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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第75話 宰相ハーヴェルからの謝罪

翌日の午前。

俺たちは重厚な石造りの建物、宰相府の応接室へと通された。

二年前、俺が最後にこの部屋を訪れたのは、剥奪された魔術師団の紋章を机に置いた時だった。


部屋の空気は、あの時と同じように古びた紙と封蝋ふうろう、そして微かな沈丁花の香りが混じっていた。

ヴェルダが、珍しそうに高い天井や重厚な本棚を眺めている。

「……古い部屋だね。空気が止まっているみたいだ」

「由緒ある建物ですから。王国が始まって以来の歴史が、この壁の厚さに現れています」

「ユイショって何? 古いのと何が違うの?」


ヴェルダの素朴な問いに、俺は少し考えてから答えた。 「人間は、時間が積み重なったものに価値を感じる性質があります。古いことに意味を見出し、それを敬う心を『由緒』と呼びます」


「なるほど、龍のわらわにはわからない感覚かな‥。古いものは壊れかけているか、死にかけているかのどちらかだ。壊れていないなら、それはまだ『現役』なだけで、古いことに価値があるとは思えないかな」


ヴェルダは窓際に行き、指先でカーテンの房をいじった。

「人間は複雑だね。でもガイウス、お前は古いものより、新しい芽が出るのを喜ぶだろう? お前は人間だけど、龍に近いのかもしれない」


「農家ですから。過去の記録より、明日の土壌の状態の方が重要です」

「ふふ、そうだね。……ねえ、ガイウス。わらわは『古い』ものより、『強くて正直』なものが好きだよ。それが一番信頼できるから」

「農家は正直ですが、強いかどうかは……」

「強いよ。わらわが保証する。わらわに勝った人間が、弱いはずがないだろう」


ヴェルダが不敵に笑う。

「農家として勝ったわけではないですが」

「農家として生きているお前が勝ったのだ。それは、農家が勝ったということだよ」

論理は独特だが、彼女なりの信頼の形なのだろう。

「……そうですか」



扉が開いた。 入ってきたのは、宰相ハーヴェルだった。

二年前より白髪が増え、肩の荷がそのまま顔のしわになったような、酷く疲れた顔をしていた。


だが、俺の姿を認めた瞬間、彼の瞳に微かな光が宿った。

「……よく、来てくれたな。ガイウス」

「少しだけですが。引き継ぎのケジメをつけに参りました」 「その『少し』に、この国がどれほど救われるか……。感謝する」


ハーヴェルの視線が、俺の隣に立つヴェルダへと移った。 黄金の瞳と、宰相の灰色の瞳がぶつかり、静寂が三秒流れた。


「……こちらが、ヴェルダ殿ですか」

「そうだよ。おじいさんがこの国の『真ん中』の責任者?」

「いかにも。……手紙の『追伸』、拝見しましたぞ」

「みんなそれを言う。そんなに珍しいことなの?」

ハーヴェルは、自嘲気味に笑った。

「黒龍……古の盟約にのみ名を残す超越存在から、個人的な追伸が届くなど、王国の建国史をひっくり返しても例がありません。……正直に申し上げましょう。あの日、私は職務を放り出して一人になりたいと切望しました」

(本当は実際なってたし‥)


「整理が必要だったって、セルジオから聞いたよ。何がそんなに合わなかったの?」

「現実と記録です。私の知る黒龍は『災厄の化身』でしたが、届いた手紙の主は『ガイウスの隣で機嫌よくエールを待っている少女』でした。この乖離かいりを埋めるのに、丸一日かかりましたよ」


ヴェルダは面白そうに首を傾げた。

「記録になかったなら、わらわが新しい記録を増やしてやったんだね。いいことじゃないか」


「……え、ええ、左様で。黒龍に『訓練すれば心の準備など不要だ』と諭される宰相というのも、私が最初で最後でしょうな」

ハーヴェルが小さく吐いた溜息は、どこか憑き物が落ちたような、軽やかなものだった。


席に着くと、ハーヴェルは改めて背筋を正し、俺を見た。

「ガイウス、念のため確認だ。……農家として来た、という言葉に相違はないか?」

「ありません。引き継ぎを終えたら、村へ帰ります」


「……追放したこと、改めて詫びよう。あの時の私は、神託に振り回され、君という人間を見失っていた」

「わかりました。……ですが、謝罪は不要です。俺は怒っていませんから」

「……なぜだ? あれほどの冷遇を受け、誇りを傷つけられたというのに」


「怒る理由がないからです。……エーデル村に行けた。それが、俺にとっては全てです」


ハーヴェルは、俺の言葉を吟味するように沈黙した。

「……神託は、『礎となる者』であった。我々はそれを、君を魔術基盤の一部として捧げること、あるいは王都に縛り付けることだと解釈した。だが……君は北の荒野で、文字通り土の『礎』となったわけだ」


「北の土地が蘇りつつあるのは、農家の仕事をこなしているだけです。龍がいて、魔族がいて、人間がいる。……それら全てが、今の俺にとっては『土壌』です。土に合わせて道具を変えるように、相手に合わせて接しているだけですが」


「龍と魔族を『土壌の範疇』に収める農家か。……君らしいな」

ハーヴェルが少しだけ、顔を綻ばせた。

「一つ、私的な質問を許してくれ。……エーデル村は、いい村か?」

「いい村ですが。……いえ、かなり、いい村です」

「……そうか。かなり、か。……それが聞けただけで、私の後悔も少しは報われる」


ヴェルダが、じっとハーヴェルを見ていた。 「宰相。お前、ガイウスのことを心配していたんだね」

「……否定はしません。追放を決断したのは私ですが、その後の彼の行方が知れぬ間、安眠できた夜はありませんでした」

(毎日トラブル続き‥あぁ、つらかった)


「複雑だね、人間は。追放したのに心配して、謝って……。でも、農家として帰ってきたんだから、もういいんじゃない? ガイウスは根に持たないよ。農家だからね」 「……黒龍殿に慰められるとは。面目次第もない」


「慰めてないよ。事実を言っただけ。……ガイウスが追放されて、わらわは良かったと思っている」

ヴェルダの言葉に、部屋の空気が止まった。

「もし追放されなかったら、ガイウスはずっとこの古い部屋の近くにいて、わらわの山には来なかっただろう? だったら、わらわは今も岩の上で一人で寝ていた」


彼女は俺の隣に一歩寄り、その手を俺の腕に添えた。

「会えなかったら、わらわはきっと、とても嫌だったと思う。……だから、追放されて良かったんだよ」

廊下に出た後、ヴェルダは少しだけ照れくさそうに前を歩いた。


「……ガイウス。農家として追放されて、良かったね」

「そうですかね。……そうかもしれませんね」

「そうだよ。絶対」

窓から差し込む光が、王都の古い石廊下を白く飛ばしていた。 ハーヴェルの謝罪も、ヴェルダの肯定も、全てがこれからの実りのための肥料になる。


スローライフは、今日も――宰相に頭を下げてもらい、龍に背中を押されながら――順調だった。


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