第94話 再開は意外な形で
広間の中心、焚き火の爆ぜる音だけが響く中で、男は一人、椅子に深く腰掛けて剣を磨いていた。
「……部下たちが戻らねえと思えば、よもや自ら出向いてくるとはな」
男が顔を上げた。
隻眼の奥に宿る鋭い光、そして鍛え上げられた体躯から放たれる威圧感。
「お久しぶりですね。……ザバル殿」
俺がその名を呼ぶと、男――ザバルは自嘲気味に口角を上げた。
「その呼び方はよせ。今の俺はただの賊の頭だ。……それにしてもガイウス、貴様、宮廷魔術師をクビになったと聞いていたが、まさかこんな森の中で再会するとはな」
ザバル。
かつて騎士団で『若きエース』と謳われた男だ。
俺が魔術師団に入ったのと同時期に騎士団に配属された同期であり、何度か合同任務もこなした仲だった。
当時は正義感に溢れた男だったが、ある遠征での不祥事の責任を押し付けられ、軍を去ったとは聞いていた。
まさか、ここまで落ちぶれていようとは。
「貴様ほどの腕があれば、どこかの国で宮廷魔術師として返り咲くこともできただろうに。なぜこんな街道をうろついている?」
「王都に用がありまして……あとは、少しばかりの農作業です」
「農作業だと?」 ザバルは呆れたように鼻で笑った。
「冗談はよせ。貴様のその、澱みのない魔力の練り方は、隠居した奴とは思えん。……なあガイウス、提案がある。俺と一緒に来い」
ザバルが立ち上がり、剣を鞘に収めた。
「この国は腐っている。
功績を上げた者は疎まれ、無能な貴族が甘い汁を吸う。俺たちはその『おこぼれ』を奪っているだけだ。
貴様の知識と俺の剣があれば、この森一帯を支配する王国だって作れる。宮廷で飼い殺しにされるより、ずっと自由だぞ」
その誘いは、かつて理不尽に追放された俺への、彼なりの「救い」のつもりだったのかもしれない。
だが、俺は静かに首を振った。
「お断りします。……私は今、農家ですので」
「……何?」
「土を耕し、種を蒔き、実りを待つ。今の私にとっての『自由』は、そこにあります。
誰かのものを奪って作る王国など、私には必要ありません。それは、根の腐った木を育てるようなものですから」
ザバルの顔から笑みが消えた。
冷徹な戦士の顔がそこにあった。
「……交渉決裂だな。ならば、ここで死んでもらう。貴様のような逸材を、野に放っておくのは俺のプライドが許さねえ」
ザバルが動いた。
かつて騎士団のエースと呼ばれたその剣技は、賊に身を落としてもなお、磨き抜かれていた。一瞬で距離を詰め、俺の首筋を狙って横一文字に閃く。
キィィィィン――。
鋭い金属音が響いた。
だが、ザバルの剣は俺の喉元数センチのところで、見えない魔術の壁に阻まれていた。
「……防御術式か。だが、これならどうだ!」
ザバルは即座に剣を引き、流れるような連撃を繰り出す。
上段、下段、突き。
重い一撃一撃が、魔術の防壁を叩き、火花が散る。 俺は一歩も動かず、その攻撃を捌き続けた。
「……動きが硬いですね、ザバル殿。まるで、手入れを怠って固まった土のようです」
「何だと……ッ!」
「騎士団にいた頃のあなたの剣は、もっとしなやかでした。今のあなたの剣には、迷いと焦り……そして、自分自身への失望が混ざっています。そんな剣では、私の守りは崩せませんよ」
俺は指先を軽く動かし、空中へ術式を描いた。
「農家は、無駄な動きを嫌います。体力を温存し、最小の労力で最大の成果を出す。……今の私なら、こうします」
ザバルが大上段から剣を振り下ろした瞬間、俺は防壁を解除し、わずかに体をずらした。
剣先が地面に突き刺さる。その刹那、俺はザバルの手首に軽く触れた。
「重力固定」
「ぐわぁぁっ!?」 ザバルの体が、まるで見えない巨人に押し潰されたかのように地面へと叩きつけられた。
魔術によって局所的に増大した重力が、彼の動きを完全に封じたのだ。
「……馬鹿な、詠唱もなしに、これほどの出力を……」
「農家は時間の使い道にうるさいのです。無駄な詠唱を待ってくれるほど、作物の成長は遅くありませんから」
「……殺せ。かつての同期に情けをかけられるのは、死ぬより屈辱だ」
地面に伏したまま、ザバルが苦々しく吐き捨てた。
俺は彼を見下ろし、静かに魔術を解いた。
「殺しませんよ。農家は、命を粗末にするのを嫌います。
……あなたは、王都へ帰るべきです。そこで、自分の犯した罪と向き合い、もう一度やり直せばいい」
「……ふん、聖者気取りか?」
「いいえ、ただの合理的な判断です。あなたがここで死ぬより、生きて償う方が、世の中の『収益』は上がりますから。
……ヴェルダ、彼を運ぶのを手伝ってくれますか?」
後ろで退屈そうに爪を眺めていたヴェルダが、やれやれと肩をすくめた。
「わかった、わかった。ガイウスの甘さには呆れるけどまあ、ガイウスのお願いだからね。……ねえ元エース君、わらわの魔力糸は少しきついけど、我慢してね」
ヴェルダが指を鳴らすと、ザバルは手際よく「ミノムシ」のような姿に縛り上げられた。
♦︎
夜の帳が下りた王都の北門に、再び俺たちは戻ってきた。
門衛たちは、もはや驚く気力も失っていた。
「……ガ、ガイウス殿。今度は、何を……」
「『黒い森の牙』の首領、ザバル殿を連れてきました。廃砦にいた残りの部下たちも、魔術で眠らせてありますので、後ほど回収をお願いします」
知らせを聞いて飛び出してきた副団長は、縛り上げられたザバルの顔を見て、言葉を失った。
「ザバル……。君、君が賊の頭だったのか……。
名前を聞いてまさかと思ったが‥。
そしてガイウス殿、あなた、本当に一人でこれを……」
「ええ。これで街道の安全は確保されました。農家としては、これで安心して苗を運べるというものです」
俺は副団長に、砦の地図と、仕掛けておいた「逃走防止用」の感知術式の鍵を手渡した。
「……感謝する、という言葉では足りないな。
ガイウス殿。君は、王都の治安を根底から救ってくれた。明日、陛下へ報告する。君への追加の報奨金は、村へ直接送らせよう」
「恐縮です。ですがそれは私が使うのでは無く、村の用水路の整備に使わせていただきます」
♦︎
ようやく、すべての用事が終わった。
空には満天の星が広がり、夜の風が心地よく頬を撫でる。
「ガイウス、今度こそ、本当に村へ帰るぞ。わらわはもう、腹が減って限界…」
「ええ。帰りましょう、ヴェルダ。その前に腹ごしらえしてからですね」
馬車は再び、北を目指して動き出した。
後ろを振り返ることはない。
俺たちの居場所は、あの豊かな緑と土に囲まれた、小さな村にあるのだから。
スローライフは、今日も順調だ。
2026.4.21 指摘いただいた箇所を修正しました。




