第83話 第三王子が現れた
八日目の昼前、セルジオが険しい表情で報告に現れた。
「ガイウス殿、第三王子エリック殿下より使いが参りました。……場所を指定されております。以前、あなたが足を運ばれた『農家定食』の食堂です」
「農家定食、ですか。わざわざ指定してくるとは、随分と手の込んだことで」
「殿下は、あなたが持ち込んだ『農家』という概念が王都に広まっていく様子を、高い場所からじっと観察されていたのでしょう」
セルジオは、エリック王子が「象徴」としての立場に甘んじることを良しとせず、常に実権を求めて動いている危険な人物であることを付け加えた。
「無理に応じる必要はありません。ですが、もし行かれるのであれば……どうか、その『農家の盾』を崩されぬよう」
「話を聞く前に土を捨てるわけにはいかないですが。……一時間ほど、休憩がてら行ってきますが」
隣で聞いていたヴェルダが、銀髪を揺らして立ち上がった。
「わらわも行く。ガイウスが食べてたあの定食、エリックとやらがどう食べるのか見てやりたい」
セルジオは恭しく礼をする。
「‥使いの者へ連絡いたします」
(え、黒龍様は定食の食べ方見にいくの‥?)
食堂の奥、王族の警護がそれとなく周囲を固める中で、エリック王子は座っていた。
二十代後半。
整った容姿に、一分の隙もない「王族の笑顔」を貼り付けた男だ。
「ガイウス殿、そして黒龍ヴェルダ殿。お越しいただき感謝する。……この店、君が来てから爆発的に流行っているそうじゃないか。農家が来たから、農家定食が流行る。実に面白い因果だ」
「俺はただ、腹が減ったから食べただけですが」
注文した「農家定食」が運ばれてくる。色鮮やかな温野菜と、素朴な麦飯。エリックはそれを一口運び、目を細めた。
「……悪くない。だが、私が求めているのはこの食事ではなく、君の『力』だ。単刀直入に言おう。君に、私の側に立ってほしい」
エリックの声から、作られた温かみが消えた。
「王族は象徴に過ぎない。不介入という鎖に縛られ、国が腐るのを眺めるだけの立場だ。だが、君がいれば違う。龍と友誼を結び、魔族と握手した『農家』が私の後ろ盾になれば、私は実権を握り、この国をより良く作り直せる」
「……農家の仕事は、農地を耕すことですが。王国の政を耕すつもりはないですが」
「農地のことだけをしてきた、と言うつもりか? 魔族との協定も、黒龍との戦いも、結果として王国の利害に深く食い込んでいる。それを『農家なので』で押し通すのは、いささか無理があるのではないかな」
エリックの瞳に、冷たい光が宿った。
「では協力するつもりはない、ということでよろしいかな?」
「何を手伝えばいいかがまだ不明瞭ですが。農家の手に負えない種は、蒔くことができない」
エリックはフォークを置き、身を乗り出した。
「では、条件を変えよう。……ヴェルダの原、あそこは王国の領土だ。王国には、農地に対して任意の課税を行う権限がある。……わかるかね? 君が協力してくれないのであれば、あそこを『特別課税対象』として検討せざるを得ない」
ヴェルダがぴくりと眉を動かし、椅子から浮き上がろうとした。
その瞬間、俺はそっと手を上げ、彼女を制した。
エリックの笑顔は、もはや獲物を追い詰めた猟師のそれだった。
「農地を人質に取られるのは、農家として困るだろう? だが、私の側に来れば、税などいくらでも調整できる」
俺は一息つき、冷めた茶を飲んだ。
「……課税は王国の権限ですが。ですが、もし正式に検討されるのであれば、まずは魔族のカイン殿に相談しなければなりませんね」
エリックの動きが止まった。
「……何? 魔族に?」
「あそこは現在、魔族領との共同運営地です。農地の収益構造が変わるとなれば、当然、共同運営者である魔族と王国が直接、膝を突き合わせて話し合うことになりますが。……エリック殿下、あなたがその交渉の窓口に立たれるのですか?」
エリックの表情から、余裕が削げ落ちた。
不介入の原則を破り、密かに実権を握ろうとしている王子にとって、魔族との「公式な外交問題」に発展することは、致命的なスキャンダルになりかねない。
「……貴様は魔族を、盾にするのか」
「共同運営の相手に話を通すのは、農家として当然の筋道ですが。揉めるかどうかは、俺ではなくエリック殿下が決めることですが」
「……フッハハハ……!」 エリックは短く笑い、それから深く椅子に背を預けた。
「農家というのは、これほどまでに隙がないものか。……私の負けだ。今は、ね。君の『農家の論理』、しかと見せてもらったよ、分かった今日はここまでとしよう」
エリックは食事を止め、席を立つ。
「ガイウス、我は君を諦めたわけじゃないからな、では“またな“」
王子が去った後、食堂には再び日常の音が戻ってきた。
ヴェルダが不満げに頬を膨らませ、俺を見た。
「ガイウス……なんで止めたの。あんな奴、わらわが……」
「すいません、でも農家として対応できる間は、農家のやり方で解決したいですから。……魔族との共同運営という事実は、彼にとっての『害虫駆除剤』としては十分でしたよ」
「……農家って、怒らないの? 縄張りを脅されたのに」
「怒る暇があれば、次の作付けのことを考えたいですが。それに、エリック殿下がそこまで強引な手段に出たということは、それだけ彼が追い詰められている証拠ですから。哀れな案山子だと思えば、怒る気にもなれないですが」
ヴェルダはしばらく俺の顔を眺めていたが、やがて呆れたように笑った。
「……そっか。それがガイウスの『強さ』なんだね。でも、約束して。農家として手に負えなくなったら、絶対わらわを呼ぶこと。約束だよ」
「……約束します。その時は、お手柔らかに頼みますが」
「うん。……分かった!」
王都の昼下がり。 エリックとの平行線は、終わったわけではない。
だが、農家として守るべきものは、何一つ失われていなかった。
スローライフは、今日も――王都の策略をさらりと受け流しながら――順調だった。




