相続や資産管理のほか、貴族が関係する犯罪の審理や処罰を担う部門である。
貴族に関係する事件の情報は全て貴族院に納められている。
サルヴィ伯爵家は子爵夫人の生家である。十二年前の伯爵夫妻の馬車事故についても同様であった。
「ここを警察権限でなく、貴族院権限で再捜査をさせるには決定的な証拠が必要ですが……なかなか、難しいでしょうね」
アロンツォが腕を組んでラグペーパーの文字を見つめる。同じテーブルについたジュイエも顎に指先を当てて眉間に皺を寄せていた。
ジュイエが大神殿を訪れてから三日が経っていた。
相変わらず、古文書の行方も夫人の両親の事故原因もわかっていない。
「……なぜ、ヴィオレッタ嬢は馬車事故が怪しいと踏んでいるのでしょうか。父親が警察と癒着しているから? それとも、何か掴んでいるとか」
ダニエルが言ったのを受けて、ジュイエも頷いた。
「もし何か掴んでいたとしても、警察と子爵の関係上、警察はあてにできないわ。……握りつぶされないように隠してる可能性はあるわね。でも、もう彼女に接触する機会が……」
ジュイエの言葉を遮るように、ティールームのドアが開かれた。慌てた様子の近衛兵が一礼をし、ダニエルに駆け寄る。
報告を受けたダニエルがジュイエに短く、報告内容を伝えた。
「……姫さま。正門で、ベルナール子爵家のメイドと名乗る女が捕えられました」




