第99話 魔族流 -農業研修- 時々プリン
エーデル村の朝は早い。
特に、魔族の皇太子が教官を務める「農業研修」の朝は、軍隊の演習よりも過酷な号令から始まる
「おい、お坊ちゃん! さっさと担げ! 腰が引けてるぞ!」
カインの怒声が、北の開拓地に響き渡る。
そこに立っていたのは、昨日までの「爽やかな王子」の面影を微塵も残していない、鼻に布を幾重にも巻き付けたエリックだった。
彼の目の前にあるのは、俺が独自に配合し、魔力で発酵を促進させた『ガイウス特製・超完熟堆肥』の山だ。
「……ガ、ガイウス殿。これは……これだけは、人道に反するのではないか……? もはや、物理的な攻撃魔法に近い悪臭だぞ……」
エリックが涙目で俺を仰ぎ見る。
無理もない。この堆肥は、魔族の領地で見つけた栄養豊富な腐葉土に、村の家畜の糞と、俺が調合した「発酵促進魔薬」を混ぜたものだ。
作物の成長には劇的な効果があるが、その代償として、半径百メートル以内の鼻を麻痺させるほどの凄まじい「香気」を放っている。
「殿下、これも修行です。土に栄養を与えることは、民に富を与えることと同じですよ。さあ、一気に畑の奥まで運びましょう」
「……ううっ、母上……私は今、王家の歴史にないほど汚れています……」
エリックは震える手で、堆肥がぎっしり詰まったバケツを担ぎ上げた。
横では、ベルグとドリスが「おっ、いい香りですな」「発酵が進んでいて最高ですぞ」と、まるで高級香水でも嗅ぐかのように鼻を鳴らしながら、巨大な樽を軽々と運んでいる。
「見てみろ、あの魔族たちの悦びようを……! 私は……私はあの中に入るのか……!」
「つべこべ言うな! 運ばねば、朝飯抜きだぞ!」
カインに尻を叩かれ、エリックは「ぎゃあああ!」と悲鳴を上げながら、悪臭の渦中へと突撃していった。
彼らが地獄の行軍をしている間、俺は少しばかり手隙になった。
重労働はカインたちに任せられるようになったし、エリックの教育も(強引だが)順調だ。
「……たまには、皆に甘いものでも振る舞いましょうか」
ふと思いついたのは、王都の高級カフェでヴェルダが美味そうに食べていた『プリン』だ。
材料は村で採れた新鮮な卵と牛乳がある。
俺は台所に立ち、腕をまくった。
薬草の調合では、ミリグラム単位の誤差も許されない精密な作業を日常的にこなしている。
煮詰める時間、温度管理、成分の抽出……。
それに比べれば、お菓子の調理など、単純な化学変化の応用のようなものだ。
「失敗するはずがありませんね。むしろ、世界で最も完璧なプリンが出来上がるはずです」
俺は自信満々に、メモに記された「黄金比」を確認した。
【ガイウス式・精密プリンの処方箋】
* 卵:3個
* 牛乳:300ml
* 砂糖:60g
* カラメル用:砂糖50g、水大さじ1
【工程】
1. 卵を溶き、砂糖を加えてよく混ぜる。
2. 温めた牛乳を少しずつ加え、均一な液体にする。
3. 漉し器を通し、不純物を徹底的に排除してカップに注ぐ。
4. 湯せんで蒸し、タンパク質の熱凝固を完璧に制御する。
「ふむ、理に適っています。特に湯せんの温度は、魔力で一定に保てば、気泡一つない滑らかな食感になるはず」
俺は薬草を煎じる時の要領で、極めて真剣に作業を開始した。
カラメルを作る際も、砂糖がキャラメル化する瞬間の色変化を魔力感知で捉え、完璧なタイミングで水を投入。
卵液も、三回も漉して極限まで滑らかにした。
「あとは、これを蒸すだけです。……魔力出力、一定。温度、完璧。……ふっ、お菓子作りも農作業の延長に過ぎませんね」
三十分後。
開拓地から、全身に堆肥の匂いを染み込ませたエリックと、腹を空かせたカインたちが戻ってきた。
「ガ、ガイウス殿……。私は……私はやり遂げたぞ……。鼻の感覚は死んだが、心は折れていない……」
「おーい、ガイウス! 飯だ! 腹が減って死にそうだぞ!」
そこへ、期待に目を輝かせたヴェルダも飛んできた。
「いい匂いがするな! 甘い匂いだ! ガイウス、何を作ったんだ?」
「ええ。皆さんの疲れを癒すべく、最高品質のプリンを用意しました」
俺は自信たっぷりに、蒸し器の蓋を開けた。 ……だが、そこに現れたのは、俺の計算とは大きくかけ離れた「何か」だった。
「……あ、あれ?」
器の中には、プルプルとした黄金色のデザートではなく、まるで火山の噴火跡のようにボコボコと穴の開いた、茶褐色の「岩のような物体」が鎮座していた。
「……ガイウス、これ、何? 新種のゴーレムの核?」 ヴェルダが恐る恐る尋ねる。
「……いえ。プリン、のはずです。おかしい……温度管理は完璧だったはず。なのになぜ、これほどまでに『す』が入って、食感がゴムのようになっているんだ……?」
俺は震える手で一口食べてみた。
……甘い。味は確かにプリンだ。
だが、食感はまるで「消しゴム」か「よく茹ですぎた鶏の胸肉」だ。
カラメルは完璧に焦げており、苦味が喉を突き刺す。
「……な、なぜだ……。魔力で温度を完璧に一定に保ったはずなのに……」
「……ガイウス、お前、もしかして魔力で加熱しすぎたんじゃないか?」
ベルグが横から覗き込んで、爆笑した。
「料理ってのは、そんな精密機械みたいに作るもんじゃねえんだよ! 火の揺らぎとか、適当な加減ってのが必要なんだ。……ははは! あの完璧なガイウスが、卵液を台無しにするとはな!」
「……完敗です。薬草の調合にはない『遊び』が、料理には必要だったのですね……」
俺が台所で膝をついていると、エリックがボロボロになりながらも、その「失敗作」を一口食べた。
「……ぷっ。あははは! ガイウス殿、これ、本当にひどい食感だ! でも……甘い。堆肥の臭いの中にいた私には、この世で一番の御馳走に感じるよ」
エリックは泥だらけの顔で、楽しそうに笑った。 その笑い声につられるように、カインもベルグも、俺の失敗作を口に運んでいく。
「まあ、食えなくはないな。歯ごたえのあるプリンってのも、魔族好みだ」
「わらわは、もっと滑らかなのが良かったぞ! 次回はリナに教われ!」
賑やかな笑い声が酒場に響く。
完璧な魔法使いでも、有能な農家でも、たまには失敗する。
そして、その失敗すらも笑い飛ばせる仲間が、今の俺にはいる。
「……分かりました。リナさんに頭を下げて、基礎から教わってきます」
俺は苦笑しながら、エリックに二杯目の(少し硬すぎる)プリンを差し出した。
王都の策略や野望すらも、今は農作業の合間の賑やかな羽虫のように感じられた。
スローライフは、今日も――プリン作りには敗北しながらも――最高に順調だった。
なぜこの回でプリンを作ったのか
自分でもよくわからん‥。




