第15話 婚約の行方
ジュイエの宮は宮殿の西側にある。王と正妃、第一王子の住まう本殿奥の宮、第一側妃・第二王女の住まう宮とは少し離れた位置にあり、外からの来訪者はジュイエと親しくしている僅かな人間以外はほとんどやってこない。
公務の時間以外、普段は使用人とダニエル、そしてその時々の家庭教師とで過ごすことがほとんどであった。
そこへ、この日は珍しい来客が現れた。
「叔父さま、いかがしました?」
ヴァレリア国王でありジュイエの父であるオクタヴィオ・ドミニク・ディ・ヴァレリアの末の弟、モンテヴェルデ公爵である。先日の御前婚約破棄未遂事件を引き起こしたレオナルドの父だった。
「ジュイエ。先日は世話をかけたね」
「その後、レオナルドはいかがですか?」
「私は叱るつもりでいたんだがね……、クラウディアに庇われて、大したことは言えなかった」
モンテヴェルデ公爵夫妻が一人息子のレオナルドに殊更甘いことは知っていたが、夫人・クラウディアが息子に激甘なのであった。
そして公爵は夫人に甘いので、結局は息子にも甘くなるのであろう。
王宮でほぼ放置されて育ったジュイエとは環境が違いすぎて、ジュイエはこの夫妻のことがいまいちよくわからなかった。
応接間にお茶と軽食が用意され、ジュイエは叔父を誘った。ジュイエが席に座ると、その後ろにいつものようにダニエルが立つ。
「王都新聞を見たよ。見事な姿絵だったね」
「ああ……そういえば、そんなのありましたね」
市民新聞で衝撃的な姿絵を見て憤慨はしたものの、徴税事件に追われて王都新聞をチェックするのをすっかり忘れていた。あとで取り寄せようと密かに考え、ジュイエはお茶を口にする。今日のお茶はフルーティーで華やかな香りがした。
「それで、お忙しい叔父さまがどんなご用で?」
公爵は公私に渡り何かと忙しい人だ。政治には関わらないが、社交が得意で人気者。王家に生まれたわりに末息子で自由気儘に育ったのか、おおらかで人が好いところがある。ジュイエも、この叔父のことは嫌いではなかった。
「いや、大した用ではないんだが。あの後の顛末を、きみには一応報告しておこうと思ってね」
「聞きましたわ。男爵令嬢の件ですね。ベルナール嬢とレオナルドの婚約は破談に?」
「それが、ベルナール子爵からはそのまま継続してほしいと」
ジュイエは少し遅れて頷いた。
婚約継続?
……ヴィオレッタ嬢は、レオナルドのことが好きだったのだろうか。あのときの令嬢は、焦ってはいても異常事態に落ち着いて対応していた。
好きな男が他の女の肩を抱いているのを見てああまで取り乱さない様子に、ジュイエはとてもそうは感じなかった。
どちらかといえば、公爵家を手放すデメリットの方が大きいと判断したのかも。あんな恥をかかされても結婚するなんて、ジュイエには考えられなかった。
まあ、女性の心の中は――とくに色恋に関して――ジュイエにとって理解の範疇外だ。
「よかったではないですか。ベルナール子爵家は鉱山を持っていて、資産家だと聞きます。教会や孤児院などにもよく寄付をしているイメージですし」
「まあ……そうなんだが。もちろん、姻戚関係を結ぶ相手としては申し分ないんだが。そうではなくてだな……なんというか、妙なんだ」
「妙?」
ジュイエがカップを置いて首を傾げると、公爵は忙しなく両手を組み合わせたり離したりしながら言った。
「子爵夫人がいつも首元も手首もほとんど露出しないドレスを着ているんだ。そういう好みの方だと思っていたのでなにも気にしていなかったんだがな。先日、子爵家が一家で我が家に来たときに、うちのものが粗相をしてしまって、うちのメイドが夫人の着替えを手伝ったそうなんだ。そうしたら」
「そうしたら?」
「……骨と皮のような肩と背中に、黒々と痣があったそうだ」
「痣……?」
不穏な言葉に、ジュイエはちらりとダニエルを振り向く。ダニエルも横目でジュイエを見て、そして公爵の方へ視線を移した。
公爵が続ける。
「最近できたものではないような色素の沈着したものと、まだ赤黒いものがいくつか。そのメイドはもちろん深くは追求できなかったが、クラウディアに報告してくれた」
「それはつまり」
「誰かに、日常的に虐待されているのでないかと危惧している」
「子爵夫人が……?」
「そう考えれば合点がいくことも、ままある。夫人は体調を崩したと言ってイベントに参加されないことが頻繁にあるし、クラウディアと話していても口数がかなり少ないらしい。これまではそういう貞淑な人だと思って接していたそうだ」
「夫妻の会話の様子は?」
「夫人が大人しいとは思っていたが、特にこれと言って二人の雰囲気が悪いと感じたことはない。子爵は社交界で評判のいい男だし、私の目には、悪い人間には見えなかった」
叔父の「人が好い」のはこういうところだ。権謀術数ひしめく魔窟のようなこの王宮で育ってきて、なぜ人の善意を信頼できるのか、ジュイエには甚だ疑問である。レオナルドがああいう性格なのは、叔父の血を引いているからなのだと思わざるを得ない。
「……悪い人は、悪い顔をしていないものですわ、叔父さま。それに、本当に子爵が夫人に手を上げているかはまだ未確定でしょう。ヴィオレッタ嬢に聞くことはできないのですか?」
「できないこともないが、先日の件があったばかりで、我が家から下手は打てないし」
「それはそうですね……」
ジュイエが考え込むと、後ろからダニエルが口を挟んだ。
「姫さまがお茶会を開くのはいかがでしょう。第二王女殿下の手を借りて、親族関係の女性たちをお招きするのです。ベルナール嬢には先日の非礼を詫び、これから親族になるにあたり親睦を深めたいということにして」
ジュイエはその提案にわずかばかり苦い顔をした。公爵はその反応に気付かないまま、顔色を明るくする。
「それはいい! ぜひそうしてくれないか。もし夫人の保護が必要になれば、我が家も手を貸すよ」
公爵はそう言って、浮かない顔をしているジュイエをそのままに、肩の荷が降りたと言わんばかりに軽い足取りで帰っていった。
ジュイエは椅子の背もたれに背中を預け、ダニエルを仰ぎ見る。
「……めんどくさいこと言ってくれたわね」
「姫さまが動くより、よほど自然にご令嬢へ近付ける提案です。それに、姫さまお一人でお茶会を主催しますか? 招待する客もいないでしょう」
ジュイエは黙り込んだ。ダニエルは涼しい顔をしたまま、沈黙を肯定と受け取ったようだった。
「早速、メイドに連絡させます」
そう言って部屋を出ていくダニエルの背中を見送ってジュイエは宙を見つめた。
「星のあざの次は夫人のあざ、か……」




