第80話 侯爵、農業しようぜ!
七日目の朝。宿の前に、見覚えのある紋章を掲げた豪華な馬車が止まっていた。
その傍らに立つのは、ロスベルク侯爵だ。だが、今日の彼は以前のような「政治家」の顔だけではなかった。
その手には、鈍い銀光を放つ――明らかに業物とわかる「クワ」が握られていた。
「おはようございます、ガイウス殿。……お時間をいただけますか」
「おはようございますが。引き継ぎがありますが、一時間ほどなら」
「一時間で十分です。まずはこれを受け取っていただきたくて」
差し出されたのは、最高級の鋼を鍛え上げた、職人手作りの農具だった。
「……農具ですか。前はワインだったはずですが」 「前回の訪問で学びました。農家には、名酒よりも研ぎ澄まされた鋼の方が喜ばれる。……いかがですか?」
「……農家として、ありがたく受け取りますが。これほどの鋼なら、エーデル村の硬い土も楽に返せそうです」
「『農家として』受け取る、ですか。ふふ、期待通りの言葉だ」
ロスベルク侯爵は満足げに目を細めた。
彼が求めていたのは、高価な返礼ではなく、ガイウスさんの「農家としての肯定」だったようだ(?)
場所を移し、俺たちは食堂で向き合った。
隣には当然のようにヴェルダが座り、侯爵をじっと見つめている。
「では、本題を。……王国は、北の開拓地に正式に資金を出したいと考えています」
「資金、ですか。見返りは?」
「収穫の一割。それだけで構いません。まずは、あの土地と王国との間に、細いながらも確かな『道』を作りたいのです」
俺はスープを一口飲み、即座に条件を返した。 「条件があります。開拓地の運営権は、魔族とエーデル村が完全に握る。王国は金は出すが、口は一切出さない。……これが飲めなければ、投資は不要です」
「……口を出さない、ですか。投資家としては、耳の痛い条件ですが」
「王国が口を出せば、それは政治になります。政治が絡めば、魔族との協定に『雑草』が混じる。……王国が黙って見守る形であれば、魔族も安心して収穫を分かち合える。これは、土地を守るための計算です」
ロスベルク侯爵はしばらく黙り込み、やがて深く頷いた。
「……承知しました。その条件、飲みましょう。農家に言われて気づかされるとは。口を出さないことこそが、最大の利益を生む。まさに『農家の外交』ですね」
「ガイウス殿。……やはりあなたは、政治に向いていますよ」
「向いていないですが。俺はただ、収穫の分配を考えているだけですが」
「そこですよ。それを『農家なので』の一言で片付けてしまう。」
ヴェルダが鼻を高くして、侯爵に教えるように言った。 「それはね、ガイウスにとってそれが『全部』だからだよ。言い訳でも謙遜でもない。農家として生き、農家として死ぬ覚悟がその一言に詰まっている。だから、龍であるわらわも、侯爵であるお前も、その重みに負けるんだ」
「龍をも屈服させる言霊、ですか。……恐ろしいものだ」
ロスベルク侯爵が笑い、俺を見た。
「ガイウス殿、一つだけ。……農家として、今の生活は楽しいですか?」
「楽しいかどうかはわかりませんが。……悪くないですよ」
「……そうですか。羨ましいな。自分の生き方を、これほどまでに迷いなく言い切れる人間は、この王都には一人もいない」
食堂を出る際、侯爵は改めて俺に深々と頭を下げた。
「その農具、エーデル村で存分にお使いください」
「そうしますが。……侯爵、もしお暇なら、農作業をしに来てもいいですよ」
ロスベルク侯爵の動きが止まった。
「……私が、農作業を?」
「別荘で休むのはお断りしましたが、農作業を手伝うなら歓迎します。土は正直ですから、王都の複雑な空気に疲れたら、クワを持ってみるのも悪くないと思いますよ」
「……農作業をしに、伺っても良いのですか。私も農具を持って」
「農作業をすれば、少しは『農家』に近づけるかもしれません」
ロスベルク侯爵は笑みを浮かべた。
(これは逆にチャンスなのでは?ふむ、自分でやる事で知る物もあるのは確かだ)
「……魅力的な提案だ。ぜひ伺いましょう。農具を担いだ侯爵を見ても、追い返さないでくださいよ?」
「農家として、お待ちしています」
馬車が走り去る間際、侯爵が窓から顔を出した。
「ガイウス殿! 次回お会いする時、また農具を持っていきますね!」
馬車が見えなくなると、ヴェルダが俺の腕を突っついた。 エーデル村に帰ったら、みんなに自慢してやるんだ。『ガイウスの一言』で、王国が動いたって!」
「大げさですよ、ただの引き継ぎと世間話ですよ」 「それがお主の凄いところだよ」
夕暮れの石畳を歩きながら、俺は手にした新しい鍬の重みを確かめた。
引き継ぎは終わった。
王都での「農作業」も、これで一段落だ。
「……帰りましょうか。俺たちの村に」
「うん。早く帰って、お土産渡して、星の本を読もうよ」
スローライフは、今日も――王都の重鎮を「農作業」に誘い出しながら――流れていく。




