表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/201

第73話 王都にて2


街道沿いの宿屋で迎えた朝は、ヴェルダの感嘆から始まった。


彼女は備え付けのベッドから起き上がると、何度もその感触を確かめるようにシーツを撫でた。


「……ガイウス、やはりベッドというやつは素晴らしいな」

「そうですか?」

「ああ。岩の上で丸まっていた千年間が、急に損をした気分だ。柔らかい、温かい。朝になっても体が痛くない。人間というのは、こんな贅沢な環境で英気を養っていたのか」


「宿屋ですから。休息こそが、旅人に提供できる最大の商品です」

一階の食堂に降りると、焼きたてのパンと野菜がたっぷり入ったスープが運ばれてきた。

ヴェルダはそれを一口運び、咀嚼し、少しだけ首を傾げた。


「……どうしましたか?口に合いませんか」

「いや、悪くない。悪くないのだが……リナのお母さんのスープの方が、もっと『元気』が出る味がする」

「家庭料理と商業的な宿飯の違いでしょうね。栄養バランスは考えられていますが、そこにある『想い』の分量は計測できませんから」


「想いの分量か……。農家らしい、小難しい言い回しだな」

ヴェルダは「勉強になる」と呟き、スープを飲み干した。

千年生きた古龍が、宿屋の朝食マナーやパンの千切り方を熱心に学んでいる。

その光景は、側から見れば微笑ましい貴族の令嬢のようでもあり、俺にとっては少しだけ奇妙な、けれど「悪くない」日常の延長線上にあった。


宿を出て半日。俺たちはついに、巨大な外壁に囲まれた王都の門を潜った。

二年ぶりの王都。そこは、俺がかつて「Sランク魔術師」として、あるいは「王国の守護者」として人生の十年間を費やした場所だ。


「……変わりましたね」

「何がだ? わらわには、ただ石の塊が積み上がっているようにしか見えんが」

「空気の密度です。魔術基盤が不安定なせいか、都市全体が微かに震えている。……それに、あそこにあった老舗の食堂がなくなって、新しい魔術触媒の店になっています」 


俺は無意識に、街の細部を観察していた。

魔術師団の総本山たる白亜の塔は変わらず聳え立っているが、その入り口を固める警備兵の数は三倍に増えている。

街の賑わいは以前と変わらないように見えるが、行き交う人々の足取りには、どこか落ち着かない焦燥が混じっている。


「よく見ているな、ガイウス。まるで自分の手のひらを眺めているようだ」

「十年いましたからね、体が覚えているんです。どの角を曲がれば近道か、どの石畳が浮いていて躓きやすいか……」


「……それは、わらわが縄張りの木の一本、石の一個を把握しているのと同じ感覚か?」

「似たようなものかもしれません。場所を覚えるというのは、その土地と対話した時間の集積ですから」


ヴェルダは俺の言葉を咀嚼するように黙り、それから自分の足元を見つめた。

「……エーデル村も、そうなってきた気がする」


「何がですか?」

「村の道を歩くとき、体が先に動くのだ。考えなくても、リナの食堂がどっちか、お前の薬草畑がどこか、足が知っている。……それが、なんだか嬉しかったのだ」


ヴェルダが前を向いたまま、少しだけ誇らしげに言った。


「エーデル村が、わらわの新たな『縄張り』になってきたということだろうな」

「それは、農家としても心強い限りです」


大通りの中央、天を突くような尖塔を持つ神殿の前で、ヴェルダが足を止めた。

荘厳な彫刻と金箔で飾られたその建物は、人々の祈りと、そしていくばくかの権威の象徴だ。


「……でかい建物だな。何だここは」

「神殿です。神を祀り、加護を祈る場所ですが」


「神、か。……ガイウス、お前は『神の使い』だとか言われていただろう。なら、この中にいるヤツはお前の知り合いか?」

「農家ですが、神に仕事を頼まれた覚えはありません」

ヴェルダは神殿を見上げ、鼻を鳴らした。


「神というのは、意思疎通が下手な存在なのだな。ガイウスのような男に仕事を頼みたいなら、直接会って『土を耕せ』と言えばいいものを見えない場所に隠れて、他人に察せさせようとするのは、あまり感心せんな」


「そうかもしれません。信仰とは、往々にして一方通行なものですから」

「わらわなら、そうはせん。縄張りに来るなら来いと言う。何かしてほしいなら、はっきりそう告げる。……みんな、そうすればいいのに」


ヴェルダの言葉は、あまりにも純粋で、そして真理を突いていた。

「だがな、ガイウス。もし神というヤツが本当にお前に仕事を頼んだのだとしたら……ソイツは、なかなかに良い『目』を持っているぞ」


「そうですか?」

「ああ。お前に頼むのは、正解だ。農家だからこそ、お前は目に見えない根の伸びを信じ、時間をかけて実りを待つことができる。……神にとっても、お前は一番『裏切らない』相手なのだろうよ」


ヴェルダはそれだけ言うと、神殿に背を向けて歩き出した。

彼女にとって、見えない神よりも、今隣にいる「農家」の方が、ずっと信じるに値する存在なのだろう。


王都の中央広場に近づくにつれ、人の波は激しさを増していった。

地方から来た商人、煌びやかな衣装を纏った貴族、そして騒がしい冒険者たち。

エーデル村の静寂に慣れた身には、その喧騒は暴力的なほどに騒々しい。

ふと気づくと、横を歩いていたヴェルダが半歩後ろに下がっていた。

「……前を歩いてもいいんですよ、ヴェルダ」

「いや。お前の後ろの方が歩きやすい」

彼女は、俺のコートの裾を掴むか掴まないかの距離で、じっと俺の背中を見つめていた。


「人が多すぎる。どこを見ればいいのか、どこへ進めばいいのか、わらわの目でも追いきれん。……だが、お前の背中だけを見ていれば、迷わずに済む」

「俺はただ、目的地に向かっているだけですが」


「それがいいのだ。お前が歩く道が、わらわにとっての正解だ」

ヴェルダは、雑踏のノイズを遮断するように言葉を紡いだ。

「縄張りの外では、ガイウス。お前がわらわの『基準』なんだよ。お前がいれば、どんな知らない場所でも、わらわは大丈夫な気がする」


「……そうですか。過大評価だと思いますが」

後ろから聞こえた声は、先ほど神殿を見上げていた時よりも、ずっと柔らかく、そして温かかった。


俺は少しだけ歩調を緩めた。彼女が、王都の冷たい石畳の上で、自分の居場所を見失わないように。


夕暮れが、王都の屋根を金色に染めていく。

目的地である宰相府までは、あともう少しだ。


スローライフは、今日も――都会の喧騒の中、一人の背中を道標にしながら――順調だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ