第70話 王都までの道
村を出て二日後、俺たちは舗装された大きな街道に出た。 エーデル村付近の道は、人がすれ違うのがやっとの細い獣道のようなものだったが、ここは違う。
馬車が二台悠々と行き交い、整然と並ぶ石畳の脇には、旅人の目を楽しませるための並木まで植えられている。
「……広い道だのうガイウス」
「街道ですから。主要都市を繋ぐ、血管のようなものです」
ヴェルダは、珍しそうに足元の石畳を爪先で叩いた。
「エーデル村の道とは、全然違うのう」
「あそこは辺境ですから。世界の端っこ、と言い換えてもいい」
「端っこ……。じゃあ、王都は真ん中なの?」
「概ね、そうですね」
ヴェルダは少し足を止め、俺の横顔を覗き込んだ。
「……そんな真ん中に、ガイウスはいたんだね」 「まぁ以前の話ですがね」
「それが先日までは、この国の一番端っこにいた」
「そうですね」
ヴェルダが、ふふ、と小さく笑った。
「そっちの方が今のガイウスには似合っているよ。お前は、真ん中で誰かに崇められるようなタマじゃない。土にまみれて、静かな場所で、黙って何かを育てている……。それが一番しっくりくる」
「農家なので。静かなほうが、作物の声がよく聞こえます」
「……理由はそれだけ?」
「ええ、農作業に向いている環境というのもありますね」
「ふうん。まあ、いいか。理由なんてどうでも」 ヴェルダは前を向いて、少しだけ歩調を速めた。
「端っこにいてくれたおかげで、わらわはお前に出会えたのだから。それだけで十分だ」
俺は「そうですか」とだけ返した。
前を向いたままだったので、彼女の表情は見えなかったが、声は春の陽だまりのように温かかった。
一時間ほど歩くと、街道沿いの宿場町が見えてきた。
ちょうど朝市が開かれており、通りは活気に満ち溢れていた。
焼きたてのパンの香ばしい匂い、威勢の良い商人たちの声、駆け回る子供たち、そしてそれを追いかける犬の鳴き声。
「何……これ。何が起きているの?」
ヴェルダが足を止め、目を丸くして立ち尽くした。
「市場ですよ。人々が生きるために、必要なものを売り買いする場所です。王都はこれの数十倍の規模がありますが」
「想像できないな……。わらわの山には、風の音しかなかったから」
ヴェルダは恐る恐る、けれど興味津々に市場へと足を踏み入れた。
彼女が足を止めたのは、真っ赤な林檎が山積みにされた果物屋の前だった。
「これりんごだよね?食べれるの?」
「ええ、品種は『陽光』でしょうか。甘みが強いのが特徴で……」
「……食べたい、買って!」
店主は金色の瞳の少女に一瞬気圧されたようだったが、俺が銅貨を差し出すと、見事な大玉を二つ手渡してくれた。
ヴェルダは受け取るなり、皮ごとガブリと齧り付いた。
「……! おいしい。エーデル村で食べたのより、ずっと甘い」
「品種が違えば、味も糖度も、食感すら変わります。それが農の深みです」
「品種、か。……楽しみが増えたな。王都に行けば、もっと違う味があるんだろう?」
彼女は上機嫌で歩きながら、半分ほど食べた林檎を俺の口元に差し出してきた。
「ガイウスも一口食べなよ。ほら」
「自分は自分で別のを買いましたが‥」
「一口でいいって。わらわが美味しいと思ったものを、お主にも知ってほしいだけだよ」
断る理由もなかったので、一口齧った。
確かに、強い甘みが口の中に広がった。
「どう?」
「甘いですね。……非常に」
「でしょ? 良かった」 満足そうに笑う彼女を見て、俺は「農家として、こういう林檎を育てたいものだ」と、内側で密かに思った。
昼過ぎ、俺たちは道脇の大きな木陰に腰を下ろした。
広げたのは、マーサさんが持たせてくれた風呂敷包みだ。
「……おかず、いっぱいだね」
「心配されている証拠です。道中で体力を落とさないように、という配慮でしょう」
「リナのお母さんは、優しいな。わらわ、あの人の料理も、グラントのエールも、リナも、ゴードンも……マルクもうるさいけど、みんな好きだ」
ヴェルダは、煮物を頬張りながら、さらりと言った。
「そうだよ。エーデル村の人は、みんな温かい。……ガイウスも、ま、まあ好きだけどね」
「まあ、ですか」
「……まあ、だよ。何か不満か?」
「いえ。ただ、その『まあ』のニュアンスが気になりまして」
俺が聞き返すと、ヴェルダはぴたりと箸を止めた。
それから、俯いたまま、消え入りそうな声で呟いた。
「……(いちばん、好きだよ)」
「え?なんです?」
「……何でもない!もう聞き返さないで! 恥ずかしいだろうが!」
彼女は顔を真っ赤にして、弁当に顔を埋めるようにして食べ進めた。
「……そうですか」
だが、その声には刺がなく、どこか照れ隠しの甘えが含まれていた。
午後の街道はさらに賑やかさを増した。
商会の馬車や、訓練中の騎士団の隊列が、俺たちの横を通り過ぎていく。
そのたびに、ヴェルダは「あの旗は何?」
「馬の中はどうなっているの?」と質問を浴びせてきた。
「ガイウスの解説は、わかりやすいね。余計なことを言わないし、必要なことだけ教えてくれる」
「農家は効率を重んじます。無駄な語釈は作物の成長の妨げにしかなりません」
「ふふ、それも『農家だから』で済ませるんだ。……でも、そういうところが好きだよ。お主はわらわを『龍』として畏怖するんじゃなく、一人の『面白い相手』として見てくれた。それが、何よりも珍しくて、嬉しかったんだ」
夕焼けが、街道を橙色に染め始めた。
今夜の宿が見えてくる頃、ヴェルダが「宿って、ベッドがあるんだよね?」と聞いてきた。
「当然ありますが。……山ではどうしていたんですか?」
「岩の上。龍の姿で、硬い岩盤に身体を預けるのが一番楽だった。でも……人間になって、ベッドを知ってからは、もう戻れないかな」
「ふかふか、していますからね」
「そう。柔らかくて、温かい。……なんだか、ガイウスみたいだ」
「俺がですか? 俺は人間ですし、ベッドほど柔らかくはありませんが」
「そういう意味じゃないよ。……お前の隣にいると、なんだかふかふかした場所で寝ているような、そんな安心感がするんだ。農家のくせに」
ヴェルダは、夕陽の影に隠れるようにして微笑んだ。
「宿に着いたら、また明日も歩くんだよね」
「ええ。明後日には、王都の門が見えます」
「……寂しいな。ずっと、この道が続けばいいのに」
「王都での引き継ぎが終われば、また帰りの道が始まります」
「……そうだね。帰る場所がある旅っていうのは、悪くない」
宿の看板の明かりが、俺たちの足元を照らした。
スローライフは、今日も――夕闇の街道を、ふかふかなベッドと共に――順調だった。




