第18話 鍵のかかった温室
「ヴィオレッタ嬢」
ジュイエはお手洗いから戻ってきたヴィオレッタに温室の入り口で話しかけた。
「お茶会は楽しんでいらっしゃいますか」
「はい、とても。この温室は初めて拝見しました」
「ここは普段公開していませんから。お花はお好きですか? 奥の庭園では秋薔薇が見頃です。よければご一緒にいかがですか」
ヴィオレッタは奥方たちとの間にいる自身の母親を見てから、ジュイエに頷いた。
秋は深まってきたが、まだ日差しは力強い。ダニエルが差し出した日傘を差して、ジュイエはヴィオレッタを連れて、王宮の中を庭園へ足を向けた。
「……」
「……」
誘ったはいいが、会話がない。
ジュイエもヴィオレッタも、お互いのことをほとんど知らないので当然と言えば当然だった。
共通の話題といえばレオナルドのことだけだが、果たして口に出していいものか……。
「王女殿下」
「はい、なんでしょう」
「先日はありがとうございました」
「ああ、あのこと。大したことはしていません。けれど、その……もし話したくなければ話さなくてもいいのですが。まさか、レオナルドとの婚約継続を望まれるとは思いませんでした」
ヴィオレッタはジュイエを見た。似たような背丈だったので、顔が真横にある。
「……なぜですか?」
「私なら、私を馬鹿にした相手と結婚したいと思わないから」
ジュイエがそう言うと、ヴィオレッタは薄く口元を開いた。笑ったのか、嘲ったのか、ジュイエには分からなかった。
「モンテヴェルデ公爵家との婚約を、あんな些細なことで破棄するほど馬鹿なことはありませんわ。ニーナ嬢には申し訳ないですが、もしあの場で王女さまの仲裁がなければ、ニーナ嬢に嫌がらせをしていた本当の犯人をお伝えするつもりでした」
「ご存じだったのですね。だからあんなに冷静だったのですか」
「まあ……。ニーナ嬢の素行は、学園では有名でしたし。彼女がレオナルドさまに近付いた頃から、ああなることは想定していました」
「では、邪魔をしてしまったかしら」
「いいえ。王女さまのおかげで、最も丸く、早く解決しました。レオナルドさまも痛い目を見て、少し優しくなりましたわ」
ヴィオレッタは今度こそ笑った。けれどその笑顔は、決して晴れがましいものではない。少なくとも、ジュイエはそう思った。
やはり、ヴィオレッタはレオナルドを愛しているわけではないらしい。
それなら、その方がジュイエもやりやすい。ヴィオレッタは感情よりも理性を優先できる女性だ。
庭園に到着した。黄色の薔薇が地植えでジュイエたちの足元を彩り、回廊の石柱には見事に絡みついて花のトンネルのようになっている。中央のヴィーナスの彫刻の噴水にも、ガゼポの周りにも白の薔薇が咲き乱れていた。
広い庭園の奥にはジュイエの住む宮も見えている。
「見事な庭園ですね」
「この庭は秋が最も美しいのです」
「王女さまの誕生の時期ですものね。花の香りがします」
ヴィオレッタが少し先を歩いていく。ジュイエは立ち止まって、その背中を見つめた。
「ヴィオレッタ嬢」
「はい」
「ヴィオレッタ嬢はほんとうに、結婚したいのですか?」
「いやですわ。この年頃の娘はみんな、結婚がしたくてたまらないでしょう。王女さまも、同じでは?」
ヴィオレッタは薔薇に鼻先を寄せた。心なしか、触れた薔薇がきらめいたように見えた。
「……どういう意味ですか?」
「単なる子爵の娘と同じと考えては失礼ですが……。この王宮も、わたくしたちにとっては温室ですわ。美しく整えられて、空も見えるけれど、鍵がついていて出られないのです。だから王女さまも、ベルティーニ卿をおそばに置いていらっしゃるのでは?」
「ダニエル?」
「レオナルドさまとベルティーニ卿ももちろん違うと思いますけれど、わたくしたちは結婚によって初めて外に出られるようになるのですわ。わたくしの場合はほんの少し良くなるだけかもしれません。でも王女さまは、ここを出られた方がきっと、ずっとお幸せになれるのでは?」
「あなたは、実家を出たらほんの少し良い生活を送れるようになるのですか?」
「ええ」
ヴィオレッタが頷く。ヴィオレッタは離れたところで控えているダニエルをちらりと見た。ジュイエはヴィオレッタに視線を固定して、近付く。
「……あなたのお母さまも、あなたの結婚によって楽になれるのかしら」
「もちろんです。わたくしが公爵家の人間になったら――」
――父を殺します。
ヴィオレッタはジュイエにだけ聞こえる声で、そうつぶやいた。




