第22話 善良な父親
鴉に呼びかけられ、ジュイエは慌てて――けれどまるで散歩から戻ってきたばかりのようにダニエルと連れ立って回廊を歩きだした。
その背後で、扉の開く音が聞こえた。
「……あら」
「おや……」
振り向いたジュイエと、扉を開けたカエリアンの呟きが重なった。
奥の一室から出てきたカエリアンの後ろからは、ベルナール子爵も顔を覗かせる。
「これは、第三王女殿下!」
ベルナール子爵はジュイエを見つけた途端、好意を滲ませてジュイエに呼び掛けた。
ジュイエはわざと、ほんの少し眉を動かした。その仕草を見ただけで、子爵は口を噤む。
カエリアンと子爵はジュイエの近くまで来て、礼をとった。
「ごきげんよう、大司祭さま」
「第三王女殿下。神殿へようこそいらっしゃいました。ご挨拶もせずに申し訳ございません」
「構いません。本日は寄付をしに参っただけですから」
「ジョヴァーネさまは」
「中庭をゆっくり散策させていただきたくて、案内を辞退しました。もう帰るところです」
背の高いカエリアンに合わせて顔を上げる。相変わらず、神々しいまでの美しさだ。
ジュイエは視線をそのままカエリアンの後ろ――子爵へと向けた。
ダニエルがすかさず、ジュイエに耳打ちをする振りをする。まるで子爵のことなどすっかり忘れているかのように。
ジュイエは頷いて、子爵に話しかけた。
「――ベルナール子爵でしたね」
「先ほどは失礼を。エドモンド・ベルナールと申します。殿下の誕生パーティーでは娘がお騒がせをいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「ヴィオレッタ嬢ですね」
「はい。先日は妻と娘が第二王女殿下のお茶会にお招きいただきました。第三王女殿下にはお心遣いをいただいてばかりで恐縮です」
「親族になるんですもの。当然のことです。子爵は今日はなぜ神殿へ?」
「私も寄付に参りました。娘の結婚が間も無くですから」
子爵はカエリアンの横に並ぶと、ジュイエとカエリアンを交互に見て言った。
「大司祭さま。もし良ければ、私が殿下を門までエスコートしても? 恐れ多くも娘に親切にしていただいていますので、親としてお礼をお伝えしたく」
子爵の申し出にカエリアンは若干の戸惑いを見せた。当然である、ここは神殿。主導権は司祭にあるべきである。
けれど、この申し出はジュイエにとって願ってもないことだ。
「私は構いませんが……よろしいでしょうか、殿下」
「もちろん。お受けしますわ」
ジュイエが不快を示さなかったのを見て安心したのか、カエリアンはその場でジュイエと子爵に一礼する。
「承知いたしました。それでは、王女殿下、ベルナール子爵。お二方に神の光が降り続きますよう。失礼いたします」
ジュイエと子爵はカエリアンと別れ、並んで歩き始めた。こういうとき、最初の話題は身分が上の者から始めなければならない。ジュイエは慎重に話題を選んだ。
「……子爵は信仰に篤い方だったのですね」
「とんでもないことでございます。殿下に比べれば私など、微力に過ぎません」
「そんなことないでしょう。ジョヴァーネ枢機卿から伺いましたわ。昨年はずいぶん大きな寄付をなさったとか」
「お耳に入っておりましたか」
「ええ。子爵はどのような事業を支援なさっているのですか」
ジュイエの質問に、子爵は好意的に答える。
「実は、カエリアン大司祭さまと新たな神殿の建設を計画しております」
「新しい神殿? 大神殿があるのに、ですか?」
「ええ。信徒のための施設がまだまだ不足していると、カエリアンさまが憂えておいでのようでして」
「そうでしたか、大司祭さまが……。では、孤児院や施療院も併設なさるのかしら。私もお手伝いさせていただきますわ」
「それは、ぜひ! 殿下のお力添えがあれば、さらに素晴らしい神殿となるでしょう」
ジョヴァーネ枢機卿が言っていた新たな神殿の件が子爵の口から出たということは、話はかなり進んでいるのか。
新たな神殿の建設が信徒のため、というのはどこまで本心なのだろう。それは建前で、別の思惑があるのかはこれ以上聞き出せそうにない。
ジュイエは話を変えた。
「そうそう。冬が来る前には王都で慈善市を開こうと思っているのです。人が大勢集まるでしょうから、警備が心配で。近頃、王都下は物騒でしょう」
「物騒、とは」
「ご存じないかしら。先日、子どもが数名、何者かに拉致された事件があったとか。王都庁の地下牢に監禁されているのを、市民が通報して発覚したそうです」
ジュイエは声を潜めて言った。
「下手人は捕まったようですが、市には子どもたちも多く来るでしょうから」
「それでしたら、王都警察にご相談なさるのがよろしいでしょう」
「警察の方々とはあまり面識がなくて」
「でしたら、私から警察庁長官に話を通しておきましょう」
「長官とお知り合いで?」
「ええ。私の父が昔、長官の学費を支援していまして、その縁で。きっと殿下の力になってくれるでしょう」
「それは頼もしいですわ。ぜひお願いします」
ジュイエが口元を綻ばせると、子爵は満足げに頷いた。借りでも作った気でいるのだろうか。
今度は子爵から話題を振る番だった。
「第三王女殿下がここまで気さくな方だったとは、存じ上げませんでした。誕生パーティーのときのことは、私も娘も、とても感謝しています」
「あれは、レオナルドの従妹として当然のことをしたまでです。それにしても、ヴィオレッタ嬢はとても聡明な方ですね」
「お褒めいただき光栄です。少々気の強いところがございまして」
「そう? 私はもっとお話ししてみたいですわ。先日のお茶会では、あまりお話できませんでしたので」
「そうでしたか。娘も喜びます。殿下にこう言うのは恐縮ですが……ぜひ、娘と仲良くしてやってください」
眼前に回廊の終点――出入口の門が見えてきた。ジュイエの馬車が待機しているのが見える。後ろを歩いていたダニエルが前に回り、馬車の扉をいつでも開けられるように待機する。
ジュイエは立ち止まり、子爵と向き直った。
一見、娘思いの父親の言葉に聞こえた。けれどやはり、そこはかとない違和感が残った。
「ええ。それでは、子爵。ごきげんよう」
「失礼いたします」
子爵が頭を軽く下げるのを見て、ジュイエは馬車に乗り込んだ。




