第98話 王子様、農業やるってよ
馬車の扉が開き、一人の青年が降り立った。
王国第三王子、エリック。
彼は王都での決意通り、動きやすさを重視した(といっても特注の最高級鹿革製だが)
旅装に身を包み、腰には儀礼用ではない実戦用の剣を帯びている。
「……ここが、エーデル村か。空気が……土の匂いがするな」
エリックが神妙な面持ちで呟く。
その後ろから、山のような荷物を抱えた側近のファレルが、青い顔をして降りてきた。
「殿下、本当に……本当によろしいのですか? このような、宿屋が一軒しかないような辺境で……」
「構わん。私は変わるのだ。ガイウス殿のように、真に国を支える力を……」
「あ、王子様だ! 本物だ!」
エリックの感動的な独白を遮ったのは、村の子供たちの無邪気な声だった。
「ねえねえ、その服、キラキラしてるね! 泥がついたら大変だよ!」
「王子様もクワ持つの? 魔法でやるの?」
王都では遠巻きに拝跪される対象だったエリックは、物理的に距離の近い村の子供たちに囲まれ、少しだけ狼狽した。
そこへ、騒ぎを聞きつけた俺とヴェルダがやってきた。
「お久しぶりです、エリック殿下。無事の到着、何よりです」
「ガイウス殿! ……ああ、約束通りやってきた。今日から私は、君の弟子だ」
エリックは力強く俺の手を握った。
その瞳には、かつての傲慢さはなく、未知の世界への期待と少しの恐怖が混ざっている。
「歓迎しますよ。……では早速ですが、あなたの『教育係』を紹介しましょう」
エリック「教育係‥?」
俺が案内したのは、村の北側に広がる開拓地だ。
そこでは、上半身裸で筋骨隆々の男たちが、唸り声を上げながら巨大な岩を粉砕していた。
「……あ、あの。ガイウス殿。あの方々は、一体……?」
エリックが指差した先には、角を生やした大男――ベルグが、素手で岩を真っ二つに割っている姿があった。
「ああ、私の『農友』たちです。……おい、カイン殿! 研修生が到着しましたよ!」
俺が呼ぶと、泥まみれのタンクトップに麦わら帽子という、およそ貴公子の欠片もない格好をした男が、肩に巨大なクワを担いでやってきた。 魔族の皇太子、カインだ。
「……あん? 貴様が、ガイウスの言っていた『王都のお坊ちゃん』か」
カインはエリックを上から下まで値踏みするように見ると、ペッと足元に唾を吐いた。
「ひっ……!? ま、魔族……!? それにその強大な魔力、貴様、まさか魔族の皇太子カインか!?」
エリックが腰の剣に手をかけようとしたが、カインは鼻で笑った。
「剣を抜け。その代わり、抜いた瞬間にそのナマクラを叩き折って、お前の尻に突き刺してやるぞ。……今は戦場じゃねえ。ここは俺の『開拓地』だ」
「あっー、カイン殿、殿下は本気で農業を学びにきたのです。あまり脅さないでください」
俺がたしなめると、カインは不敵に笑い、手にしたクワをエリックの足元に突き立てた。
「いいだろう。人族の王子がどこまでやれるか、見せてもらおうじゃねえか。……おい、まずはその『お遊戯用』の服を脱げ。ドリス、こいつに予備の作業着(ボロ布)を貸してやれ!」
一時間後。
そこには、刺繍入りの礼服を脱ぎ捨て、魔族たちが着古した灰色の作業着に身を包んだエリックの姿があった。
「……これが、農業の第一歩なのか?」
エリックの手には、一本の手籠。
任務は「開拓地の石拾い」だ。
だが、そこは魔族の開拓地。落ちている石は、どれも頭大の重いものばかりだ。
「おい、何を突っ立っている! 腰が高いぞ! 腿の筋肉を使え!」
背後からカインの怒声が飛ぶ。
「は、はいっ! ……ぬぐぐ、重い……!」
エリックが必死に石を持ち上げると、横をベルグが通り過ぎた。
「王子殿下、そんなヒョロヒョロした動きでは、日が暮れてしまいますぞ。こうやるのです!」
ベルグは、重さ百キロはあろうかという巨石を軽々と片手で放り投げた。
「……そ、それはもはや農業ではなく、ただの怪力訓練では……」
「馬鹿を言え! 根っこを張る土を整えるのに、力がいらねえわけねえだろうが! 魔法を使え、魔法を! 魔力で筋肉を強化して、一秒に十個は拾え!」
カインの無茶苦茶な指導が飛ぶ。
これが「魔族流」だ。彼らにとっての農業は、大地との格闘であり、全魔力を使った極限の肉体労働なのだ。
「ガイウス殿……助けて……」
エリックが俺に助けを求めるような視線を送ってきたが、俺はニコリと微笑んで、冷たい麦茶を差し出した。
「頑張ってください、殿下。カイン殿はこれでも、あなたのために『一番簡単な作業』を選んでくれたんですよ」
「……これが……一番簡単……だと……orz!?」
夕暮れ時。
エリックは、もはや指一本動かせないといった様子で、地面に大の字になって倒れ込んでいた。
全身泥まみれで、自慢の金髪も埃で灰色に変わっている。
「……し、死ぬ……。私は、王都で何を……。こんな……こんな苦行が、世界にあるなんて……」
そこへ、グラントが大きな樽を抱えてやってきた。
「‥‥‥!‥‥!」
ガイウスが翻訳する。
「どうやらこう言っているようです」
「おうおう、やってるな! 研修生殿、初日の上がりだ。グラント特製の『疲労回復エール』を持ってきてやったぞ!」
カインやベルグが、当然のようにジョッキを掲げる。
「おい、王子。生きたいなら飲め。働いた後のこれは、王宮の高級ワインより百倍効くぞ」
エリックは震える手でジョッキを受け取り、一口、喉に流し込んだ。
「……っ!? ……ふはぁっ!!」
目の前がパッと開けるような感覚。
強烈な炭酸と、麦の芳醇な香り、そしてグラント秘伝の滋養強壮薬草の苦味が、疲れ切った体に染み渡っていく。
「……美味い……。何だ、これは……」
「だろう? それを味わうために、俺たちは土を耕してるんだ」
カインが、エリックの肩をガシッと叩いた。
泥がついた手だが、エリックはそれを嫌がる余裕も、意志もなかった。
「……カイン殿。明日も……明日も、石拾いからでしょうか」
「いいや、明日は『堆肥運び』だ。臭いぞ、覚悟しておけ」
エリックは顔を引き攣らせたが、その瞳には、不思議と充実感のような色が混ざっていた。
「……受けて立つ。私は……逃げないぞ」
俺は、焚き火に照らされる彼らの姿を見ながら、ヴェルダと一緒に縁側に座った。
「ガイウス、あの王子、意外と根性あるな」
「ええ。カイン殿も、口は悪いですが彼を認めているようです。……さて、明日の堆肥運びは、私の配合した特製ですからね。鼻が曲がらないといいのですが」
「うげぇ、あのくっさいやつか!」
エーデル村に、また一人、奇妙な「農友」が加わった。
王都の策略や野望すらも、今は農作業の合間のざわめきのように感じられた。
スローライフは、今日も――王子の弟子入りを(地獄のような形で)歓迎しながら――順調だった。




