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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第76話 引き継ぎ開始、と思ったら


翌朝、俺たちは魔術師団の本部へと向かった。 かつて俺が寝泊まりし、数々の術式を編み出した場所だ。


案内役のセルジオは、心なしか昨日よりも足取りが軽い。

一歩足を踏み入れると、廊下ですれ違う魔導師たちが次々と足を止めた。

「……ガイウス殿?」

「おい、見ろ。本当にガイウス様が戻ってこられたぞ」

「やっと魔術基盤が安定するのか? これで徹夜から解放されるのか……!?」


彼らの瞳には、英雄の帰還を喜ぶ純粋な光と、それ以上に「これで仕事が減る」という切実な期待が混ざり合っていた。


「みんな、ガイウスのことが大好きなんだね」 ヴェルダが俺の影に隠れるようにして、小声で囁いた。

「……そうですか。前はただの同僚でしたが」

「そうだよ、顔を見ればわかる。砂漠で水を見つけたような、必死な顔をしてるもん。みんな、お主がいなくて困ってたんだよ」


「引き継ぎに来ただけなので‥」

「農家って、そういうところが本当に鈍いよね」

ヴェルダは呆れたように「もう」と呟いた。


案内された書庫は、文字通り「紙の山」だった。 棚という棚から書類が溢れ出し、床には地層のように未処理の案件が積み重なっている。


「……こちらが、ガイウス殿が去ってからの『未整理』の分です」

「未整理だけでこの量ですか。……隣の部屋は?」

「あちらは『整理済み』ですが、分量は同じくらいあります」

ヴェルダが、天井まで届きそうな書類の山を仰ぎ見た。

「本がいっぱいだね。……あ、これ全部、仕事の中身なの?」


「全部そうです。俺が去ってからの二年分が、ここに堆積しています」

「……これを、お前は一人でやっていたのか?」 「やっていましたが。農家の仕事に比べれば、これでも少ない方です」


ヴェルダが「はあ?」と眉を寄せた。

「農家のほうが大変なの?」

「土は毎日変わります。日差し、風、害虫の機嫌。書類は放っておいても勝手に増えたり腐ったりしませんが、土は一晩で表情を変えます。書類ほど鈍感な相手はありません」


ヴェルダはしばらく書類の山を凝視し、「……農家って、やっぱり変だよ」と、感心したのか呆れたのかわからない溜息を吐いた。


作業はまず「土壌の選別」から始まった。

俺は山積みの書類を手に取るなり、内容を三秒で把握し、三つの山に分けていく。

「最優先」「一ヶ月以内」「後回し」。


「……ガイウス殿。分類の速度が、常人のそれではありませんが」

「農家は整理が基本ですから。種まきの前に石を退け、収穫の前に道具を磨く。整理されていない畑では、何も育ちません。書類も同じです」


「……農家の発想で王国の魔術行政を片付けている。しかも、それが誰よりも正確だ……」

セルジオが震える手でメモを取っている。

「引き継ぎに来ただけですが、問題ありますか」 「……いえ、完璧すぎて言葉もありません。ありがとうございます」


心からの「ありがとう」。

それは、崩壊寸前の組織を支えていた男の、魂の叫びのように重かった。


昼時になり、俺たちは師団内の食堂へと向かった。

ヴェルダにとって、建物の中にある大規模な食堂は未知の領域だったようだ。

「……にぎやかだね。エーデル村のグラントの食堂に、少し似ている」

「そうですね。昼時はいつもこんな感じです」


ヴェルダはトレイに乗ったスープとパンを眺めながら、静かに言った。

「でも、わらわはグラントの食堂の方が好きだ」


「なぜですか。あちらはもっと騒がしいですが」 「あそこは、全員の顔を知っているから。……ここは知らない人ばかりだ。でも、あの村なら、誰がどこで笑っているか、声だけでわかる。それが、なんだか落ち着くんだ」


「……縄張りに、なってきましたか」

「縄張りより、もっと温かい感じだよ。……わらわの、村なんだ」

彼女の金色の瞳が、王都の無機質な食堂の中で、エーデル村の景色を思い出しているようだった。

それを見たセルジオが、ぽつりと呟いた。


「……よろしければ、また村に行っても?」

「来ればいいじゃない。ガイウスが帰ったら、すぐに」


「仕事が回らなすぎて騎士団まで仕事が回ってきている状況なので‥仕事が片付けば、ですが……」


「ガイウスが今、お前の仕事を整理してやってるんだろ? 終わらないはずがないじゃないか」

ヴェルダの断定的な言葉に、セルジオは少しだけ笑った。

「……そうですね。ガイウスに任せたのですから、終わらないはずがありません」


午後、引き継ぎ作業にヴェルダが加わった。

「わらわも手伝うぞ、何をすればいい?」

「……では、その『最優先』の山をあちらのデスクまで運んでもらえますか」

「わかった。任せて」

真剣な顔をして、書類の束を運ぶ美少女。

その正体は、かつて大陸を震え上がらせた黒龍だ。 セルジオがその光景を、震える指で記録に書き留めていく。


「……ガイウス殿。歴史上初めてです。『黒龍が魔術師団の事務を手伝った』などという記録は」


「そうですか。手伝ってくれるのは助かりますが」 「記録に残しますよ。……『引き継ぎを手伝う黒龍』として」


ヴェルダが書類を置きながら、少しだけ得意げに鼻を鳴らした。

「いいよ。面白い記録じゃないか。わらわとガイウスが、ここで一緒に働いた証拠になるんだろう?」

「そうですね」

「……ふふ。なら、もっと運んでやる」

ヴェルダが満面の笑みを浮かべた。


夕陽が書庫の窓から差し込み、少しだけ低くなった書類の山を照らしている。


スローライフは、今日も――王都の歴史に「珍妙な記録」を刻み込みながら――順調だった。


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